§076 雪解け
「それはレリアちゃんが好きだから……ですか?」
「……す、き?」
その言葉に俺は一瞬、言葉を詰まらせる。
好きかと真っすぐ問われると……いや……なんというか……。
どう答えたものかと思ったが、俺は自身の感情に忠実に答える。
「俺は恋愛とかそういうものには疎くて、正直『好き』という気持ちはわからない。でも、レリアは俺にとってとても大切な人なんだ。それは命を賭してでも助けたいくらい」
「…………」
俺の返答にメイビスはしばし言葉を失っているようだった。
赤い宝石のような瞳をこれでもかと見開き、呼吸するのも忘れてしまったかのように、真っすぐに俺を見つめてくる。
けれどそんな沈黙もいずれ終わりを迎え、メイビスはハッとしたように身体をビクリとさせると、少し気まずそうに視線を伏せた。
「貴方はもう少し損得勘定ができる聡明な方だと思っていました」
「……損得勘定か。損得勘定ができることが聡明であるなら、俺は別に聡明でなくてもいいよ。俺は自身の意思に従っただけだ。それに損得勘定って言うなら、逆にメイビスはどうして俺のことを助けてくれたんだ? それこそメイビスだって死ぬ可能性もあったんだぞ。今もこんなに怪我をして」
しかし、メイビスはまたもやキョトンとした表情を浮かべて、小首を傾げる。
「そんなの当たり前じゃないですか。貴方はレリアちゃんを助けるために苦肉の策とも言える重力魔法を使用しました。ということは、貴方の魔法では落下に対応できる魔法がないことは明白。なので、水属性魔法を扱える私が助けなきゃと……思ったわけです」
言葉とは難しいもので、メイビスの返答は確かに「どうして俺を助けたか」の理由ではあったが、俺が知りたい「どうして俺を助けたか」の理由ではなかった。
俺が知りたかったのは、仮にそれが打算的な考えでもいいから、例えば、俺が死ぬと共闘関係が反故になってしまうとか、
しかし、自分でメイビスの回答を予測していたらなぜか悲しい気持ちになってきたので、この点はこれ以上追及しないことにする。
「やっぱり俺達が助かったのはメイビスの魔法のおかげってことか?」
「ええ、水をクッションにすれば落下の衝撃を和らげることができると思いましたので」
「そういうことか。ありがとう、メイビス。おかげで命拾いしたよ」
「構いませんよ。さっきは謝ってくださいと言いましたが、別に怒っているとかそういうわけではありませんので。まあ、よろしければ貸し一個ということにしておいてください」
「ああ、この借りはちゃんと返すよ」
水魔法でクッションとは、やはりメイビスの固有魔法はかなり自由度の高い魔法のようだ。
ただ、『水属性魔法』という言葉に微かな違和感を覚えた。
というのも、俺が起きた時、周囲に水の気配はなく、特に服が湿ったりもしていなかったからだ。
俺達はそれほど長い間、気を失っていたということだろうか。
それに……俺が意識を失う直前、メイビスが唱えていた詠唱は、今までメイビスが固有魔法を発動するときに唱えていた詠唱とは随分趣が違ったような気が……。
その疑問をメイビスに伝え、問うことにした。
「メイビスのあの魔法は本当に水属性魔法なのか?」
メイビスはその質問にとても驚いた表情を見せた。
でも、観念したかのように薄く笑う。
「早速バレちゃいましたね。まあ、詠唱を聞かれてしまいましたし、仕方ないですが……。ええ、あれは水属性魔法ではありません。私の本当の固有魔法【
そこまで言ったメイビスは俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「軽蔑しましたか? 共闘関係を持ちかけたのに、私は固有魔法を秘匿し、嘘の固有魔法を教えていたのですから」
けれど、俺はその言葉に首を横に振る。
「いや、本来、固有魔法はそう簡単に明かすものではないことは十分わかっているよ。その点は俺が特殊なだけだ。それにメイビスはそこまで明かしたくなかった固有魔法を、俺を助けるために使用してくれた。それなのに軽蔑も何もないだろう」
俺の反応が意外だったのか、目を見開くメイビス。
ただ、すぐに表情を戻すと「これで貸しはやっぱりチャラでいいです」と言って、視線を遠くに向けた。
「微かにあちらから風の流れを感じます」
メイビスが暗闇のある一点を見つめる。
もう固有魔法の話は終わりということのようだ。
「ということは出口があるということか?」
「例の索敵魔法で探れませんか? 何となくですが、この先に何かある気がするんです」
完全に
この状況を考えれば、少し時間がかかっても広い魔法陣を描いた方がいいだろう。
「わかった。ちょっと待っててくれ。大きめの魔法陣を描くから」
俺は一分ほどかけて、半径五百メートル四方の魔法陣を描いた。
しかし、描いたはいいが、どういうわけか、その精度はイマイチだった。
別に魔法陣を失敗したわけではないのだが、脳に届く情報は朧気で、まるで視界に靄がかかったような感じだった。
「どういうわけかうまく索敵ができないみたいだ。メイビスの言うとおり、あっちに何か大きなものがあるのはわかるんだけど、正確に何があるかまでは把握できそうにない」
「ここはダンジョンの深層。もしかしたら、阻害魔法か何かが貼られているのかもしれないですね。いずれにせよ、あちらに何かありそうなのであれば、向かってみるべきでしょう」
そう言ってメイビスが俺の介抱から身体を起こそうとした瞬間――
「い、痛っ」
小さく声を上げ、右足を押さえた。
「メイビス!」
俺はそんなメイビスを再度抱きかかえるように身体を支える。
「大丈夫か。怪我でもしたのか」
「ん、少し捻ってしまっただけだと思います。こちらも唾でもつけておけば……っ痛!」
強がってはいるが、痛みに思わず顔を歪めるメイビス。
「ちょっと見せてみろ」
俺は拒もうとするメイビスを遮ると、急いで足に視線を移す。
すると、足首が風船の如く晴れ上がり、青黒く変色していた。
これは完全に骨折だった。
「手当をする。ちょっと痛いかもしれないが我慢してくれ」
そう言うと俺は自身の服を引きちぎり、近くにあった棒を支えに取った。
「ちょっと! ジルベール君、何やってるんですか! 私なんかのために!」
そんな俺の行動に大きな声を出すメイビス。
「服なんて買い替えればいいだけだろ。それよりもメイビスの足だ。俺の友達にアイリスという治癒魔法のスペシャリストがいるからおそらくこの怪我なら治せる。ただアイリスも怪我の状態が悪いとどうにもできないと言っていた記憶がある。今はこれ以上悪化させないように応急処置をしておくべきだ」
俺はメイビスの返答を待たずに、昔に習った救護術をどうにか思い出しながら、服を包帯、棒を添え木代わりに足首の固定に取り掛かる。
「足首は出来る限り動かすな。あと、包帯は少しキツめに縛るがしっかりと固定するためだ。我慢してくれ」
「…………」
慣れない応急処置。
そんな状況に汗を流していると、ふいに頭上からメイビスの声が響いた。
「……なんで私のためにこんなにまでしてくれるんですか? 私はレリアちゃんじゃないのに」
その声は今までの全てを見透かしたような余裕に満ち溢れたものとは打って変わって、どこか不安げでまるで道に迷った少女のような声だった。
俺はその変化に思わず視線を上げる。
すると、メイビスの宝石のような赤と青の双眸が、俺のことを真っすぐに射貫いていた。
「私がジルベール君を助けたから借りを返してくれているのですか?」
「そんなわけあるか。友達が怪我しているのに助けないわけないだろ」
「友達って……。私とジルベール君は別に友達でもなんでもないでしょう。あくまで共闘関係を結ぶかどうかの関係。それにジルベール君は私のことを相当怪しんでたじゃないですか?」
「そりゃ最初はな。いきなり共闘関係を持ち掛けられて怪しまない方がどうかしてる。でも、メイビスにはいろいろ助けられているというのもあるけど、何て言うか……一緒にダンジョンを攻略しているのがすごい楽しかったというか。ほら、俺にもレリアにも魔法のことをいろいろ教えてくれたし」
「…………」
「それで単純かもしれないけど思ったんだ。共闘関係とかそういう打算と上辺に満ちた関係ではなく、メイビスと本当にパーティが組めたら楽しいだろうなって。だからメイビスがどう思っているかは知らないが、少なくとも俺はメイビスのことを『友達』だと思ってるよ」
そこまで言って俺は目を伏せ、足首の固定に戻った。
メイビスはそれから言葉を発しなかった。
俺が応急処置をするのを静かに見つめるメイビス。
頭上で微かな息遣いが聞こえる。
そんな状況が数分間続いた後、メイビスがやっと口を開いた。
「ジルベール君は不器用ですか。包帯を巻くだけに何分かかってるんですか」
「……はい」
すみません。
俺、こんなにも大がかりの応急処置をやるのは初めてなんです。
そんな俺を見かねたのか、メイビスの応急処置講座が幕を開けていた。
「足首に服を巻いたら今度はここに布を詰めてください。これをやらないと固定が完全になりません」
「……はい」
「あとそちらに落ちている棒も取ってください。一本よりも二本で固定する方がバランスがいいです」
「……はい」
「骨折は冷やすことが肝心です。あとで私が水を生成しますので、先ほどのハンカチを貸してください」
「……はい」
「あと……」
「……はい」
「……私なんかを友達だと言ってくれて、嬉しかったということだけは伝えておきます」
「ん?」
メイビスから予想外の言葉が出たような気がしたが。
俺は虚をつかれて、足首から視線を上げる。
すると、ほんのりと頬を赤らめ、俺からわざとらしく視線を逸らすメイビスの姿があった。
でも、メイビスは確かに笑っていた。
今までの余裕を窺わせる嘲笑のようなものではなく、まるでお菓子をもらった子供のような幼気な笑顔。
けれど、そんな表情を浮かべていたのも束の間。
すぐにいつもの余裕のある笑みに戻すと、少し強がった口調で言う。
「私はジルベール君を助けました。そして、私はジルベール君に助けられました。これで先ほどの貸し借りはプラマイゼロにしましょう。それでいいですか?」
「いや、俺は確かに助けられたけど、俺は別にメイビスの怪我を治したわけじゃないし。というか、元はと言えば、メイビスが怪我をしたのも俺の責任だし。だから、俺はメイビスに貸し一個ということでいいよ。いずれその貸しを俺に返させてくれ」
「……なるほど。ジルベール君は意外に強情な性格をしてますね。まあ、ジルベール君がそういうならそれでいいでしょう。じゃあ今回は私のスカートの中を覗きまくったことを役得として許してあげます」
「へ?」
俺はその言葉に導かれるようにメイビスの足に視線を向ける。
すると、メイビスの今日の服装はスカートだし、足の応急処置のため膝も軽く立てた状態。
そして、その真正面にいる俺からはメイビスの白い太ももと、純白の下着が丸見えになっていた。
「ちょちょちょちょっと待て、メイビス。これは誤解だ。俺は決してスカートの中など見てないぞ。というか応急処置に必死で今まで気付いてもいなかった」
「今までということは、今は確と目に焼き付けたということですよね?」
「いや、それは……」
「まったくいけない人ですね。レリアちゃんにどう報告したものでしょうか」
「ちょ、それはちょっと待ってくれ。レリアは最近鬼の形相で……」
「ふふ、冗談ですよ」
そう言っていたずらに笑うメイビス。
メイビスの冗談は全体的に質が悪いのが多い。
というかどこまでが冗談でどこまでが本気かが読みづらい。
こいつ、今日のこと、いつかレリアに言いそうだよな……。
そんなことを考えていると、メイビスがパンと手を叩いた。
「さて、応急処置も終わりましたし、当初の予定どおり、あちらに向かいましょうか。杖などがあるとありがたいのですが、ここはお姫様抱っこで我慢しようと思います」
「お姫様抱っこはさすがに勘弁してくれ。おんぶでいいだろ? 両手が塞がると『魔法陣』が描けないんだ」
「そんな本気で言い訳しなくても、これも冗談ですよ。それでは……はい」
そう言って俺の背中におぶさるメイビス。
抱き止めた時ほどではないが、女の子特有の甘い香りと柔らかさが脳を支配する。
そうして俺達は風が流れる方向へと歩き出した。
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