§074 崩落

「――『揺蕩う光よ、彼の者に、魔力の加護を与えたまえ』――小さな魔力の加護マジック・セイブ――」

「――『水の神獣よ、一滴から始まる水竜の息吹となりて、我が手中に集え』――水竜の咆哮カリュブディス・ブレイズ


 魔物を二十体ほど倒し、俺達パーティは第七階層まで到達していた。


「メイビスさんに教えていただいた詠唱方法だととてもスムーズに魔法が発動できます」


「それはよかった。レリアちゃんの場合は『揺蕩う光よ』の詠唱はもう不要です。魔法というものは習熟度の上昇に伴って短縮詠唱が可能になります。レリアちゃんは既にその域に達していると見ました。次に小さな魔力の加護マジック・セイブを使う際は是非試してみてください」


「ありがとうございます。私も補助魔法だけでなく、メイビスさんのようにちゃんと戦闘に参加できる実力があればよかったのですが……」


「いえいえ、戦闘魔法だけが全てではないですよ。私もレリアちゃんの光魔法には助けられていますから。それにレリアちゃんも魔法の筋は悪くないです。あとは反復継続と……何かしらのきっかけがあれば大成できると思いますよ」


 戦闘を重ねるうちに、いつの間にかレリアとメイビスは完全に打ち解けていた。

 例の『適性外魔法研究』の授業からレリアとメイビスの間ではある種の信頼関係のようなものが芽生えていたのかもしれないが、今ではレリアのそれも尊敬の眼差しに変わっている。


 正直、俺もその評価には納得だった。


 メイビスは中距離から遠距離の魔法を得意とする魔導士。

 小柄で細身な体格ゆえ近接戦闘はあまり得意ではないようだが、強力な固有魔法を有しているほかにも、彼女は短所を補って余りある特筆すべき長所があった。


 それは魔法に関する知識だ。


 彼女は魔法の造詣がとてつもなく深く、なおかつ、教えるのが上手なのだ。


 古代魔法である『魔法陣』を扱う俺に対してはさすがにアドバイスはできないようだが、ダンジョン攻略中、メイビスはレリアには積極的にアドバイスをしており、結果、レリアの魔法効率は各段に上がっていた。


 俺はそんな魔法談義を繰り広げる彼女達を遠目に見つめる。


 思えばレリアが友達と呼べる同性は、俺が知る限りだとアイリスだけだ。

 王立学園に入学する前のことは知らないが、周囲から不遇な扱いを受けていたという話だし、おそらく同性の友達などはいなかったのだろう。


 アイリスが妹なら、メイビスは歳の近いお姉さんと言ったところだろうか。

 深い造詣を持ち、リードしてくれる、頼り甲斐のある存在。


 俺はもちろん何かがあればレリアの力になりたいと思っているし、レリアが窮地に陥ったら命を賭してでも守る気でいる。

 ただ、それとは別に、いろんな意味でメイビスみたいな存在は必要なのかもしれない。


 そう考えると、先ほどまで頭を悩ませていた固有魔法だの、共闘関係だの、利害だの、目的だの、打算などは度外視で、このままレリアとメイビスが心を許し合える仲になれれば、それはとても嬉しいことだと思うに至っていた。


「メイビスは本当に魔法の知識が豊富だな」


 俺はレリアと談笑していたメイビスに声をかける。


「お褒めにあずかり光栄です。私は身体があまり強くない分、魔法の知識でそれを補おうとしました。子供の頃から時間があれば魔導書を読みふけっていましたし。もし、今年の王立学園の入学試験が例年通りの筆記+魔法実技だったら、間違いなく私が首席でしたよ?」


 メイビスの目が真っすぐに俺を見つめる。

 そして、しばしの沈黙の後、メイビスは「ふっ」と笑みを零した。


「と、ちょっと意地悪が過ぎましたかね。でも、魔法の知識についてはそれなりに自信がありますので、もしよろしければ、ジルベール君にも水魔法をお教えしますよ? 今後、火属性の魔法だけでは苦しい状況が来るかもしれないですし」


「……確かにな」


 それはかねてから思っていることだった。

 適性外魔法を使うことの弊害としては、発動に膨大な時間がかかること、大幅に魔力を消耗することの二点が挙げられていた。

 しかし、俺には前者の問題は生じ得ないので、一般的な魔導士よりも適性外魔法を覚える実益が大きいのだ。


「じゃあせっかくだし、お願いしてもいいか? 俺も他属性の魔法には興味があったんだ」

「ええ、もちろん:


 そうして、俺は休憩も兼ねてメイビスの水魔法に対する理解を教えてもらった。

 それは大変有意義なものだった。

 もちろん俺は火属性の魔導士であるため水魔法をメイビスほど自由自在に扱うことはできないだろうが、次の『適性外魔法研究』の授業の際に試してみようと思える程度には理解を深めることができたつもりだ。


 そうこうしているうちに俺達はゴールである第十層の目前まで来ていた。


「さて、地図上だともうすぐ第十層に降りる階段ですよね。他のパーティとは幸いというべきかまだ遭遇しておりませんが、このペースならおそらく私達のパーティが優勢でしょう。ただ、油を売っていてはウサギさんになってしまいますので、先を急ぎましょうか」


「ああ、そうだな」


 そうして俺はレリアにも「もう一踏ん張り」だと最後の発破をかけようとする。

 しかし、彼女が先ほどまで立っていた場所に視線を向けると――そこにいるはずのレリアの姿がなかった。


「あれ?」


 俺は一瞬焦ってすぐさま多重展開の領域ドミネーティング・フィールドでレリアの位置を探る。

 すると、俺達が立っていた場所からは死角になっていた岩陰の窪み。

 その先でこちらに手を振っているレリアの姿があった。


 俺は肉眼でもレリアの姿が確認できたことで安堵のため息を漏らす。


「レリア! 勝手に動き回ると危ないぞ!」


「ジルベール様が索敵してくださっているので大丈夫ですよ! それよりも見てください! こんなところに宝箱がありますよ!」


「「……宝箱?」」


 レリアの言葉に顔を見合わせる俺とメイビス。

 そんな俺とメイビスが叫んだのはほぼ同時だった。


「待て! レリア!」

「待って! レリアちゃん!」


 しかし、俺達の声が届くのが一瞬遅く……レリアは既にその宝箱に触れてしまっていた。


(ガコッ)


 何かが外れる音が静寂を壊し……。


 途端、まるで断層がズレたような激しい揺れが俺達を襲った。


 俺は即座に視点を足元に移動させると、なんと、今まで俺達が踏みしめていた地面が脆くも崩壊し始めていたのだ。


「まずいっ!」


 俺は咄嗟に地面を跳ね退け、どうにか崩落を免れている地面へと跳躍する。

 しかし、次の瞬間に俺の耳に届いたのは女の子の悲鳴だった。


「きゃぁぁぁ――――!!」


 俺はすぐさまその声に目を向けると、目に写ったのは崩落に巻き込まれたレリアの姿だった。

 崩落の原因は宝箱に仕掛けられたトラップ

 そのため、俺がいた場所よりも早く崩落が始まっていたのだ。


「レリアっ!」


 俺は瞬間的な判断で自身の魔法の中から――超重力の罠グラビティ・バインド――を使うことを選択した。


 レリアをどうにか少しでもこちらに引き寄せることができれば俺の手が届く。

 そう考えたからだ。


「――超重力の罠グラビティ・バインド――! レリアをこちらに引き戻せ!」


 すぐさま展開した魔法陣はレリアをこちらに引き寄せる。

 しかし、当然落下の重力を打ち消せているわけではないため、レリアの身体は少しずつ落下していく。


「……ジ、ジルベール様」


 苦痛の表情を浮かべながら、必死にこちらに手を伸ばすレリア。


「あと少し……」


 俺も腕が引き千切れんばかりに目一杯手を伸ばし……そして、レリアの手を掴んだ。


 ――が、引き上げるには俺の力が足りなかった。


 レリアの身体と共に俺の身体も徐々に深淵へと引きずり込まれていく。


 ……このままでは二人とも落ちる。


 そう判断した俺は自身の体重の反動を利用して、レリアを力一杯地上へと放り投げた。


 同時に俺とレリアの位置が入れ替わる。

 結果、レリアはどうにか地表に到達したが、代わりに今度は俺の身体が宙へと投げ出された。


「ジルベール様!」


 レリアの悲鳴が木霊する。


 レリアを助けられたのはいいが、このままだと俺が死ぬ。

 どうにかしなければ。


 着地点を失った俺の身体は慣性に従ってそのまま深淵へと落下を始める。

 まるでスローモーションのように流れる時間の中、俺は自分の手札の『魔法陣』を想起する。


 深紅の火山弾ヴォルケーノ・バレット

 爆炎の壁ファイア・ウォール

 超重力の罠グラビティ・バインド

 多重展開の領域ドミネーティング・フィールド


 しかし、この状況を回避できる術は思いつかなかった。


 ああ、落ちる……。

 さすがに今回はアウトかもしれない……。


 そう思った次の瞬間、俺の脳を震わせるほどの大きな声がダンジョン内を響き渡った。


「ジルベール君っ!」


 俺は目の前の光景に大きく目を見開いた。

 なんとメイビスが自ら崩落した穴に飛び込み、俺にどうにか近付こうと必死に手を伸ばしてきたのだ。


 徐々に俺とメイビスの距離が縮まり、お互いの手が触れ合う。

 ……それと同時に俺はメイビスのことを抱き止める。


 メイビスの身体は想像以上に華奢で、上気した体温がはっきりと伝わってきた。


「ジルベール様――ッッ!」


 既に遠退きつつある地上からレリアの声が聞こえる。

 ただ、もっと近い場所から別の声が聞こえた。


「――『その流れは止まることを知らず、だからこそ儚く美しい』――」


 それはメイビスの詠唱うただった。


「メイビス……」


 俺は急激な重力負荷により薄れつつある意識の中、彼女の名前を呼ぶ。


「――『流れに身を任せれば、私は全てを忘れられる』――」


 しかし、彼女はそれに応えない。


「――『ならば私は従おう。それこそが大切なものを守る麗しき心だと信じて』――」


 ただただ心地よくも儚い詠唱が展開され、最後に俺は聞いた。


「――流麗魔法【遥かなる流れラスト・ストリーム】――」


 そんな一片の魔法名を。


 しかし、そこまでが限界だった。

 重力の急激の変化に意識は薄れ、ついには視界は暗転した。


 そして、俺とメイビスはそのままダンジョンの下へ、何層も何層も落ちていったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る