§075 合流

「う……うっ……」


 俺は背中に伝わる冷たい感触に目を覚ました。

 ゆっくりと目を開け、鈍痛のする頭を軽く動かしてみるが、視界に映るのはどこまで続いているのかわからない漆黒の闇だけだ。


 寝転がったまま手指を動かして、自身の無事を確認する。

 若干ながら痛む箇所はあるが、命に別状はないみたいだ。


 レリアの身代わりに崩落に巻き込まれたところまでの記憶はある。

 けれど、それ以降の記憶については曖昧だ。


 一つ確かなことは、ここがダンジョンの深層であることだけだ。


 どれくらい落ちたのだろう……。

 どれくらいの時間が経過したのだろう……。

 ここは一体どこなのだろう……。


 そんな疑問が次々と湧いてくるが、ふと何か大切なことを忘れている焦燥感に駆られた。

 同時に崩落の時の記憶がフラッシュバックする。


「そ、そうだ! メイビス!」


 俺はメイビスを抱き止めた際の確かな温もりを思い出し、勢いよく身体を起こす。


 彼女は俺を助けるために穴に飛び込んでくれた。

 そして、落下の際、彼女は確かに詠唱していた。

 助かる術を持たなかった俺が今生きているのは、おそらくメイビスの魔法のおかげだろう。


 一緒に落ちたのなら、必ず近くにいるはずだ。


 俺はメイビスの姿を探して、もう一度周囲に目を向ける。

 すると、微量ではあるがここの壁にも上層と同様に光る鉱石が含まれているようで、さっきよりも目が慣れてきたこともあり、段々と視界がはっきりとしてきた。


 そして、いた。


 少し離れたところに、うつ伏せで倒れているメイビスの姿があった。


「メイビス!」


 俺は急いで立ち上がると、すぐさまメイビスの下に駆け寄る。


 メイビスは意識を失っているようだった。

 服はところどころ擦り切れ、足などには裂傷も見られる。


 上半身を抱き起こすと、まず尊いほどの綺麗な顔が視界に入ったが、石で切ってしまったのか、目の上から出血があった。


 幸い、深い傷ではなさそうだが、流血により顔の半分が赤く染まっている。


 俺は止血のため、額の傷にハンカチを押し当てる。


「うぅ……」


 すると、メイビスが微かに息を漏らした。

 どうやら意識が戻りつつあるようだ。


「メイビス」


 俺は少しでも楽な体勢にしようと、彼女の頭を膝の上に乗せつつ、彼女の名前を呼ぶ。

 そんな俺の声が届いたのか、メイビスはゆっくりと目を開けた。


「……ジルベール君?」


「メイビス。よかった」


 俺はメイビスの意識が戻ったことに安堵のため息を漏らす。

 彼女も意識が戻ったばかりで状況が飲み込めていないのか、虚ろな視線をこちらに向けている。


「……ここは?」


「俺にもよくわからないが起きたらこの暗闇だった。どうやらかなり深い階層まで落ちてしまったみたいだ……」


「……そうですか」


 そう言ってメイビスがハンカチを押し当てていた額に手を伸ばす。


「落下の際に瓦礫で切ったのでしょうね。でも、もうハンカチは大丈夫です。これくらいの傷であれば唾をつけておけば治ります」


 俺に気を遣ったのか、はたまた冗談なのか、メイビスがそんなことを言う。


 確かに傷は深くないかもしれない。

 けれど、今は傷口から流れ出る血により、メイビスは片目しか開けられていない状態だ。

 俺を見つめているのは、ルビーのような赤色の右目のみ。

 このまま流血が止まらなければ視野も狭くなるし、傷口が化膿してしまう可能性だってある。

 ここからすぐに出られる保証がない以上、無理は避けるべきだ。


 俺はその旨をメイビスに伝える。


「とりあえず応急処置として額に布を巻くから待ってくれ」


 その言葉を聞いて、メイビスは「あぁ」と小さな声を漏らした。


「ジルベール君は私の目を気にしてくれていたんですね? でも、それなら尚更大丈夫です。私、こちらの目は元々見えていませんので」


「え、」


 衝撃的な告白に俺は思わず声を漏らしてしまった。


「……見えてないってどういうことだ?」


「言葉どおりの意味ですよ。私の左目は幼い頃に視力を失っています。そのため、この状況は私にとって別にいつもと変わりありません」


 俺はメイビスの虹彩異色オッドアイを見た時、単純に「美しい」という感想が先行し、まさかメイビスが目に不安を抱えているなど夢にも思わなかった。


 そんな何とも言えないバツの悪さに、俺はつい謝罪を口にする。


「視力のこと、気付いてなかった。すまん」


 しかし、俺の言葉を受けたメイビスは不思議そうに軽く首を傾げた。


「なぜ謝るのです? 私が言っていなかったのですから、ジルベール君が知らないのは当たり前でしょう」


「それはそうかもしれないけど……」


「それにそんなことで謝るくらいなら、私は別のことを謝ってほしいですけどね」


「……別のこと?」


「ええ。貴方、あの状況を対処できる魔法を持っていませんでしたよね? どうしてあんな無茶をしたのですか?」


 メイビスの赤い瞳が真っすぐに俺を見つめる。

 彼女の性格からして決して怒っているわけではないのだろうが、普段のメイビスが放つオーラとはまた違った凄味のようなものを感じた。


「レリアが落ちそうになっていたから身体が勝手に動いたというか……」


「『身体が勝手に動いた』ということは、、後先考えずに行動に及んだということですか?」


「……そう、だな」


「人はそれを無謀といいます。自分が死ぬ可能性もあったんですよ。それをわかっているんですか?」


「……ああ。すまん」


 無謀か。そう言われると返す言葉もないな。

 実際、メイビスに助けられなければ俺は間違いなく死んでいたわけだし。


 でも……。


「でも……あそこでレリアを見殺しにするぐらいだったら、俺は自分の命なんていらない」


「え、」


 今度は俺の言葉にメイビスが声を漏らす番だった。


「もし頭で考えたとしても、俺はきっと同じ判断をするし、仮に今日と同じ出来事があと一〇〇回起こったとしても、俺は一〇〇回全てレリアを助けるよ。それは自信を持って言える」


「それはレリアちゃんがだから……ですか?」


 メイビスから紡がれたのは、そんな核心をついた一言だった。


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