§055 運命
俺と真紅のドレスの彼女は、ランチの席についていた。
「本当にご一緒してもよろしかったのでしょうか。せっかく予約までされていたようなのに」
「もちろんですわ。一人で食べるよりも二人で食べる方が美味しいでしょ?」
そう言って小首を傾げながら上品な笑みを浮かべる彼女。
イヤリングを見つけたお礼。
そういう名目で俺は彼女からランチのお誘いを受けたのだ。
俺がしたことは(【速記術】は使ったが)ただ落ちていたイヤリングを見つけただけ。
だから別にお礼をされるほどのことでもないはずなのだ。
でも、俺は今回、彼女の申し出を受けてしまっていた。
これは他でもない。
『賢者物語』という共通の話題を持つ彼女との会話が「楽しい」と感じてしまったからだ。
先ほどは劇場のど真ん中で周りの目も忘れて『賢者物語』を演じるという失態を犯してしまったが、出来るならもっと語らいたい、
そんな気持ちが先行してしまった結果でもあった。
けれど、その判断は決して間違っていなかった。
二人の間にはお互いの相性を裏付けるかのように心地よく優雅な時間が流れた。
「申し遅れましたね。わたくしはリーネと申します」
「ジルベールです」
「……ジル。いいお名前ですね」
彼女は一度目を伏せて復唱するように俺の名前を呼ぶと、満足気な笑みを湛える。
「わたくしのことは気軽にリーネとお呼びください。親しき者は皆そう呼びます」
「……リーネさん」
「ふふ、ジルは真面目ですね。そういう誠実なところも嫌いじゃないですよ。でも、こういう出会いです。出来れば今日はお互いの身分などは忘れて語らい合いませんか?」
そう言って俺の反応を窺うように小首を傾げるリーネ。
俺はリーネの扇情的とも蠱惑的ともとれる瞳を向けられて、不覚にもドキリとしてしまった。
彼女はおそらく上級貴族の御令嬢だ。
先ほど拾ったイヤリング。
あしらわれていた宝石は見たことない素材のものだったが最高級の紅玉であることは疑いようがない。
彼女を彩る真紅のドレスだって、散りばめられた宝石にきめ細やかな薔薇の刺繍と、丹精込めて作れられた一級品であることが素人の俺でもわかる。
それに何と言っても彼女の佇まい。
彼女自身はかなり控えめで物静かな印象だが、言葉の端々から育ちの良さが伝わってくる。
侯爵位……。
もしかしたらもっと上の公爵位の御令嬢かもしれない。
そんな彼女からの「身分は忘れて」という提案。
本来であれば平民である俺はそんな提案に首肯してはならない。
けれど、彼女は本当に身分のことなど歯牙にもかけない様子で、偉ぶるわけでも、敬意を強要するでもなく、あくまで自然体で俺に接してくれている。
それに何よりも自然体で接することを彼女自身が強く望んでいるような気がした。
これは邪推になるのだが、「身分を忘れて」というのは「素性は詮索しないで」という意図が含まれているのだろう。
上級貴族もしがらみが多いということだ。
「そうですね。リーネがそう言うのであれば今日は無礼講ということで。俺も身分は気にせずに接しさせてもらうよ」
俺の返答を聞くと、溢れ出る喜びを隠しきれずに思わず破顔する彼女。
「はい。それでは今日は心行くまで『賢者物語』について語らいましょうね」
そこからはそれが必然であるかのように話に華が咲いた。
前菜として鶏肉とインゲン豆のクリームスープ。
メインディッシュとしてこのお店で一番人気のムール貝のトマトパスタが運ばれてくる。
そんな中、俺達は時が経つのも忘れて、
そして、自然な流れで食後の飲み物とケーキも頼むことに。
俺は珈琲のブラックを、リーネはダージリス産の紅茶を選んだ。
リーネは上品に紅茶を一口含むと、感慨深げに言う。
「実はこういうシチュエーションに密かに憧れていたんです」
「……こういうシチュエーション?」
「他国の殿方とお互いの素性も明かさずに時間も忘れて趣味について語らい合う。まさに『賢者物語』のようだと思いませんか?」
確かに『賢者物語』の主人公であるゲイルとフィーネの出会いはとある街。
本来交わることのない二人が偶然にも食事の席で隣り合わせになってしまったのがキッカケだった。
彼女はそのシチュエーションと俺達の出会いを重ねているのだろう。
ん? でも今彼女は『他国』って……。
「リーネはユーフィリア王国の出身ではないのか?」
お互いの素性には触れないようにしてきた。
しかし、どうしてだかわからないが、リーネのその言葉が気になってしまった。
「あら、わたくしとしたことがつい口を滑らせてしまいましたね」
リーネは両手で口元を覆うが、「仕方ないですわね」と言って語りだす。
「わたくし、実はアウグスタニア皇国の出身なのです。今日は偶々お父様の仕事がこちらでありました関係で同行させていただいたのです。実は……わたくしは訳合って、最近まで外出を禁じられていましたの。来る日も来る日も息苦しい部屋の中で同じことの繰り返し。そんなわたくしの唯一の心の支えが『賢者物語』だったのです。その
そう言っていたずらっぽくペロッと舌を出すリーネ。
「抜け出して? それはさすがにまずいんじゃないのか?」
「ふふ、わたくしの心配をしてくださるなんてジルは本当にお優しいですね。大丈夫!と言いたいところなのですが、さすがにそろそろ戻らないといけない時間のようです」
懐中時計を確認すると、ふぅと軽くため息をつく彼女。
そして、彼女は姿勢を改めると、
「というわけでジル、今日は本当にありがとうございました。イヤリングのことはもちろんですし、わたくしのわがままでランチにまで付き合ってもらって。久々に楽しい時間を過ごせましたわ。本当にこんなに笑ったのは何年振りでしょう」
「こちらこそ、リーネに楽しんでもらえたなら何よりだよ。俺も楽しかった」
そこで俺は躊躇していた質問をしてみることにした。
「リーネはすぐにアウグスタニアに帰るのか?」
「……ええ。明朝にはセレスティアを立つことになると思います」
彼女はそう言うとほんの少しだけ寂しそうな笑みを見せて瞳を揺らす。
「そうか、それは残念だ」
この言葉を聞いて……何となく俺と彼女はもう会うことはないのだろうと思った。
ユーフィリア王国とアウグスタニア皇国。
確かに国交が盛んではあるが、決して頻繁に往来できる距離ではない。
それくらい国が違うというのは大きな事情なのだ。
それに……これは上級貴族の御令嬢の一時の火遊び。
この場を離れれば、彼女は貴族に戻り、俺は平民のジルベール・レヴィストロースに戻る。
そう、これは泡沫の夢だったのだ。
だからこそ俺は『賢者物語』の一節を引用して、彼女の前途を祝する。
「――『また会う日まで。貴方の人生に幸多からんことを』――」
これは決して戻れぬ戦場に出るゲイルに対して、最期にフィーネが送った言葉だ。
もう一生会うことのないであろう友へ贈る言葉として、この言葉ならきっと彼女は喜んでくれるだろうと思った。
しかし、彼女の反応は俺の予想とは一八○度異なるものだった。
リーネは俺の言葉にほんのりと頬を赤らめると、蠱惑的な視線をこちらに送ってくる。
「ジルも同じ気持ちでいてくれたのが……すごく嬉しいです」
そう言って彼女はそのしなやかな指先でスッと俺の手を握る。
「ちょ、ちょっとリーネ」
俺の言葉が完全に誤解を生んでいる。
その事実は明白だった。
しかし、言い訳をする暇もなく突如手をギュッと握られたことに、俺は動揺し、思考は上書きされてしまった。
彼女から向けられる灼熱のような視線に心臓は早鐘のように鳴り響き、顔の温度もどんどん上がっていくのがわかる。
そんな俺を恍惚の表情で見つめた彼女は妄信したようにぽつりと呟く。
「……ジルは運命を信じますか?」
「……はい???」
更に彼女から紡がれた問い。
その予想もしていなかった言葉に俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんな俺を見たリーネは優しく微笑む。
「ふふ、わたくしは信じますよ。だって、わたくしはずっとこの時を待っていたのですから」
そう言って彼女が慈しむように俺の手をゆっくりと撫でる。
その瞬間――突如として、俺の緩く握った拳の中に何か硬いものの感触が伝わった。
俺はその違和感に手を開くと、そこには彼女のイヤリングと同じ紅玉をあしらったペンダントが顕現していた。
「……え?」
俺は驚きを隠せなかった。
もちろん彼女にいきなり手を握られたこの状況にも驚いているのだが……何よりもこのペンダントだ。
彼女は詠唱など一切していなかった。
彼女がしたことは俺の手を優しく撫ぜただけ。
それなのに突如として俺の手の中に紅玉をあしらったペンダントが顕現したのだ。
これは……魔法なのか?
それに……このペンダントの意味は一体……。
「……これは」
そんな気持ちが口をついて漏れる。
けれど、彼女はそんな俺の混乱を嘲笑うかのように、そのペンダントを俺の首にかけてきた。
「この紅玉は我が皇国にしか存在しない特殊な鉱石です。この紅玉には願いを叶える力あると言い伝えられています」
「願い?」
「ええ。わたくしがこの紅玉に込める願いは――『再会』――。『いつかまた会いましょう』という愛の契りです」
「あ、愛の契り?!」
確かにゲイルがフィーネに最期に送った言葉であるから、プロポーズの言葉と解釈できなくもないが……。
ただ、何の気なしに言った言葉が想像以上に大きくなっていることに、俺は大いに戸惑っていた。
俺はその言葉に思わず声を上げるが、彼女は期待を孕んだ爛々と煌めく瞳をこちらに向けてくる。
これは早いうちに訂正しないと大変なことになる。
少なからず彼女を傷付ける結果になってしまうかもしれないが、傷が浅いに越したことはない。
「あの……リーネ」
俺は誤解を解こうと、彼女に説明をしようとしたその瞬間――
「リ、リーネ様っ!」
――突如、甲高い声が木霊した。
同時にレストランの入口がけたたましく開いたかと思ったら、少女が一人、勢いよく飛び込んできた。
栗色の髪を前でおさげにした少女。
瞳は髪と同色の茶色で、どちらかというと切れ長のため、少々キツイ印象を受ける。
特徴的なのは黒を基調としたフリルのついたメイド服だ。
この服装からすぐにこの少女がリーネの従者であることはわかった。
リーネは先ほど抜け出してきたことをほのめかしていたし、おそらく彼女を連れ戻しに来たのだろう。
それを証拠に、ドスドスと明らかに怒気を含んだ勢いで彼女は俺達のテーブルに真っすぐに向かってくる。
「リーネ様!
俺が思わずビクリとしてしまうほどの剣幕だ。
しかし、当のリーネはというとどこ吹く風で、まるでこれが日常とばかりに、淑やかに紅茶を啜っている。
「もうメアリーは過保護すぎるのよ。長い間こうやって街に出るのも禁止されていたんだし、ランチを楽しむくらい許可してくれてもいいのではなくて?」
どうやらリーネの従者はメアリーと言うようだ。
確かにメアリーの口調は大変厳しいものだったが、どこか表情は安堵しているようにも見えた。
主君がいきなりいなくなって焦っていたが、無事に見つかってホッとしたことにより、つい強い口調になってしまったというのが正直なところだろうか。
リーネの口調も俺に対するものよりも明らかに砕けたものだ。
このやり取りからも二人の間の絶対的な信頼関係が見て取れた。
「普通のランチなら私も目くじらを立てるつもりはありませんが……こんな……」
そう言ってメアリーは俺に対して決して好意的とは言い難い視線を向ける。
まあどこの馬の骨ともわからない男と主君が食事をしていてはこうなるよな。
事実、リーネはいいとこのお嬢様であることはまず間違いないし、ここはリーネに非難の目が向かないよう俺が道化を演じようとした瞬間――そんな俺の態度とは裏腹に、底冷えするような凄味のある視線を従者に向けるリーネの姿があった。
「メアリー、わたくしの友人を侮辱することは許しませんよ」
口調は静かなものだった。
けれど、リーネの今までの柔らかな空気感とはまるで違い、それはさながら王族の放つ威圧感のようなものだった。
「も、申し訳ございません」
これにはさすがのメアリーも肝が冷えたのか、一瞬目を見開いたかと思ったら、すぐさま頭を下げる。
それを見たリーネは軽く嘆息すると、場を繕うように今までの朗らかな口調に戻して言った。
「まあ、メアリ―に伝えずにランチに来てしまったのはわたくしの落ち度ですし、貴方がわたくしを心配してくださっていたのは大変よくわかりました。そんな貴方の優しき心に免じて、わたくしもそろそろお暇しましょう」
そう言うと今度はリーネの灼熱の双眸が俺の方を向いた。
「ジル。少々見苦しいものを見せてしまいましたね。このようにわたくしはそこまで自由な身ではありません。それでもわたくしは、この紅玉がまたわたくしたちを引き合わせてくれると信じております。その時を楽しみにしつつ、父の下へ戻ることとしましょう」
リーネはメアリーに声をかける。
「貴方もそろそろ頭を上げて。さぁ、行きますよ」
「はっ!」
リーネはゆっくりと席を立つと、真紅のドレスを翻す。
「では、ジルの人生に幸多からんことを」
「ちょ、ちょっとリーネ!」
俺は咄嗟にリーネを呼び止めた。
しかし、彼女は俺の呼びかけには応じず、店をそのまま立ち去った。
そんな彼女を俺は茫然と見つめる。
俺の頭は混乱していた。
リーネはこのペンダントを顕現させるとき全く詠唱しなかった。
この世界で『魔法陣』を除いて、無詠唱で発動できる魔法を俺は知らない。
でも、あれは俺が使っている『魔法陣』とは全くの別物だった。
となると、あれは一体なんだったのだろうか……。
そんなことをぐるぐる考えつつ帰途についた俺の胸には紅玉のペンダントが輝いていた。
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