§079 勘違い

 俺とリーネは地面に腰を下ろし、きらきらと輝く湖面を眺めていた。

 眺めていたのはいいのだが、リーネの座る位置が若干、というかかなり近いのだ。

 今にも肩がぶつかりそうな場所に座るリーネに俺は一言物申す。


「リーネ、ちょっと近くないか?」


「これくらい普通だと思いますが?」


 俺は今更ながら歌劇オペラ後の食事の出来事を鮮明に思い出していた。


 ……そうだった。

 あの日は盛大な誤解が生じた上で俺達は別れていたのだった。


 俺は同じ小説のファンとして、一人の友達として、彼女に『賢者物語』の台詞を送った。

 どうやらそれが愛の告白と捉えられてしまった節があるのだ。


 熱っぽい視線を向けてくる彼女がその証拠だ。

 彼女はまるで恋人同士のように、デートを楽しむカップルのように、俺の肩に頭をしなだれかけてくる。


 もちろん俺だってリーネのことは嫌いじゃない。

 むしろ、同じ小説を愛するファンとして、気の置けない存在であるという自覚はある。

 彼女はとても美しく、淑やかで、一般的には理想的な女性と言えるかもしれない。

 ただ、何度も言うようだが、俺が彼女を想うそれはあくまでのものだ。


 俺はリーネと恋人関係になったつもりはないし、これからもなるつもりはない。


 だからこそ、俺はこれ以上関係がこじれる前にこの前の誤解を解き、に戻る必要があった。


 リーネを傷付けてしまう結果になるかもしれないが、それは致し方ない。


 俺はそう決意すると、すぐに口を開こうとする。

 しかし、タイミングが悪いことに、それよりも一瞬早くリーネが言葉を紡いだ。


「わたくし達、ここから出られるのでしょうか」


 本当はすぐにでも誤解を解きたいところだったが、俺は少しでもリーネを安心させようと言葉を選ぶ。


「大丈夫。俺の知り合いにとても高名な魔導士がいるんだ。その方がきっと助けに来てくれる。だから俺はそこまで悲観してないよ」


 俺がそう言って笑いかけると、リーネからも笑顔が漏れる。


「ジルは本当にわたくしの扱いがうまいですね。本当は仲間ともはぐれてしまってとてもとても心細かったのですが……なんだかジルの顔を見て、ジルの言葉を聞いたら心から安心してしまいました」


 ほんのりと頬を赤らめたリーネが言う。


「わたくし、最近いろいろとがあって、少し心に余裕が無かったのかもしれません。だから、普段であれば引っ掛からないようなトラップにも引っ掛かってしまって。でもジルと話しているとすごく落ち着くんです。それにこうやって二人で湖畔を眺めているのが、なんだかみたいで……」


「で、デート?!」


 俺はリーネから発せられた言葉に思わず反応してリーネのことを見てしまう。

 しかし、リーネは湖畔を見つめたまま、なぜか不思議そうな表情を浮かべていた。


「どうした?」


「いえ、今、あの辺りで何かが動いたような気がして」


 リーネは湖畔の中央部分を指差す。

 俺は念のため多重展開の領域ドミネーティング・フィールドに意識を集中してみるが、特に何の気配も感じられなかった。


「気のせいだと思うけど……」


(ゴゴゴゴゴゴゴ)


 そう言った矢先、何か歯車が回転するような音と、地響きが俺達のいる空間を襲った。


「え、地震?!」


 すぐさま立ち上がる二人。

 すると、突如、俺達の眼前に広がっていた湖面がぱっくりと割れた。


「「え?」」


 俺達は同時に声を上げる。


 何が起きたのか俄かにはわからなかった。

 割れた湖面から岩肌が隆起したと思ったら、それは一直線に並び、さながら道のような形を形成したのだ。


「これは……道?」


「まるで導かれているみたいだな」


「逆に言えば誘われているとも言えますわね」


「リーネの索敵魔法でこの先に何があるかわかりそうか?」


「すみません。わたくしの索敵魔法は人の気配を感じ取れるというものなので何があるかまでは……。でも、やはりこれは罠でしょうか? 進んでみたらボス級魔物の部屋だったりとか」


 その可能性は大いにあると思った。

 ここはダンジョンの何層に当たる部分かわからない。

 シルフォリア様の話では『深淵の扉』は第三十階層までは攻略されているが、それよりも下は未攻略だ。


 もし、俺達が落ちてきた場所が第三十層より下の階層であれば、ボス級魔物が出現してもおかしくないのだ。


 阻害魔法がかかっているのか多重展開の領域ドミネーティング・フィールドもほとんど機能していない。

 この先には探られてはいけない何かがあると思った方がいいかもしれない。


 一方で、なぜだかわからないが、この先には何か大切なものがある。

 そんな気もした。


「……進んでみようか」


 どうやらリーネも同じことを感じていたようだ。

 警戒を見せていたリーネからも肯定の言葉が紡がれる。


「そうですね。わたくしも何となくこの先に何かある気がします。それはとても大切なものな気がするのです」


「メイビスを一人で残していくのは心配だし、様子を確認したらすぐに引き返そう。あくまで出口につながる何かがあるかどうかの確認」


「ええ。ジルの方針に従います」


 そうして俺達は何かに導かれるように海中へと続いていそうな道を歩き出す。


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