§021 シルメリア

 ――それは忘れることのない、過去の記憶。


 私、レリア・シルメリアはとある教会の長女として生まれた。


 父母はともに聖職者。

 特に父――オーディナル・シルメリアは、『大司教』という教皇に次ぐ地位で、私が住んでいた土地一帯の教会権力を統括する立場にあった。


 そのため父は非常に多忙。

 数日間、家を留守にすることもざらにあり、家族として過ごした時間はそう多くなかった記憶がある。


 でも、私は父のことが大好きだった。


 神に仕える者――聖職者として、人々のために日々奔走している姿を誇りにすら思っていた。


 私はそんな父の背中を見て育ったせいか、いつしか人の助けになれる聖職者になりたいと思うようになった。

 その頃からだろうか。私が魔法の勉強を始めたのは。


 父と母の魔法適性は『光』。

 魔法適性は遺伝の影響を強く受けると言われていたので、私の魔法適性もおそらく『光』だろうと思われていた。

 そのため、私は父から光魔法の魔導書を借り受けて、神から魔法を授かったらすぐにでも実践できるようにと、日々の勉強が日課になった。


 そんな私を父は優しく見守ってくれたし、時々ではあったけど、私の魔法の練習、といってもごっこ遊びのようなものだったけど、それに付き合って魔法の造詣を教えてくれることもあった。


 私の記憶の中に唯一残る、幸せな時代。


 本当に幸せを絵に描いたような家庭だったと思う……そうあの事件が起きるまでは。


 その幸せな家庭に変化が訪れたのは、私が五歳になった頃だった。


 それまで外出が多かった父が、魔法の研究だと言って自室に引きこもるようになったのだ。

 最初は何か大切なお仕事だと思って、私も母もさほど気にも留めなかった。

 しかし、目に隈を作り、次第にやつれていく父の姿に、私は子供ながらに何か只ならぬものを感じた。


 母も父の異常さに気付き始め、幾度となく父を部屋から連れ出そうとした。


 しかし、父が部屋から出てくることはなかった。


 そして……事件は起こった。


 父は………………母を殺したのだ。


 あの日のことは殊更鮮明に覚えている。


 夜更けの聖堂にて……短剣を母の腹に突き立てる父の姿を。


 弓なりに跳ねる身体、悲鳴と嗚咽を上げる母の姿を。


 それ以上のことはもう言葉にもしたくない。


 その日から父は……父ではなくなった。


 それからのことは史実のとおりである。


「――『呪われた聖女』――レリア・シルメリア様ではありませんか――」


 スコットの純粋なる悪意に満ちた言葉が、私の耳にじんじんと木霊する。

 それと同時に私の心が深い闇へと……落ちていくのがわかる。


 転がるように。崩れるように。どうしても手放したくない大切なものが、手のひらから零れ落ちていくように。それはまるで、今まで騙し騙し生きてきた人生を清算させられているようだった。


 ――俺も実はレリアと一緒に魔法を学べたら楽しいだろうなと思っていたところだ――


 ジルベール様の声が聞こえたような気がして、潜在意識の中でふと顔を上げる。

 しかし、それが幻聴だとわかって、私はまた俯く。


 これは、山小屋でのあの日……ジルベール様が私にかけてくださった言葉……だった気がする。


 段々と意識が混濁してきて、何が現実で、何が過去で、何が妄想で、何が真実で、何が嘘なのかわからなくなってきた。


 でも、はっきりとわかっていることもある。


 それは私が『呪われた聖女』であること。


 そう……このことだけは私自身が一番よくわかっていた。


 あの時から……終焉の大禍の日から……この世界のどこにも……私の居場所なんてないのだ……。

 だから……私はあの日から……ずっと逃げ続けてきた。


 ――もしよかったら、私と一緒に王立セレスティア魔導学園を受験しませんか?――


 それなのに私は高望みしてしまった。


 『呪われた聖女』でありながら、人並みの人生を歩もうと思ってしまった。


 最初、私はジルベール様の人生と……自分の人生を重ねた。

 どこに行っても『呪われた聖女』と指を差される。

 人の役に立ちたいという子供の頃からの夢も否定される。そんな現状から目を背けるために、「魔導学園を受験する」という体のいいことを言って、街から逃げる。


 蔑まれて……夢を諦めて……逃げて……そう、ジルベール様は私と同じだと思った。


 だからこそ、あの日のジルベール様の気持ちは手に取るようにわかったし、もし、ジルベール様が本当の私を知ったとしても、ジルベール様なら理解してくれるかもしれない。そう思った。


 でも……ジルベール様は私とは違ったのだ。


 ――レリアの言葉を信じてもう少しだけ頑張ってみようと思う――


 ジルベール様は、確かにそう言った。

 私と同じはずのジルベール様が逃避を選ばなかった。


 頑張る……それは全てから逃げ続けた私が忘れていた言葉だった。


 私にだって、どんなに『呪われた聖女』と蔑まれても、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、人を愛し、敬い、慈しめば、いつかは皆も認めてくれる……そう思っていた時期があった。


 でも……そんなのはずっと昔の話だ。

 私の心は早々にぽっきりと折れ、いつからか『どんなに蔑まれようとも皆に認められるために頑張って善行を積む聖女』を演じるようになっていた。


 だからこそ、ジルベール様の言葉には心を動かされた。


 それが演技でも欺瞞でも出任せでもなく、人が一歩を踏み出す瞬間に違いなかったから。


 私なんかの戯言が励みになったことが……心から嬉しかった。

 今までの人生も無駄じゃなかったと……ほんの少しだけ報われた気がした。

 そして、これと同時に今まではなかった新たな感情が生まれた。


 私はこの感情の名前を知らない。

 でも……はっきりと思った。


 私は……この人の隣にいたいと……。この人と一緒に頑張りたいと……。


 私の逃げ続けてきた人生の話など……いつか笑い話にできるくらい……この人と楽しい思い出をたくさん作りたいと……。


「もしかして、この女が『呪われた聖女』だということも知らずに一緒にいたのか?」


 でも、その結果がこれ……。

 人並みの人生を送ろうとした結果がこれだ。


 私の過去を知る者。

 予期せぬとの邂逅。


 この瞬間、私の幸せの形は脆くも音を立てて崩れていく。


「なーんだ、レリアはその男に話してなかったんだな」


 そうだよ。ジルベール様には敢えて黙ってたんだもん。

 私だって……『聖女』である以前に『女の子』だ。嘘の一つや二つ、ついたっていいじゃない。


 それに……軽々しい気持ちで嘘をついていたわけじゃない。

 黙っていることにも葛藤はあった。

 どうせいつか知られてしまうことだというのもわかっていた。

 薄々だけどこんな日が来るんじゃないかという予感もあった。

 あの日、ジルベール様に打ち明けられていたらどんなに楽だったかと後悔した日は後を絶たない。


 それでも……言いたくなかった。どうしても……言いたくなかった。

 ジルベール様にだけは……このことを知ってほしくなかった。


「やめてっ! 言わないで!」


 もう手遅れだとわかっている。

 こんな言葉でスコットが止まらないこともわかっている。


 でも、叫ばずにはいられなかった。

 縋りついてでも、懇願してでも、この瞬間をなかったことにしてほしかった。


 それでもスコットが止まるわけもない。彼はこの状況を楽しむように言い放つ。


「その女はな」


――十年前、世界を混沌に陥れた【厄災の大司教】オーディナル・シルメリアの娘なんだよ――


 刹那、私はジルベール様に視線を移した。


「………………ぁぁ」


 この瞬間……私の心はぽっきりと折れた。


 目の前が真っ暗になり、表情を保つこともできなくなった。


 今、やっとわかった。

 私が何でジルベール様にこのことを知られたくなかったのか。


 悲しいことから逃げたい、つらいことを避けたい、苦しいことは後回しにしたい。

 最初はそんないつもの逃げの延長にある感情だと思っていた。


 でも……違った。

 今、自分が一番びっくりしている。


 私の中でジルベール様の存在がこんなにも大きくなっていたなんて。


 いざ、ジルベール様にこの事実を知られて……こんな気持ちになるのだなんて考えもしなかった。


 隠し通せるわけがないことはわかっていた。

 いつかはわかることだとわかっていた。

 黙っていることがジルベール様への裏切りであることもわかっていた。

 全部……全部……わかっていた。


 それでも言いたくなかった……。


 だって……ジルベール様は……あの日から……私の親愛なる人ヒーローなのだから。


 でも、もういいんだ。手遅れ。言い訳する気もない。


 私は……十年前、聖職者でありながら……神を……国を……人を……裏切った史上最悪の大司教オーディナル・シルメリアの娘。


 皆に恨まれても仕方ない『呪われた聖女』。


「それで笑い話なのがよー、こいつの魔法適性、なんだと思う?」


「あろうことか『闇』なんだってよ? どう思うよこの事実。普通は聖職者って言ったら『光』だろうよ。それが『闇』って。さすがは厄災の大司教の娘だよな」


「こんなやつが人の役に立ちたいとか言うんだから、本当に救いようがねーよな。誰が厄災の大司教の娘に救われたいと思うんだよ。自分の立場をわきまえろっていうんだ」


「いいかレリア、ここはお前みたいな穢れた血が来るところじゃねー! そもそもお前のような厄災が、この世界で未だにのうのうと生きていること自体が罪なんだよ!」


 全部スコットの言うとおりだ。


 私の魔法適性は『闇』。

 魔法適性がない光魔法を必死に覚えたのだって、スコットの言う通り、周りの目を欺くためだ。


 『聖女』であるはずなのに『闇魔法』しか使えないなんて『呪われた』と形容されて当たり前の存在。


 そして……私のは……口にすることも憚られる禁呪。


 そんな私が人の役に立ちたいとか馬鹿だったよね……。

 散々、人様に迷惑をかけて図々しいにもほどがあるよね……。

 私なんて……生きている価値ないよね……。


 涙が頬をとめどなく伝う。


 もう、ジルベール様の顔は怖くて見れない。


 今、この事実を知って、一体どんな顔をしているのだろう。


 落胆? 憤怒? 失望? 恐怖? 畏怖? ……全て?


 でも……もう……いい……もう……いい……よ。……わかったから。


 私には資格がない。

 夢を追う資格も、ジルベール様の隣にいる資格も。

 いや……元々資格なんてなかった。

 あると思い込んでいた。

 あると思いたかった。


 でも……それももうどうでもよくなっちゃった。


 今までの私とジルベール様の関係には戻れない。

 どんなに取り繕っても、私の幸せの形……山小屋で一緒に暮らしたような日々には戻れない。戻れないんだ……。


 それじゃあ……私……なんのために生きてるんだろう……。


 避けられて、蔑まれて、疎まれて、罵倒されて……。

 更に……親愛なる人にまで……見捨てられる……。

 こんな世界で生きていなきゃいけないなんて……ただ辛いだけ……。


 ならばいっそ……。


「――『私は闇、親愛なる人あなたは光』――」


(ドクン……ドクン)


 心臓の鼓動が私に警鐘を鳴らす。

 それでも……私はもう止まらない。


 私は囁くように、呟くように、語りかけるように、泣くように、嘆くように魔法の詠唱を開始する。


 その瞬間、風が吹き荒び、空気が震え、大地が揺れた。


「――『幾千の白夜を共にしても、私は世界に拒絶される』――」


(ドクン……ドクン)


 そう……これが私の……私が父から与えられた固有魔法。


 十年前、世界を混沌に陥れた禁呪。


「――『それでも数多繰り返そう、いつか世界が受け入れてくれることを信じて』――」


(ドクン……ドクン)


 そして、これが……これこそが


「――『私は親愛なる人あなたの隣に、たとえ何度世界が滅びようとも』――」


(ドクン……ドクン)


 もう……すべて……無くなってしまえ…………そして……。


 …………さようなら、ジルベール様。


 闇精霊魔法――【世界奉還シルメリア】――




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