§044 救済の祈り
胸に黒い光を宿した直後、視界は暗転し、意識は混濁した。
何か大切なものが手のひらから零れ落ちていくような焦燥感に駆られるが、もはや為す術もなく、茫然と雪表に膝をつく。
何かがおかしい。
俺は今……新・創世教と戦っているはず。
特に身体に痛む部分はなく、何一ついつもと変わらない状態のはずだ。
それなのに、俺はなぜ膝をついているのだ。
いや……でも……あれ?
そもそも俺は何のために新・創世教と戦っているんだっけ……。
欠落した記憶を辿るように、俺は目の前の光景に視線を向ける。そこには、
水色の双眸をした白い少女――シエラ・スノエリゼ
その少女の横で忠実なまでに腰を折る――クラウン・イスベルグ
そして、シエラと相対する女の子――■■
あれ? 名前が出てこない。いや、そもそも見覚えのない女の子なのか。
それなのにその女の子を見つめるだけで気持ちは高揚し、逆に言いようのない不快感も覚えた。
どこかボタンを掛け違えたような不思議な感覚だ。
状況は目まぐるしく動き、女の子から何か黒い光が顕現すると、その光はシエラの下に吸い込まれた。
あれは……あの子の……魔法?
そんなことを悠長に考えていた瞬間、シエラが手を振り下ろした。
直後、鋭い衝撃が左腕を襲った。
あまりにも一瞬のことで、何が起きたのかわからなかった。
何か生温かいものがビシャと俺の左顔面に張り付いたのを感じ、恐る恐る視線を左腕に落とす。
「……え?」
――左腕が無くなっていた。
シエラ・スノエリゼに切り飛ばされたのだ。
そう自覚した瞬間から痛覚が何万倍にも跳ね上がり、悶え苦しむほどの激痛が頭から足先まで駆け巡る。
「――ぐぁああ」
獣のような声が出た。
遥か後方に弾け飛んだ左腕。
蜥蜴の尻尾も切られた直後は動き続ける。捌かれた魚も絶命の瞬間までびしびしと暴れ回る。
それと同様、もうそこにはないはずなのに、未だ健在かのように左腕のドクンドクンという鼓動が伝わってくるような気がした。
止血を試みようとするが、もはや間に合う気がしない。
止めどなく溢れる鮮血は、雪を赤色に染め上げる。
ふと視界の端に漆黒の光を捉えた。
危機的状況なのに、俺はどうしてもその光が気になってしまった。
俺はその光に目を向ける。
それは『鎖』だった。
漆黒の光を放つ鎖。
それが俺の切り飛ばされた左腕と、名も知らぬ女の子の右手を、繋いでいた。
その見慣れぬ姿になぜか既視感を感じた。
どこか懐かしく、そしてとても尊いものに感じ、俺は思わず手を伸ばす。
そして、昇天するかのように舞い上がる漆黒の光を一粒掴む。
その瞬間、俺の心に大量の情景が流れ込んできた。
それが誰のいつのものなのかわからない。
ただ、登場人物は決まって修道服を身に纏った金髪の女の子。
その女の子が俺に身を寄せて笑っている光景だった。
その光景に俺は自然と涙が零れる。
――これは、記憶……?
次に映ったのは、冷たく薄暗い闇の中で蹲る女の子。
光が一切差し込まない漆黒。
そこで彼女は……泣いていた。
誰かを待っているかのように時折顔を上げるが、その願いは叶わない。
そんな少女の姿から……どうしても視線を外せなかった。
「……………………………………………………れ、…………り……あ」
無意識に声が漏れた。
同時にハッと双眸を見開く。
そうだ、レリアだ。全てを思い出した。
俺はレリアと『約束』し、しばしの間、レリアに関する一切の記憶を失っていた。
でも、どういうわけかわからないが、『常闇の手枷』に触れた瞬間、その記憶が滝のように流れ込んできた。
まるでレリアの記憶を共有するように。
『常闇の手枷』は、俺が目を開けたときには、光となって消えていた。
もしかしたら、レリアの記憶が戻ってきたのは『常闇の手枷』のおかげ……なのか?
呪いだったはずなのに……。
ふと思い返すとなんだか助けられてばかりだった気がする。
こんなのはもしかしたら変なのかもしれないけど、『常闇の手枷』にはお礼を言いたい気分だった。
俺とレリアを繋いでくれてありがとう……と。
記憶が戻ったことにより、ほんの少しだけ腕の痛みが和らいだような気がした。
視線を移した先に、レリアは立っていた。
どこか危なげに右腕を押さえながら、ゆらりと佇む彼女。
その傍らには敵・厄災司教氷禍・専属護衛騎士クラウン。
しかし、どういうわけか戦闘力が皆無のレリアの前で、クラウンが膝をついている。
途端、どこかで体感したことがある風が吹き荒び、空気が震え、大地が揺れた。
俺はこの状況が絶対にあってはならないものだと即座に悟った。
「レリア、ダメだッ! その魔法を使ってはッ!」
「――私のジルベール様を返してぇぇーーぇぇえええええ!」
咆哮。それはこの世の悲しさを凝縮したような悲鳴だった。
途端、――【
レリアの感情と呼応するように、第一波として前回とは比べ物にならない爆発が巻き起こる。
その規模はまさに災害。
レリアに肉薄していたクラウンは無惨にも弾き飛ばされ、勢いよく地面に強く叩きつけられる。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」」
更なる咆哮。
彼女の感情の高ぶりによって引き起こされる圧倒的な破滅。
彼女を中心に展開している魔力にはプラズマが発生し、その雷撃が四方八方見境なしに射出される。
木は根こそぎ浮遊し、地表面はこと如く引き剥がされ、周囲を覆うほどに降り積もっていた雪も一瞬にして水蒸気に変わった。
「これは……【
周囲にドーム状の魔力を展開して降り注ぐ瓦礫を退けるシエラ。
今まで決して表情を崩すことが無かった彼女ですら、この事態は予想外と見えて、薄らと焦りの色が見える。
「レリア様単体で【
レリアの叫びが途切れ、発作的な爆発が一度収まる。
それを見たシエラは防御魔法を解除する。
「騎士クラウン。ご無事ですか」
クラウンが主の声を受けて、血反吐を吐き捨て、ゆっくりと身体を起こす。
「くはっ。くそ……闇落ち聖女が。信じられないことこの上ないな……なんだこの力……」
「これが【
「まさか……そんな……」
そんなクラウンも【
息は絶え絶え、目も随分と据わっているように見える。
改めて【
「予定を変更します。多少手荒な真似をしても構いません。即座にレリア様の捕縛を」
「全ては御心のままに」
しかし、そんな彼を認めても、あくまで淡々と指示を出すシエラ。
こいつら……本当におかしいんじゃないか。
レリアが……どんな気持ちで【
命を代償に使う魔法だぞ。それを軽々しく、捕縛だの、闇落ち聖女だの……と。
――絶対に許さない。
でもまずはレリアを助けなければならない。
さっきの闇の中にあらわれた少女。あれはレリアだ。
レリアは……蹲って……泣いていた。
俺は誓った。もし魔法が暴走しても俺が絶対に止めてみせる……と。
レリアがそれを覚えてくれているからこそ、『常闇の手枷』を通じて、あんな光景が俺に伝わってきたんだ。
レリアは俺のことを待ってくれている。
――魔法の力は感情に大きく左右される――
以前にシルフォリア様がおっしゃっていた格言だ。
この言葉が本当ならば……俺はレリアが認めてくれた『魔法陣』にその気持ちの全てを乗せる。
俺は瞑目し、精神を集中させる。
描くべき魔法陣の全体像をより詳細に思い浮かべる。
迷路のように入り組んだ紋様に、幾重にも折り重なった魔術式。
闇精霊魔法を無効化する魔法陣に……レリアを救済する祈りを込める。
レリア……頼む……戻ってきてくれ。
俺は……君のことが………………。
やがて陣が完成し、遥かなる蒼天に史上最大規模の魔法陣が顕現した。
その魔法陣の名は――
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