§083 奇跡

 リーネが落ち着きを取り戻した後、俺達はメイビスが待つ場所へと戻っていた。

 自分としてはかなり濃い時間を過ごしたつもりだったが、時間にしてみればせいぜい一時間程度のこと。

 戻った時には、メイビスはまだ静かに眠っていた。


 俺達は濡れた服を乾かすために、落ちている草木を集めて火をくべる。

 こういう時、火属性の魔導士が二人いると苦労しなくていい。


 ボッと音を立てて燃え上がる焚き火。


 揺らめく炎を見つめながら、俺は先ほどの戦闘を回顧する。


 まず驚いたのはリーネの固有魔法だ。

 固有魔法【無詠唱魔法】。

 俺の固有魔法【速記術】の詠唱魔法版と言ったところだろうか。


 現代魔法において、魔法を発動できるのは、最強の武器といっても過言ではない。

 だからこそ俺は王立学園に首席で合格を果たしているわけだし。


 そんな俺と同等の力を持つリーネ。

 彼女は一体何者なのだろうか。

 冒険者を名乗っていたが、そうなるとかなり名のある冒険者の可能性が高い。


 ただ、彼女と一緒に戦っていて一つだけ疑問に思うことがあった。


 ――それは彼女が一切クラーケンに攻撃をしかなかったことだ。


 彼女の固有魔法は詠唱無しで魔法を発動できるというもの。

 それならば津波によって俺達が水に飲まれた後。

 いくら溺れないように必死な状況だったとはいえ、クラーケンに対して攻撃をすることができたはずなのだ。


 それなのに彼女は攻撃をしなかった。


 彼女の固有魔法には何かしらの制約があるのだろうか。


 俺はそんな真面目なことを考えつつ横に座る彼女に流し目で視線を向けると、顔を赤くして気まずそうに俯き加減の彼女の顔が目に入った。


 その色気を帯びた表情を見て、俺は大事なことを完全に忘れていたことに気付いた。

 同時に潤いを帯びた唇に視線が向かう。


「…………」

「…………」


 意識してしまうと、先ほどまで当たり前だった沈黙がかなり不自然なことに思えてくる。


 あ、あれはリーネを助けるためのだ。

 決してやましい気持ちでしたわけじゃないし、彼女を助けるためには必要な行為だったのだ。


 女の子の唇を奪っておきながら、男として最低な思考をしている自覚があった。

 ただ、自身の行為を正当化する方法はこれしかなかったのだ。


 そこからは長い沈黙が続いた。

 そんな沈黙を破ったのはリーネだった。


「ねぇ、ジル」


「は、はい!」


 俺は先ほどの人工呼吸のことを追求されるのではないかと身体をビクリとさせ、反射的に姿勢を正してしまった。


「ん? どうしたのですか? そんなに居住まいを正して」


 しかし、リーネは何食わぬ顔で小首を傾げる。


「いや、ちょっと足が痺れたみたいで」


「ふふ。おかしなジルですね」


 そうしてごく自然にくすくすと笑うリーネ。


 ……ああ、リーネは人工呼吸のことをそこまで気にしてないようだ。


 リーネの反応からそう判断した俺は少しだけ冷静さを取り戻す。

 そして、リーネの耳に輝く紅玉を見て、俺は先ほどの不思議な現象について思い出した。


「そういえば、さっきの戦いの時、リーネがクラーケンに捕まった時があっただろ? あのとき、反射的にリーネからもらった紅玉を握りしめたら、どういうわけかリーネの身体が俺の下に転移したんだ」


 その事実を聞いたリーネは目を見開く。


「その直後にあの紅玉は消えてしまったんだけど、あれは何かの魔導具だったのか?」


 そんな俺の問いに対して、リーネは首を横に振る。


「あの紅玉は確かに――願いを叶える力ある――と言い伝えられています。ただ、それは迷信のようなもので、実際にあの紅玉には魔力は宿っていないはずです」


「そうすると……あれは何だったのか」


「……そうですね。わたくしには真実はわかりません。でも、その紅玉にわたくしの命が助けられたのもまた事実。これを敢えて言葉にするとしたら……人はそれを『奇跡』と呼ぶのだと思います」


 そうしてリーネは自身の耳にかかる同じく紅玉をあしらったイヤリングに手を触れる。


「まあ、そんな奇跡……そうそう起こるものではないですけどね」


 そう言ったリーネの表情は今まで見たどの表情よりも、哀愁に満ちており、まるで今にも泣き出しそうな子供のようだと思った。


 リーネは歌劇オペラの時にあのイヤリングは大切なものだと言っていた。

 おそらく彼女の過去にもいろいろあったのだろう。

 けれど、さすがにそれに触れるのは無粋な気がして、視線を逸らした。


 すると、先ほどの戦闘によって神殿も破壊されてしまったのか、浅瀬のところに神殿の水晶の中にあった魔導杖まどうじょうが浮いていることに気付いた。


 俺は立ち上がると、それを拾い上げる。


「元はと言えば、クラーケンと戦うことになったのはこいつのせいだよな。絶対これがあいつを呼び寄せるトラップだよ」


 俺は冗談めかして悪態をついて見せる。


「確かにそうですね。悪い杖さんはへし折ってしまいましょうか」


 それに冗談で返してくるリーネ。

 よくある小説では、へし折られたくない杖が急に喋り出すとかそういう展開になるのだが、当然そんなことは起きず、杖は俺の手の中で沈黙を保ったままだった。


「この杖、どうしようか?」


「それはジルのものでしょう。クラーケンを倒したのはジルですし、ドロップアイテムだと思えば収穫でしょう」


「そうか。でも、リーネからは紅玉も含めてもらってばかりだし、何かお返しをしなきゃと思ってるんだ。さすがにもらってばかりだと申し訳ない」


「でも、わたくしは戦闘スタイル的に魔導杖は必要ありませんし、それにいくらレアアイテムだとしても、ドロップアイテムをもらうくらいでしたら、ジルから心の籠もったプレゼントをいただきたいものですわ」


 そう言って頬を膨らませるリーネ。


「……心の籠もったプレゼント。それはまあ……考えておくとして、じゃあこの魔導杖は遠慮無くもらうことにするよ」


 といっても、俺もリーネと同様に魔導杖を使うような戦闘スタイルでもないしな……。

 とりあえず、シルフォリア様に鑑定をお願いしてみるか。


 それからは、他愛もない会話を交わし、助けが来るのをひたすら待った。

 けれど、この時間は苦ではなかった。

 というか、不謹慎かもしれないが、歌劇オペラの時と同じで、リーネと過ごす時間はとても充実したものに感じた。

 共通の話題が多いこともあり、話題が尽きることもなく、俺達は多くのことを語り合った。

 まあ、話題の大半が『賢者物語』に関することだったことは否定できないが。


「あのクラーケンを倒してしまうなんて、わたくし達、まるで『賢者物語』の世界に入り込んだみたいですわね」


「確かにな。これで俺が将官で、リーネが姫君だったら、まさに『賢者物語』そのままだな」


「ええ、本当に。ジルは自身の立場をゲイルに重ねたりはしないのですか? わたくしはジルとわたくしの関係は、ゲイルとフィーネの関係にとても近いように感じているのですが」


 そう言って雛罌粟色の瞳を妖艶に向けてくるリーネ。

 口元を軽く綻ばせ、この質問の答えを心から期待しているようだった。


「ゲイルとフィーネの関係にとても近い……か……」


 俺はやはりここは『賢者物語』に絡めて答えるべきだろうと思った。


「そうだな、リーネは『賢者物語』一巻の第四節を覚えているか?」


「ゲイルとフィーネが武神祭で初めて刃を交える話ですか?」


「そう。この時まではゲイルとフィーネは自身の気持ちに気付きながらも、国の違いという負い目から、その気持ちに蓋をしてしまっていた。そんな状況の転機となったのが武神祭――各国の代表同士が雌雄を決する魔法大会だった。後に伝説と語り継がれることになる一進一退の攻防。両者の実力は全くの互角。極限までに力をぶつけ合った二人はお互いのことを『』と認め合うことでその恋路を一歩進めた」


「…………」


「俺は今日、リーネの固有魔法を目の当たりにした時に衝撃を受け、同時に思ったんだ。俺とリーネはきっと同じことを感じているのではないかと」


 同じこと――それは魔法戦の相手の確保が難しさだ。


 俺達のような固有魔法持ちは、相手の詠唱速度を上回って魔法が発動できてしまう以上、それは魔法戦というより、ボールの壁当てと同じようになってしまうのだ。


 けれど、俺とリーネは世界最速の魔導士同士。

 そんな俺達であれば、きっと武神祭でのゲイルとフィーネのように、本気で雌雄を決する『好敵手』になれる。


 俺はそう考えていた。


 そのため、俺は賢者物語を引用しつつ、俺とリーネは、ゲイルとフィーネの関係と同じように『好敵手』であると告げたつもりだった。


 しかし、一方のリーネはというと、どういうわけか潤んだ瞳をこちらに向け、胸の前で両手をギュッと握っていた。


「わたくしも同じことを思っていました。あの……事故とはいえ、をしてしまった以上、そろそろわたくし達の関係を一歩進めてもいいのではないかと」


「え?」


 リーネから返ってきた言葉を聞いて、俺は全てを理解した。

 またしても俺の言葉が誤解を生んでしまっていることに。


「いや、リーネ。ちょっと最後まで聞いてくれ。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」


「全て言わずともジルの気持ちはちゃんと伝わっていますよ」


 いや、それが誤解だから俺はいま説明しようとしているわけで……。


 俺は累積的に積み上がっていく誤解をどうにか解く必要があった。

 リーネは自惚れでなければ俺のことを好いてくれているようだし、こんなことを言うのは大変心苦しくはあるのだが、男なら言わなければならない時がある。


 俺は心を鬼にしてリーネに自分の気持ちを伝えようとしたその瞬間――


「おーい! ジルベール! メイビス! 無事かー!」


 遠くから耳慣れた荘厳でありながら、どこか遊びがある声が聞こえた。


「ジル、人の声が! 助けが来ましたわ!」


 その声を聞いて思わず立ち上がるリーネ。

 ただ、助けに来たを見て、即座に身を硬直させていた。


 まあ、その反応も当然と言えば当然だ。


「六天魔導士のシルフォリア様……?」


「ん? 貴女は確か……」


 こうして俺達のダンジョン攻略は幕を閉じた。


 まず、リーネについては、すぐに従者に引き渡された。

 従者は以前の歌劇オペラの際に敵意を剥き出しにしていた茶髪にメイド服の女性だ。

 彼女も主人であるリーネが遭難したとのことで自国に救援を求めていたらしく、シルフォリア様の転移魔法で地上に出た瞬間には、大勢の人達に取り囲まれていた。


 次に、メイビスについては、応急処置はしていたものの衰弱が激しく、意識がなかなか戻らなかったため、すぐさまアイリスの下に回されていた。

 これからアイリスの治癒魔法による集中治療に入るらしい。


 また、俺達と離れ離れになっていたレリアについては、一人ダンジョンに置き去りになる形になっていたため、とても不安だったのだが、幸いにも近くを他の王立学園パーティが通りかかったようで、無事にダンジョンからの脱出を果たせていた。

 ただ、責任を感じているのか、どこかいつもより元気のないのが少し心配ではあった。


 とこんな感じに、ダンジョンから脱出した後もいろいろあったわけだが、とりあえず皆が無事だったことに安堵しつつ、俺はホテルの一室へと戻った。


 しかし、俺はとても重大なことを忘れていたことに気付いた。


「――リーネの誤解、解けてねぇぇええ!」


 またしてもやらかしてしまった俺は、誤解をどうにか解くべく、次なるリーネとの再会を期待するのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る