§042 約束
俺とシエラの会話に割って入ってきたレリアは、恐怖に肩を震わせながらも、そう言い切った。
俺はその提案の意味をすぐさま理解した。
レリアの闇魔法・
確かにあの魔法なら相手の同意さえ取り付けられれば、『約束』で拘束することができる。
レリアはどうにかこの厄災司教に『約束』を取り付けて、この場を収めようとしているのだ。
だが、そんな闇魔法の存在を知る由もないシエラは突然の提案に小首を傾げる。
「……約束ですか?」
「はい。あなたは先ほど無駄な殺生は好まないと言いました。それが嘘でないのならここに誓いを立ててください。そうすれば私はあなた達についていきます」
「ちょ、ちょっと待てレリア」
レリアの提案内容を聞き、俺は思わずレリアを制する。
それじゃあまるで「この場の人を殺さないと約束すれば、私はどうなっても構いません」と言っているようなものじゃないか。
そんな『約束』を俺が許すわけがない。
「レリア。そんな自己犠牲はダメだ。この場を二人で乗り切る策を考えるんだ」
俺はシエラには聞こえないくらいの声で、でも強く、レリアに言う。
しかし、全てを悟ったかのように一瞬瞑目したレリアは、ふるふると首を振る。
「ジルベール様もおわかりでしょう。彼女は終焉の大禍を引き起こすほどの災害。小細工が通用する相手ではありません。それくらい力の差が歴然なのです」
受け止めがたい正論に俺は思わず歯噛みする。
でも……だからといってそれでレリアを犠牲にするのは間違っている。
彼女は今回の件を自分の責任と考えて、全てを背負い込もうとしているんだ。
「私の
「違う! 俺が言いたいのはそんなことじゃない! 俺はレリアが……」
「今突き付けられている現状は全員助かるか、全員死ぬかなのです。シルフォリア様の助けも期待できません。そして、この森にいる受験生の全員が人質。そんなの選択の余地もないじゃないですか」
そう言って寂しい笑顔を見せるレリア。
「それにこれは創世教の問題。責任の一端は私にあります」
「違う! だからその責任をレリアが全て背負い込む必要はないと言ってるんだ! レリアのことは絶対に俺が守る! そう誓ったはずだ!」
俺はもうシエラの存在など気にも留めず、自分のありったけの想いを言葉に乗せる。
けれど、その精一杯の説得にもレリアは頷くことはなく、ただ強い視線を真っすぐに向けてくるだけだった。
しばしの沈黙の末、レリアは何かを決心したように視線をシエラの方に移す。
「シエラ様、ほんの少しだけ私達に時間をください。私は彼に伝えなければならないことがあります」
伝えなければならないこと?
これまた突飛なレリアの言動に俺は少なからず動揺し、刹那、今後の動向を窺う。
「ふふ。まあいいでしょう。後悔のないように」
シエラはそう言って手出しはしないという意味を込めて一歩後ろに下がる。
それを確認したレリアは再度俺に視線を向ける。
そして、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
少しずつ距離は埋まり、俯き加減のレリアの頭が俺の胸にくっつきそうなほどの距離まで来たとき、レリアは止まった。
俺とレリアの身長差。
結果として俺がレリアを見下ろす形になる。
彼女の表情は読めないが、あまりの距離の近さにほんの少しだけ心臓の鼓動が速くなる。
直後、スッと手を伸ばして俺の胸に触れたレリアが――顔を上げる。
視線が交差し、お互いの瞳が揺れる。
レリアは笑っていた。
この場にはあまりにも不似合いな、この世の幸せとこの世の儚さをありったけ詰め込んだような笑顔で。
その美しさに、俺は言葉を失った。
同時に何かを伝えなければいけない衝動に駆られるが、俺はそれを飲み込む。
今、何か一つでも受け答えを間違ったら、レリアがどこか遠くに行ってしまう。そんな予感がした。
様々な考えが、気持ちが頭の中を巡る。
しかし、全てを受け入れてしまったようなレリアの表情を前にしたら、それらが言葉になることはなかった。
数刻の沈黙を経て、レリアの口がついに動く。
「ジルベール様、私の言うことをきいてくださいますか?」
幸福感を伝播させるような優しい声音だった。
語感に若干の違和感を覚えたものの、前置きというか、「耳を貸してほしい」という意味だと思った。
俺は「わかった」とだけ呟いて、レリアが耳打ちしやすいように少しだけ腰を屈ませた。
表情を変えずにそれを見つめるレリア。
距離が少しずつ零に近付き、レリアの手が俺の頬をそっと撫ぜる。
すっかり冷たくなってしまった繊細な手。
この時、気付いた。
彼女の手が……恐ろしいまでに震えていることに。
この瞬間、俺は自らの過ちを悟った。
「――――!」
だが気付いた時には……もう遅かった。
彼女が耳元でそっと呟く。
「ジルベール様は私の記憶を無くします。出会った時から……今までの全てを……。そう、これは『約束』です」
「ま、待て! レリア!」
俺は咆哮を上げる……が間に合わない。
次の瞬間には無情にもレリアから黒い光が顕現し、宙に浮かんで漆黒の輝きを放ち出す。
「――くっ!」
言うことをきいてくださいって……そういう意味だったのか。
最初から自分のことを忘れさせようと。
俺のことを助けるために……。
レリアの不自然なまでに美しい笑顔が、震えていたあの手が、全てを物語っていたんだ。
それくらい気付けよ、ジルベール。お前はどれだけレリアと一緒にいたんだ。
俺に照準を合わせた黒い光は引き寄せられるようにゆらゆらとこちらに近付いてくる。
どうにかあの黒い光から距離を取れば。
そう思った瞬間――
(チュッ)
俺の唇は唐突に塞がれた。
「――んっ!」
熱く、媚薬のように甘いそれに俺は思わず目を見開く。
溺れそうなほどに苦しいのに、離れたくない。
そんな矛盾した感情が時の流れを限りなく遅くする。
時間にして数秒。
けれど、限りなく長く感じられたその時間。
気付いた時には彼女の顔が目の前にあった。
頬を紅潮させたレリアの顔は、さっきの笑顔なんて何かの間違いだったみたいにぐしゃぐしゃになっていて……朱に染め上がった真っ赤な瞳からは、これでもかと大粒の涙が流れだしていた。
「私だって……こんなお別れ……したくなかった。これからジルベール様と一緒に王立学園に入学して、一緒に授業を受けて、たまにはデートなんかもしたりして………………もっともっと一緒にいたかった」
息が詰まった。
言葉を紡がなければならないのに、頭が真っ白になって声が出せない。
視界には盛大な嗚咽を漏らすレリア。
「私との思い出だって忘れてほしくなかったし、これからも思い出を作っていきたかった。それでも私は言わなければならなかった。私は知っています。ジルベール様はとてもお優しい方ですもん。私と一緒にいる限り、私の記憶がある限り、私のことを最優先で考えてしまう。でも……それだとまたジルベール様を危険に巻き込んでしまう。そんなの……私はもう耐えられません」
レリアとの思い出が走馬灯のように駆け巡り、視界が歪む。
もはやレリアが瞳に映ることはなく、聞き慣れた声音と頬に触れる感覚だけが残る。
「ずっと一緒にいるという約束……守れなくてすみません。もうすぐジルベール様の心の中から私はいなくなります。でも……私の心の中にはジルベール様がずっとずっといますから」
そこまで言い終えると、レリアの手がスッと離れた。
待って……行かないでくれ……レリア……。俺はレリアのことが……。
同時に黒い光が胸を穿つ。
「私は……ジルベール様のことが……大好きでした……」
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