§043 大切な人
私は事切れたようにドサリと膝をつくジルベール様を確とこの目で見届けます。
それはこんな『約束』を強要してしまった私の義務でもあります。
以前にジルベール様に咎められましたが、これは意識改変に近いものだとわかっています。
ジルベール様の瞳は全てが混濁したような黒。
そんな表情を見せられると、悔恨が胸を締め付けますが、もう決めたことです。
私は創世教の下に行きます。
正直、何をさせるのか不安でたまりません。【
でも、いいのです。
ジルベール様をお守りすることができたのですから。
そう。私が最も大切なもの……それはジルベール様の命です。
私はゴシゴシと涙を拭うと、ふぅと一呼吸置いて、覚悟を決めます。
決別とばかりにジルベール様を背にし、シエラ様に向かい立ちます。
「さあ、シエラ・ストエリゼ。『約束』です。あなたは無駄な殺生はしない。ジルベール様の命を奪わない。それを守れるのであれば、私はあなた達についていきます」
私にジルベール様とのお別れの時間を与えてくれたシエラ様には、当然恨みの感情はありますが、素直に感謝の意を表します。
おかげ様で最後には自分の気持ちを……私の最も大切な気持ちを……伝えることができました。
これで心残りはありません。
終始、静かに佇んでいたシエラ様が口を開きます。
「中々感動的なものを見させていただきました。ええ。誓いましょう。私は嘘はつきません。約束は必ず守ります」
「『約束』です!――闇魔法・
私の宣言とともに先ほどと同様の黒い光が顕現し、今度は一切の迷いなく真っすぐにシエラ様の下へと向かいます。
「その少年に行使したものと同じ魔法ですね。少年に『忘れる』を強要できたところを見ると、精神作用型の闇魔法といったところでしょうか。発動条件はお互いの同意。実に清々しい魔法ですね」
そう言ってシエラは瞑目すると、両の手で黒い光が吸い込まれた胸元を愛おしげに包み込みます。
……終わった。
光の行方を見送った途端、身体から急激に力が抜け、思わず地面にへたり込んでしまいました。
それくらい相対するシエラ様のオーラが凄まじいものだったのです。
でも……
拒まれることなく、かき消されることなく、死神が私達を縛ります。
いくら彼女が厄災司教と言えども、一度交わした『約束』は破れません。
これでジルベール様に危険が及ぶことはなくなったのです。
私は胸に手を当てて、深く深く瞑目します。
ジルベール様は本当にたくさんのものを私に与えてくれました。
この場では全てを語ることはできませんが、何よりもジルベール様には人を愛する幸せを教えていただきました。
己の境遇に絶望し、逃げ続けてきた人生。
その人生にジルベール様は確かな温かみをくださいました。
ジルベール様に出会えてよかった。ジルベール様と一緒に過ごせて幸せだった。
……心からそう思います。
もうジルベール様の心に私はいませんが、私はいつまでもジルベール様を想い続けます。
たとえこの身が滅びようとも……。
「――では」
突如、シエラ様の声が聞こえました。
今まで聞いていた声音よりも一段低く冷たいそれに、私はハッと目を開けます。
次の瞬間、視界に飛び込んできたのは、愉悦の混じった笑みを浮かべて、手を振り下ろしたシエラ様の姿でした。
途端、かまいたちを思わせる突風が頬を掠めました。
刹那、ザシュという鈍い音とともに、何か生温かいものが私の顔に飛び散りました。
その何かを右手で拭います。
「……えっ……血……?」
右手についたのはまだ温かい鮮血。
同時にあることに気付きました。
本来、一定距離を離れるか、破壊的行動を伴わない限り顕現しないはずの『常闇の手枷』が姿を現しているのです。
それも、いつもと様相が違い、淡い漆黒の光が連続的に霧散して『常闇の手枷』自体が透過していっています。
それはまるで昇天するかのよう。
そう思い至った瞬間、自身から血の気が引いていくのがわかりました。
「ジル……ベール様……?」
私は神に祈るような思いで、後方のジルベール様に視線を向けます。
「そ、そんな……」
それと同時に私は顔を覆います。
雪に染み入ったおびただしい量の血痕。
そこに蹲るように倒れるジルベール様の姿。
左腕は欠損し、かつて左腕だったと思われる部位は遥か後方で血だまりを作っていました。
「そ、んな……話が違う……」
何より先に私はジルベール様の下に駆け出していました。
(ドンッ)
しかし、道半ば、背中に強い衝撃が走ります。
雪面に叩きつけられた私は、そのままの姿勢で組み敷かれます。
必死に首を動かし背後を見ると……クラウンでした。
クラウンが私の腕を捩じ上げ、身体を押さえ込んでいたのです。
「離してッ! ジルベール様がッ!」
「レリア様、そんな大声を出されると舌を噛みますよ」
クラウンに次いで、シエラ様の声が続きます。
「さぁ……レリア様。参りましょう。ここはもうすぐ氷に閉ざされます」
「……い、いやっ! 嫌です! や、約束は! 約束はどうしたのですか! 人を傷つけないって! ジルベール様を傷付けないって約束したじゃないですか!」
私は未だかつてないほどの大声を上げ、辺りの雪を掻きむしりながら狂ったように叫びます。
「ええ。私はレリア様と『約束』をしましたよ」
「その『約束』が守られていないじゃないですか!」
「何をおっしゃっているのですか。『約束』を守っていないのはレリア様でしょう。私は約束を守ってますよ。無駄な殺生はしていませんし、その少年も殺していません」
「……は?」
シエラ様が何を言っているのかわからなかった。
否。言葉は理解できても、言っている意味を理解できなかった。
「私はその少年を殺していません。仮にこの後その少年が失血多量で死んだとしても、それは失血多量で死んだのであって私が殺したわけではありません」
破綻した理屈をさも正論であるように述べるシエラ様。
いや、彼女は詭弁でも何でもなく、本当にそれが正しい答えだと思っているのです。
この世の理をも揺るがす善意。
一切の悪意がないからこそ彼女には『約束』が発動しないのです。
「それに私は無駄な殺生はしていませんよ。レリア様にご同行いただくには『常闇の手枷』の破壊が必要不可欠。換言するならば、これは『必要な殺生』です」
その瞬間、今までに感じたことのないほどの絶望が私を襲いました。
ああ、ジルベール様の言う通りだった。
私が馬鹿だったんだ。厄災司教の戯言を信じるなんて。
常識など平気で塗り替えてくる存在。それが厄災司教。
そんな相手と対等な取引など出来るはずもなかったのだ。
それなのに私は……最も大切な思い出を消してまで……この選択をし、その結果、ジルベール様の腕が……。
(ドクン……ドクン)
「ああぁ……いや……」
私は腕を捩じ上げているクラウンの腕を掴みます。
(ボキッ)
「……は?」
骨が無惨にも砕け散る音とともに私はクラウンのことを弾き飛ばすと、ユラリと立ち上がります。
「……なんだ。この力……」
「腕が使い物にならなくなる気持ちはどういう気持ちですか」
私は光沢の消えた瞳を蹲るクラウンに向けて、見下ろします。
この人達は、さも当たり前のような顔をして……ジルベール様を殺すんだ。
(ドクン……ドクン)
こんな人達が生きていていいわけがない。
(ドクン……ドクン)
ジルベール様が死ぬ……。
「そんなの……いや……」
(ドクン……ドクン)
「ジルベール様を……」
(ドクン……ドクン)
「私のジルベール様を返してぇぇーーぇぇえええええ!」
次の瞬間、大地が割れた。
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