§081 ボス級魔物

「「ク、クラーケン……」」


 俺とリーネは同時にそんな言葉を呟く。


 目の前に現れた魔物。

 その姿が『賢者物語』に登場した空想上の魔物である「クラーケン」と酷似していたからだ。


 『賢者物語』のクラーケンは海に潜む魔物で、体長が十メートルほどもあり蛸に近い様相をしているのが特徴だった。

 海洋で多くの船を襲っていたクラーケンをゲイルとフィーネが協力して倒したことが印象的な一幕だ。


 そんな空想上の魔物と同様の様相をした魔物。


 体長は十メートルほど。

 軟体動物を彷彿させる粘着質のある身体に、一本一本が丸太ほどの太さもある触手がざっと三十ほど。

 その触手はそれぞれが別の生き物かのように鞭の如きしなりを見せ、立派に育った鍾乳石を一瞬にして塵に変えている。

 ぎょろぎょろとしきりに動かされていた目は、数刻のうちに完全にこちらに定まっていた。


 今まで相対したどの魔物よりも大きく、禍々しい様相。


 その姿は紛うことなき『ボス級魔物』と言えるものだった。


 俺は咄嗟の判断で退を選択した。


「リーネ! 引け!」


 先ほど俺達が入ってきた鉄扉は既に閉ざされている。

 しかし、この魔物がボス級魔物という前提に立てば、良くて四十層、悪ければ、もっともっと下層のボス級魔物である可能性がある。


 しかも、今は俺だけではなくリーネもいるのだ。

 リーネの実力が如何ほどのものかは知らない。

 冒険者を名乗っていたけれど、見た感じの年齢が俺とほぼ変わらないところを見ると、実力も学生の範囲に収まる程度だと思われる。


 いくら俺に【速記術】による『魔法陣』があったとしても、ボス級魔物を相手に彼女を守りながら戦えるとは到底思えなかった。


 そういう判断だったのだが、リーネはそれを……拒絶した。


「ジルは下がっててください! ここはわたくしがやります!」


 そう言って一歩前に踏み出したリーネは一言、


「――爆ぜなさい――」


 そう口にした。


 ――コンマ一秒後。


 彼女の背後に大量の炎の矢が顕現したのだ。


「え、」


 思わず声が漏れた。


 彼女は今……詠唱したのか……?


 そんな俺の動揺を嘲笑うかのように、炎の矢は燃え盛る雨となってクラーケンへと降り注ぐ。


「グォォォォ―――!」


 雄叫びを上げながら、数歩後退するクラーケン。

 同時に思い出していた。

 彼女が歌劇オペラ後の食事の時に詠唱をせずに紅玉をあしらったペンダントを顕現させたこと。


「リーネ、君の魔法は一体……」


 自分でも漠然とした質問をしているなと思った。

 ただ、俺はこの状況が誰よりもわかっていた。

 というのも、俺が『魔法陣』を使った時、決まって人は今の俺と同じ反応をしていたから。


 そんな俺の問いに半身振り返ったリーネが応える。


「わたくしの固有魔法は――【無詠唱魔法】――。わたくしはこの世界で誰よりも速く魔法を発動させることができます」


(ドクン)


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が音を立てて大きく跳ねた。


 ……リーネは詠唱無しで魔法を発動できる?


 俺の【速記術】と同様の効用を持つ固有魔法。

 現代魔法で最速の発動速度を誇る固有魔法。


「勝てるかもしれない」


 この状況に闘争心が掻き立てられるのがわかった。

 と同時に、俺は彼女の隣に並び立つ。


「ちょっとジル! ここはわたくしに任せてください! 貴方の詠唱速度ではクラーケンの触手攻撃は――」


「――深紅の火山弾ヴォルケーノ・バレット――」


 ――これもコンマ一秒後。


 リーネの火の雨に後退を余儀なくされていたクラーケンを更に取り囲むようにして複数の『魔法陣』が顕現。

 同時に燃えさかる火山弾が魔物の身体目掛けて打ち出された。


「え、」


 今度は感嘆の声を漏らすのはリーネの番だった。


「ジル、貴方の魔法は一体……」


「俺の固有魔法は――【速記術】――。俺はこの世界で誰よりも速く『魔法陣』を描くことができるんだ」


 その言葉に目を見開くリーネ。

 それと同時に何かをぽつりと口にした。


「(……やはりジルはわたくしの運命の人)」


 しかし、俺達の魔法攻撃にひるむことなく、クラーケンから鋭い触手攻撃が打ち出される。

 そんな攻撃を防ぎ切るため、なぜか紅潮した表情を浮かべているリーネに向かって俺は指示を飛ばす。


「リーネ! 右!」


「は、はい!」


(ドンッ!)


 俺達を右側から横薙ぎにしようとしていた触手に、リーネの無詠唱魔法を打ち込む。


「次、左から触手が二本来ます!」


「了解!」


(ドゴッ!)


 俺は左側から来ていた触手に、深紅の火山弾ヴォルケーノ・バレットを叩き込む。

 二本のうち一本は焼け爛れて黒煙を上げ、もう一本は根元からちぎれて地面へと落下した。


 俺の魔法適性は『火』。

 見たところリーネの魔法適性も『火』。

 相対するクラーケンはおそらく『水』属性だから、相性は必ずしもいいとは言えない。


 けれど、リーネとの息はピッタリで、このまま相手の攻撃をいなし続ければ相手の攻撃が俺達に到達する気は更々しなかったし、むしろ手数で言えば、二人いる分、十分にこちらが有利に思えた。


 俺はリーネに声をかける。


「右側の防御は頼む。左側は俺に任せてくれ」


「はい! わたくしの背中はジルに託します」


 いや、右側って言ったんだけど大丈夫かな。

 そんな一縷の不安があったが、リーネは迫りくる触手に絶えることなく魔法を打ち込み、少しずつクラーケン本体への攻撃も増やしていっている。


 俺もそれに合わせてありったけの『魔法陣』を描く。


「グガァァァ―――ッッ!」


 クラーケンはまるで火薬庫に放り込まれた如くに集中砲火を浴び、苦悶に満ちた雄叫びを上げ続ける。


 クラーケンの攻撃は縦横無尽に動き回る触手によるダイレクトアタックだが、迫りくる触手の数は多くて三本。

 どうやら同時攻撃に用いることのできる触手の数には限界があると見える。

 そんな規則性が見えてきたからこそ、俺達の攻撃速度も目に見えて上がる。


 もはや止むことのない火の玉の嵐。

 瞬きをする間にも、数十の魔法が炸裂する。


 そして、クラーケンは沈黙した。


「や、やったか」

「わたくし達……ボス級魔物を」


 そんな魔法による集中砲火の手を止めた、一瞬の隙が災いした。


 ――クラーケンの触手が俺達、ではなく、壁や天井をめちゃめちゃに攻撃し始めたのだ。


 理性の欠片もなくのたうちまわる触手。

 最初はあまりの苦しさに悶え苦しみ出したのかと思った。


 しかし、クラーケンのその行動にはしっかりと意味があった。


 束の間の静寂が神殿内を包んだ後、凄まじい震動が地面を揺らしたのだ。

 同時に遠くから鳴り響く地響きのような轟音。


 俺はその轟音の正体が直感的に何であるかわかった。


 俺は叫び、隣に立つ彼女の手を取って駆ける。


「ちょっ、ジル! どうしたのです?!」


「とりあえず走れ、リーネ! ――津波が来るぞッ!」


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