§056 もう一人の首席
私、イーディス・メアリーは馬車に揺られながら、流れる景色に目を向けていました。
目の前には我が主君であるリーネ様。
組紐で結い上げられた金髪に真紅のドレス。
顔立ちは従者である私が見惚れてしまうほどに端正で、
リーネ様は何やら考え事をされているようで、先ほどから難しい顔をして軽く頬に手を当てています。
かく言う私は、昨日からリーネ様とまともに会話ができておりません。
というのも、昨日のレストランでのリーネ様からの叱責が尾を引いているのです。
リーネ様が既に怒りを収めていることはわかっています。
ただ、あのようにリーネ様から叱責を受けたのは初めてのことだったので、どうにも私の中で心の整理ができずにいました。
そんな心のモヤモヤのせいで、リーネ様に何と話しかけたらいいかわからなくなってしまったのです。
「メアリ―、昨日のことを気にされているのですか?」
そんな私を見かねたのかリーネ様が先んじて私に声をかけてくれました。
とても朗らかな笑顔。
従者である私が主君に気を遣わせてどうすると思いながらも、私はどうすることもできず、素直に心の内を吐露します。
「申し訳ございません。リーネ様からあのように叱責されたのは初めてのことだったもので、少しばかり心の整理がついておりませんでした」
「そう言われるとそうかもしれませんね。何せわたくしには友人がおりませんから、友人のことであのような気持ちになったのは初めてかもしれません」
「ご友人ですか……」
私は昨日の黒髪の少年を想起します。
……果たして彼の者がリーネ様のご友人たる資格を有するか。
リーネ様は齢五歳の頃に野盗に襲われる事件がありました。
ただ野盗というのは表向きの話。
真実はおそらく暗殺です。
リーネ様はその惨劇を奇跡的に生き延びることができましたが、大変残念なことに、母君と妹君を失いました。
もしリーネ様が生きていることが知れたらまた命を狙われる。
そう考えたリーネ様の父君は、苦渋の末、リーネ様を表舞台から消す、つまりリーネ様を死んだことにする決断をされました。
そこからのリーネ様の生活は、辺境での軟禁生活だったと聞いております。
外出は当然の如く制限され、ほとんどの時間を部屋の中で過ごされたとのこと。
当然友人と呼べる者はおりません。
そんなリーネ様に転機が訪れたのが、齢十二歳の『啓示の儀』です。
リーネ様は類まれなる【固有魔法】の所持者に選ばれました。
その固有魔法は大変強力なもので、リーネ様の父君もこれであれば自身で身を守ることができると判断されたのか、利用価値があると判断されたのかは定かではありませんが、ほどなくしてリーネ様の軟禁を解かれました。
約十年の歳月を経て、日常生活を取り戻されたリーネ様。
リーネ様はお立場はもちろんのこと、類まれなる固有魔法を所持した上に、あの美貌です。
各界から引く手数多なのは言うまでもなく。
富、欲、地位、名声。
良からぬ思惑を持ってリーネ様に近付いてくる輩は大変多いです。
そのため、私はそんな魔の手からリーネ様をお守りする必要があるのです。
今までも人知れずそういった輩は闇に葬ってきましたし、これこそがリーネ様の筆頭従者であるイーディス・メアリーの務めであると思っています。
……ただ。
昨日は不覚にもどこの馬の骨ともわからない者の接触を許してしまいました。
そして、どうやらリーネ様はあの者に少なからず熱を上げている模様。
軟禁生活下のリーネ様の唯一の心の支えは、例の
『賢者物語』は敵国の将官と姫君が許されざる恋に落ちるお話。
もちろん恋愛は自由です。
リーネ様には純粋に好きな方と一生を添い遂げてほしいと心より思っています。
リーネ様は大変聡明なお方なのですが……一点、欠点を挙がるとしたら……少々夢見がち……いえ、純粋なところがあるというか、『賢者物語』のヒロインをご自身と重ねられている節があるところです。
もちろんそれが完全に悪いと言うつもりはないのですが……あまりにもチョロ……いえ、自身のお立場を弁えた判断をしてほしいとは思っております。
何より、リーネ様には成し遂げられなければならない目標があります。
そのため……私は時には心を鬼にして、リーネ様の交友関係に口を出さなければなりません。
「ちなみになのですが……あの者……いえ、あのお方とは、どこでお知り合いになられたのですか?」
とりあえずは彼の者の情報収集です。
もし王国のそれなりの家柄の者でしたら、恋愛云々はとりあえず置いておくとして、リーネ様の目標の一助になるかもしれません。
「オリオン座で声をかけられました」
「え? (それってナンパってやつでは?)」
という言葉が口をついて出そうになりましたが、どうにか踏みとどまります。
声をかけられたというのは、一体どういったシチュエーションでしょう。
「えぇ~っと、リーネ様はあの方にオリオン座で突然声をかけられて、ほいほい付いて行かれたということでいいですか?」
私は恐る恐る尋ねます。
「失礼ですね。それではナンパと一緒ではないですか。ジルはわたくしがイヤリングを失くして困っているところを見つけてくださったのです」
……ジル。
随分と親しげな呼び方をしているようですが、まあ呼び方は置いておくとして。
なるほど。右耳に光るイヤリングはリーネ様の母君からの形見。
それを見つけてもらってコロッといってしまった感じですね。
もちろん善意によるものであることは否定できませんが、イヤリングの紛失自体が彼の者の策謀である可能性は否定できません。
私は更なる追及をはかります。
「それで、せっかくの出会いですしランチでも?といった感じに誘われたんですか?」
「あ、それはわたくしが言った台詞、そのままですね」
「(ってリーネ様からナンパしてどうする!)」
私は心の中で盛大なツッコミを入れます。
「メアリー? 何か言いました?」
「い、いえ。何でもありません」
私は額の汗を拭いながら、頭をフル回転させます。
そ、それにしてもリーネ様、さすがにチョロすぎるでしょう。
いくら恋愛経験が乏しいからって淑女であるリーネ様が……。
これではどっちがナンパしているのかわからないじゃないですか。
というかリーネ様の話が正確であるならば、もう彼の者は純粋に良い人ですよね。
逆に文句をつける要素が無くなってしまいました。
あ、重要なことを聞き忘れてしました。
家柄はどうなのでしょうか。
「あのお方は
そんな私の質問にリーネ様は不思議そうに首を傾げます。
「身分など知りませんわ。わたくしが知っているのは、ジルベールというお名前と、ジルが大変心優しいお方というだけです」
その言葉を聞いて、私は深く深く嘆息します。
恋は盲目と言いますが、ここまで盲目なのはどうなのでしょう。
リーネ様は確かに普段から『身分』というものにはそれほど頓着されないタイプです。
それでもお相手の家柄すらも知らないというのはさすがに……。
私は決めました。
昨日、リーネ様から「友人を侮辱するな」と叱責を受けたばかりですし、もしかしたら、また叱責を受ける結果になるかもしれません。
でも、私は筆頭従者として、心を鬼にして言わなければならないのです。
「リーネ様、昨日のこと、自分としてもリーネ様のご友人に大変失礼な態度を取ってしまったと反省していたところです。ただ、リーネ様に仕える従者として、これだけは言わせてください。――この大切な時期の軽率な行動はお慎みください……と」
「…………」
「私はリーネ様が色恋沙汰に現を抜かしているから申し上げているわけではありません。もちろんジルベール様の身分云々の話をしているわけでもありません。私はただご自身のお立場を理解してくださいと申し上げているのです。その点は貴方が一番よくおわかりですよね? ――エリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニア皇女殿下」
私が語気を強めたことにより、リーネ様の表情も今までの柔和なものから少なからず真剣なものへと変わります。
「リーネ様は大変お強く、大変聡明です。少し夢見がちなところを除けば、リーネ様に勝る才媛は我がアウグスタニア皇国にはいないでしょう」
「ちょ、メアリー。夢見がちって……」
「言い過ぎではありません。オリオン座でリーネ様を見失ってしまったのは私の落ち度ですが、護衛も従者も付けずに他国をうろつく皇女がどこにいますか。ましてやリーネ様は帝位継承権第二位なのですよ? いつ暗殺されてもおかしくないお立場なのです。それなのに名前しか知らない、身分もわからないような者と食事を共にするなど……」
そこまで言って私は一度息を置き、少し声のトーンを下げて言います。
「それにリーネ様は今、大切な目標の真っ只中ではありませんか。それをこのような一時の感情の昂りで棒に振るようなことはしてほしくないと思っている次第です」
「メアリーの言っていることはわかるわ」
そんな私の言葉にリーネ様は特に悪びれる様子もなく、思案するように人差し指を唇に当てる。
「わたくしの最終的な目標は、兄様を殺して、皇帝となることよね?」
「はい。そのとおりです」
「ただ、わたくしの帝位継承権は第二位。このままではわたくしは皇帝にはなれない。そこで、皇族の力の埒外にある皇立アウグスタニア魔導学園に首席で合格して、次の王皇選抜戦で王立セレスティア魔導学園に圧倒的な勝利を収めることによって、有力貴族や学閥の支持者を集め、まずは一大勢力として台頭するというのが当面の算段だったわよね?」
「はい。そのとおりです」
「もちろんわかってるわよ。わたくしが他の帝位継承権者を倒して皇帝になるのがどれだけ棘の道か。色恋沙汰に感けて他の帝位継承権者に出し抜かれた時点でわたくしは終わりだし、もし兄様が皇帝になってしまったらその時点で皇国が終わる。……でもね」
そう言ってリーネ様はニヤリと笑う。
「わたくし、昨日一晩考えて気付いちゃったの。『これらのこと』と『恋愛をすること』は決して矛盾しないって」
「どういうことでしょう?」
私はリーネ様の話にイマイチ理解が追い付かずに首を傾げる。
「ほら、わたくしが皇帝になれなかった場合、父上はわたくしを政略結婚の道具として他国の王子や公爵家と結婚させるつもりだったでしょ?」
その言葉を聞いて私はハッと息を飲む。
「ほらね。わたくしが自由に恋愛をするには、わたくしが『皇帝になる』しかないの。それに今までわたくしの判断が間違いだったときがあった?」
「……あ、ありません」
「わたくしだって誰彼構わず交流を持とうと思っているわけじゃないの。こう見えても皇帝の娘。それなりに人を見る目はあると思っている。もちろんメアリーがわたくしのことを心配してくれているのはありがたいし、メアリーがわたくしに害成す者を人知れず遠ざけてくれているのも知っています」
「…………」
「それはそれで構わないと思っているし、その者達は所詮はその程度だとも思ってる。でもね、ジルは少しだけ違うの。彼からは全くの悪意を感じなかった。確かにわたくしは彼の出自を知らない。身分も知らない。それでもわたくしの心はときめいた。だから――」
――メアリーはわたくしの初めての恋を応援してくれるよね?
そう言ったリーネ様の瞳には灼熱の業火が宿っており、問いかけの形をとってはいるが、私が是というのを確信しているのが見て取れた。
……ああ、私はこの方にはどうあっても敵わない。
リーネ様と一緒にいると否応なしにこう感じさせられてしまう。
だからこそ、私はリーネ様を崇敬し、敬愛し、信頼しているのだ。
私は膝を付き、頭を垂れる。
「その恋路、お供させていただきます」
こうしてジルベールの与り知らぬところで、大きな恋が動き出そうとしていたのだった。
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