§062 Sクラス

 実際にSクラスに訪れてみると、そこは教室というよりは講堂という言葉がピッタリの空間だった。

 すり鉢のように入口から教室全体が下に降りていく構造で、全員が見渡せる最深部には黒板と教壇、そこから放射線状に階段が伸びて、段々になる形に生徒用の机が配置されている。


 各クラスの人数は約十五名のはずだが、十五名で使用するには若干広すぎるくらいの教室だった。


 俺はとりあえず教室を見渡してみる。

 すると、予想はしていたが、教室の中にいた生徒が一斉にこちらを見た。


(出たよ。首席合格者様。一丁前に女の子なんか引き連れやがって)

(あいつ入学試験ではどんなイカサマしたんだろうな)

(どうせすぐに化けの皮が剥がれるだろ。なんて言ったってここは選りすぐりの生徒のみで構成されるSクラスなんだから)


 本当にみんな噂話が好きなことだ。

 俺は朝から代わり映えのしない皆の反応に軽く嘆息しつつ、こういう輩にはなるべく関わるまいと無視を決め込むことにする。


「ジルベール様! レリアちゃん!」


 そんな矢先、俺達の名前を呼ぶ声があった。


 俺とレリアは声のした方向に目を向ける。

 すると、小動物のようにトコトコとこちらに駆け寄ってくる少女が一人。

 アイリスだった。


「アイリスちゃん!」


 レリアはアイリスの姿を認めると、歓喜の声を上げて自らも駆け寄る。

 そして、二人はまるでハイタッチをするかのようにお互いの両手を絡め合う。


「アイリスちゃん、同じクラスだね! 久々に会えて嬉しいよ」


「私もですぅ。レリアちゃんも元気そうでよかったですぅ」


 口々に再会の挨拶を交わし合う二人。

 アイリスはレリアが唯一敬語抜きでしゃべれる存在だ。

 それだけお互いに気を許し合っているということだろう。

 じゃれ合う二人はまるで姉妹のようで、周囲の厳しい視線に晒されてすっかり固くなっていた俺の頬も自然と綻ぶ。


「アイリスちゃん、制服似合ってるよ。すごい可愛い」

「えーそうかな? わたし、こんなに短いスカート履くの初めてなので、少し恥ずかしいですぅ」


 レリアと同じことを言ってるなーと思いながらも俺はアイリスに目を向ける。


 そう。当然のことながら、今のアイリスも制服姿なのだ。

 これまた勝手な話なのだが、俺の中では「アイリスは黒い服以外ありえないだろう」と決めつけていた。

 というのも、アイリスの特徴は何と言っても目にかかり気味の黒髪だ。

 それに入学試験の時に纏っていたローブが濃紺だったことも相まって、俺の中ではアイリスの印象は完全に「黒」で定着してしまっていたのだ。


 しかし、いざアイリスが白色の制服に袖を通してみると、これがまた似合うのだ。


 アイリスは露出を嫌ってなのか、白服の上から黒色のカーディガンを羽織っている。

 しかし、このカーディガンが良い感じの差し色となって、幼さの残るアイリスの可愛らしさを十二分に引き立てていたのだ。


 レリアとはまた違った魅力に思わず言葉を失っていると、アイリスの視線がこちらに向いた。


「ジルベール様もお久しぶりですぅ。わたしの成績でまさかジルベール様と同じクラスになれるとは思っていなかったので、クラス分けを見た時は驚いて腰を抜かしてしまいました」


 そう言って純粋無垢で屈託のない笑顔を振りまくアイリス。

 そんな穢れのないアイリスの笑顔を見たら、わずかでも制服姿のアイリスを邪な目で見てしまっていた自分が恥ずかしくなってきた。


 俺は自らを戒めて気を取り直すと、アイリスに笑顔を向ける。


「ああ、久しぶり。俺もまさかこんなにクラスに見知った顔がいるとは思わなかったから正直かなり驚いてるよ」


「やっぱりそうですよね。わたしも知り合いが誰もいなかったらどうしようと内心不安で仕方なかったのですが、予想以上に知っている方が多くて逆に安心しました。ほら、入学試験の時に一緒だったユリウス様も同じクラスなんですよ」


 そう言ってアイリスはユリウスが座っている席に視線を向ける。


 ユリウスは入学試験の時にアイリスとペアだった緑髪に眼鏡が特徴的な侯爵家の嫡男だ。


 俺とユリウスの関係性は、はっきり言ってしまえば微妙。

 入学試験の時にはひと悶着あったし、おそらくユリウスの方が俺にいい印象を抱いていないだろうと思う。

 そんな事情のため俺は特別ユリウスと話したいというわけではなかったが、アイリスは俺に気を利かせてくれたのか、「ユリウス様―!」と空気の読めない大きな声で彼の名前を呼んだ。


 そんな突如として教室内に響き渡ったアイリスの声に、コーヒーを啜りながら優雅に本を読んでいたユリウスは、思いっきりコーヒーを吹き出していた。


「ぶはっ! な、なんだよアイリス! オレは侯爵家の人間だぞ! 気安く呼ぶなと言っているだろ!」


 そんなアイリスに向かって顔を真っ赤にするユリウス。


「あっ、ユリウス様、すみません。ジルベール様達がいらっしゃったので挨拶をされてはどうかと思いまして……って、あ、ユリウス様、コーヒーが!」


 よく見ると吹き出したコーヒーによってユリウスの高そうな服に染みができていた。

 それを認めたアイリスが心配そうにユリウスの下に駆け寄る。


 俺だったらあんな態度のユリウスに関わろうとも思わないが、アイリスはそんなことを歯牙にもかけることなく、自らのハンカチを取り出して嫌がるユリウスの服を拭いている。


 ユリウスは入学試験の際にアイリスに危害を加えた張本人。

 そのため、若干アイリスが気がかりで注意深く観察してみるが、ユリウスの態度に入学試験の時ほどの棘がないことがわかった。

 むしろアイリスの行動を受容しているところを見ると、実はあの態度も照れ隠しなのではないかと思えてくる。

 現に服を拭いてもらっているユリウスの顔は真っ赤だし、満更でもない表情だ。


「どんな話しているのでしょうね?」


 そんな二人に同じ感想を抱いたのか、レリアがいたずらっぽい表情を湛えながら言う。


「さぁ? でもなんだか二人、いい感じだな」


「ええ。とてもお似合いだと思います」


 そう言って俺とレリアは二人を優しく見守る。


 そして、しばしの間、二人は何やら言葉を交わしていたが、どうやらユリウスがアイリスに根負けしたようで、「まったく……なんでオレ様が……」とぼやきながらも、二人でこちらにやってきた。


「アイリスに呼ばれたから来てやったよ。入学試験の時は世話になったな」


 若干不貞腐れたような表情を湛え、俺とは視線を合わせようとしないユリウス。


「ああ、こちらこそ。そういえばちゃんとした自己紹介がまだだったよな。俺はジルベール・ヴァルター。せっかく同じクラスになったことだ。これからよろしく頼む」


 そう言って俺は握手を求めて右手を差し出す。

 そんな俺の態度が意外だったのか、ユリウスは驚いた表情を見せたが、ユリウスも同様に右手を差し出す。


「ユリウス・ルヴァンスレーヴ。……入学試験のことを今更謝るつもりはない。ただ、オレもいろいろと思うところができた。こちらこそよろしくな、ジルベール」


 そうして俺とユリウスはがっちりと握手を交わす。


 そんな俺達を嬉しそうに見つめるレリア。

 ただ、アイリスは何やら不思議そうにユリウスの顔を覗き込む。


「あれ? ユリウス様。少しお顔が赤いようですが、お熱でもあるのでしょうか。よろしかったら私の治癒魔法でも……」


「なっ///」


 その言葉にユリウスは既に真っ赤だった顔を更に真っ赤にする。


「うるさいな! オレ様は昨日からちょっと風邪気味なんだ! それなのにオレ様をこんなところまで引っ張ってきやがって」


「えー! それは大変ですぅ! じゃあ治癒魔法をかけますので手をお貸しください」


「だから大丈夫だって言ってるだろ! こんなの座っていれば治る!」


 やはりアイリスは少し天然なのかもしれない。

 アイリスに翻弄されているユリウスを見て、俺とレリアは笑う。


 どうやら入学試験の遺恨は本当に残っていないみたいだ。

 というかアイリスはそういうことは全く気にしない素直で優しい子だったのだ。


 俺はそんな二人が席に戻っていくのを見送り、改めて教室の中に目を向ける。


 すると、一番前の席に更に見知った顔があった。


 俺と同じ黒い制服に、やや暗めの茶髪。

 傍らにはメラメラと燃え盛る【焔の魔法剣】。

 そう。我が弟――セドリック・レヴィストロース――だ。


 ただ、今、俺達が会話を交わす必要はない。

 お互いの気持ちは既に入学前に言い合った。


 するとしばらくして、俺の正面の扉、すなわち、教壇の真後ろに設置されていた扉がガラリと開いた。


 その音に俺を含め教室内の視線が集中する。


 視線の集まる先。

 そこから悠然と姿を現したのは、御存知、シルフォリア・ローゼンクロイツ学園長だった。








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