§020 呪われた聖女

 俺にはスコットの言った単語をすぐさま理解できなかった。


 ――『呪われた聖女』――


 しかし、この瞬間に今更ながら思い出した。

 レリアが森の中で襲われていた時に、相手の男が彼女のことを『聖女様』と呼んでいたことを。


 『聖女』とは聖職者の中でも特殊な力を持って生まれてきた者の呼称だ。

 仮にレリアが『聖女』だとしても、司教の娘ということであれば『聖女』と呼ばれていても何も不思議なことはない。

 そう思って俺はこの事実をどこか記憶の片隅に追いやっていたのだ。


 しかし、冠に『呪われた』という単語が付くと話は別だ。

 それではもはや俺の知っているものではない。


 そんな俺の心境を読み取ったのか、スコットが饒舌に話し出す。


「なんだその顔は。もしかして、この女が『呪われた聖女』だということも知らずに一緒にいたのか? 随分と親しげだったから当然知ってるものだと思っていたが」


 スコットは「あーっはっはっはっはっ」と盛大に高笑いを上げる。


「なーんだ、レリアはその男に話してなかったんだな」


 スコットはレリアのことをまるで旧知の間柄のように『レリア』と呼び、俯くレリアを覗き込むように顔を潜りこませて、愉悦と陰惨で満たされた笑みで言う。


「知らないなら教えてやるよ」

「やめてっ! 言わないで!」


 途端、レリアは今までに出したことのないような悲痛な叫び声を上げる。

 しかし、スコットは止まらない。


「その女はな」


「やめてっ!」


「――十年前、世界を混沌に陥れた【厄災の大司教】オーディナル・シルメリアの娘なんだよ――」


「え、」


 その言葉に俺は思わず息を飲んだ。


 厄災の大司教――オーディナル・シルメリア。


 その名前を知らぬ者はおそらくこの世界にはいないだろう。

 十年前、我が国の歴史上、最も凄惨な大災害・『終焉の大禍』を引き起こした大罪人の名だ。


 彼は自らを『創世教・厄災の大司教』と名乗り、圧倒的な闇の力で王都に侵攻したのだ。

 特に彼が率いた『厄災司教』と呼ばれる精鋭部隊の力は群を抜いており、王都に壊滅的な被害を与え、一説によると一日にして国土の十分の一が消失したとの話だ。


 そんな凶報は当然俺の家、レヴィストロース家にも届いた。


 当時の俺は齢五歳。もちろん全てを理解できていたわけではないが、辺境伯である父にも魔導騎士としての強制徴兵がかかったくらいなので、大変なことが起きていることは容易に理解できた。


 最終的に『終焉の大禍』は七日間の戦闘をもって終結した。

 

 結果としては、王国側の勝利。

 オーディナル・シルメリア率いる『創世教』は、この時をもって壊滅した。


 しかし、王国側の被害も甚大で、最も衝撃的だったのは、当時、最強の名をほしいままにしていた六天魔導士の大半が命を落としたということだった。


 その厄災の大司教――オーディナル・シルメリアの娘が……レリア……だって……?


 そのあまりの衝撃に、俺は頭の整理もつかぬまま、茫然とレリアに視線を向ける。


「わ、たしは……」


 レリアは憔悴しきったようにポロポロと涙を流し、何かうわごとのようなことを呟いている。


 そんなレリアを見たスコットは更に調子づいて声高にレリアを罵倒し続ける。


「それで笑い話なのがよー、こいつの魔法適性、なんだと思う?」


 そう言って笑いを押し殺すように顔に手を当てたスコットは、そのままレリアを見下げて続ける。


「あろうことか『闇』なんだってよ? どう思うよこの事実。聖職者って言ったら普通は『光』だろうよ。それが『闇』って。さすがは厄災の大司教の娘だよな」


「そ、そんなことは。レリアは一次試験の時、確かに俺に光魔法を……」


「あ? そんなの自分の魔法適性が『闇』だと知られたくないがために必死に光魔法を練習したに決まってるだろうが。そんなこともわからないとか、あんた、こいつの隣にいる資格あるの?」


「隣にいる……資格だと……」


「こんなやつが人の役に立ちたいとか言うんだから、本当に救いようがねーよな。誰が厄災の大司教の娘に救われたいと思うんだよ。自分の立場をわきまえろっていうんだ」


「…………」


「いいかレリア、ここはお前みたいな穢れた血が来るところじゃねー! そもそもお前のような厄災が、この世界で未だにのうのうと生きていること自体が罪なんだよ!」


 があーっはっはっはっというスコットの声が木霊する。


 その瞬間、何かが切れるのがわかった。


 こいつは……レリアが必死で隠してきた事実を……。


 それに立場をわきまえろだと……?

 レリアがどんな気持ちで魔法を練習して……どんな気持ちで人の役に立ちたいと言っていたのかも……知らないくせに……。


 こいつは……こいつは……。


 俺は拳を思いっきり握る。


 そして、一歩……そう一歩を踏み出そうとしたその瞬間……レリアが力なく地面にへたり込むのが視界に映った。


「……レリア?」


 俺は自分の判断の遅さを後悔した。


 あれだけレリアと一緒に魔法の勉強をするんだと、絶対に合格するんだと心に刻んでおいて……俺は……スコットの……『厄災の大司教』という言葉を聞いて、レリアを助けることを一瞬、躊躇してしまったのだ。


 俺は刹那の思考でわかっていたはずだ。

 自分が厄災の大司教の娘であるという事実が……俺にも最後まで明かしてくれなかった「とある事情」だということを。


 レリアが絶対に誰にも知られたくなかった秘め事。

 それをこんな公衆の面前で暴露された挙句、「生きていることが罪」とまで言わせてしまった。


 ……それなのに俺は何をしているんだ。

 ……俺は一人の女の子の笑顔すら守れないのか。


 【速記術】とか『魔法陣』の前に、男としてやらなければならないことがあるだろう。


 俺はギリッと歯を噛みしめる。


 レリアはレリアだ。

 厄災の大司教の娘だろうと関係ない。

 俺が失意していたときに精一杯励ましてくれて、俺が不安だったときはいつも寄り添ってくれて、俺が成功したときは一緒に喜んでくれたのは、紛れもなくレリアだ。


 それに仇なす者。

 それが公爵家の人間だろうと、二属性の保有者ダブル・ホルダーだろうと関係ない。


 レリアの笑顔を奪うやつを……許せるわけがない。


 俺はもはや怒りの感情を隠すことなく、ズザッと足を踏み鳴らして前に出る。


 しかし、その瞬間、風が吹き荒び、空気が震え、大地が揺れた。


 俺にはまるで世界が歪んだように見えた。


 即座に俺は足を止め、再びレリアの方に向き直る。


 その時……俺の目に映ったのは……身体中から黒い闇の炎を放つレリアの姿だった。



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