§010 銀髪の少女

「ジルベール様、それは?」


 お目当てのわたあめをほくほくした笑顔で頬張ったレリアが、今度は俺の手の物に興味を示す。


「ああ、これはトウモロコシだよ。焼いて食べると美味しいんだ」


「トウモロコシ……ですか?」


「レリアの故郷には無かったか? うちの地元では割とポピュラーな野菜だったんだけど」


「初めて見ました。これは一体どうやって食べるのでしょう?」


「……食べ方か」


 宿に着いたら釜茹でにでもしようと思っていたのだが、刹那の黙考の末、俺はある考えを思い付いた。

 同時に左手をトウモロコシにかざす。


「……?」


 不思議そうに首を傾げるレリアを横目に【速記術】を発動してみる。


 すると、突如赤い紋様の小さな魔法陣が顕現した。微力な火力を放つ炎属性の魔法陣だ。


「わぁーすごい。そんな小さな魔法陣まで。なんか魔法みたいですね」


「いや、魔法陣も一応魔法だからな」


「ああ、そうでした」


 魔法陣に焙られたトウモロコシの表面は少しずつキツネ色に変わっていく。


 感嘆の声を上げるレリアを横目に俺は焼き色を確認し、こんがりと焦げ目がついた頃合いでレリアに差し出す。


「はい、焼きトウモロコシの完成」


「ど、どうやって食べるのでしょう」


「思いっきりかぶりついてみなよ」


「かぶりつく……ですか?」


「そうそう。トウモロコシは上品に食べるよりも豪快に食べた方がうまいんだ」


 そんな全く論理的でない俺の言葉にレリアは目をパチクリさせつつも、意を決したように俺からトウモロコシを受け取る。


 そして、かぶりつくとはかけ離れた小さな口で、控えめに咀嚼してみせる。


「あっ……甘い」


「だろ? 香ばしさの中にほのかな甘みがあるというか」


「はい! こんなに美味しい野菜初めてかもです! これなら何個でも食べられちゃいますね」


 レリアは相当トウモロコシが気に入ったのか残りを夢中ではむはむする。


 そんな食べ歩きを繰り返していると、俺達はいつの間にか少し開けた場所に辿り着いていた。


 どうやら街の中心部に位置する広場のようだ。


 円形の広場の中央には虹色の飛沫をあげる大きな噴水。

 その奥には王都内で最も荘厳で華美な建物である王宮へと続く道が連なっていた。


 しかし、どういうわけか今までの人混みが嘘のように、広場にはほとんど人がいなかった。


「ここは? 全然人がいないけど」


 俺は若干の違和感を覚え、後ろを歩いていたレリアの方へ向き直る。


「そうですね。急にどうしちゃったのでしょう。ここは確か……王都の中心に所在する公園……」



「「!!!」」


 突如として後ろから聞こえたレリアとは別の声に俺は即座に振り返る。


 するとそこには――アッシュグレーの髪の少女が一人――


 噴水の縁に腰かけて大仰に足を組み、妖艶に微笑みながらこちらの様子を窺っていた。


 俺は彼女から目を離すことができなかった。


 歳は俺と同じくらい。

 いや、むしろ俺よりも幼いかもしれない。

 体躯も豪奢ではなく、むしろ華奢だ。

 本来であれば、特に警戒の対象にもならないだろう。


 それにもかかわらず俺が彼女に釘付けになってしまったのは、彼女には隙という隙が全くなかったからだ。


 確かに存在しているのにまるで存在していないような。

 彼女自身が世界そのものであるかのようなそんな感覚。


 俺はたった一人の少女に今まで感じたことのない畏怖を抱いていた。


「驚かせちゃったかな? 別に敵意はないから安心してよ」


 そんな俺を尻目に彼女はにへらと笑って、「丸腰だよ」とばかりに両手を挙げる。


 だが、仮に相手が上級の魔導士であった場合、丸腰であることは何の証明にもならない。


 それよりも彼女の「手を挙げる」というただの動作があまりにも流麗すぎて、逆に俺は思わず身構えてしまった。


「そんなに怯えないでよ。せっかく時間を割いて君達に会いに来たというのに」


 突如紡がれた予想外の言葉に俺は首を傾げる。


「俺達に?」


「そのとおり。君達とは誰にも邪魔されずに少し話をしたかったものでね。人払いの結界を張ってここで待っていたんだよ」


 それはまるで俺達がここに現れることを知っていたかのような言い方だった。

 

それに『人払いの結界』とは並みの魔導士では使いこなすことはできない超上級魔法だ。


 確かにこの公園には極端に人が少なかった。

 それが本当にこの少女の仕業だとしたら、彼女は相当な魔導士だということになる。


 その事実に俺は思わず息を飲む。


「相当な魔導士様とお見受けしますが、そんな方が俺達に一体何のご用でしょう?」


 俺は警戒心を絶やさず、目の前の少女に話しかける。


「相当な魔導士ねぇ……君だって十分特殊な魔法が使えるじゃないか?」


 その言葉に俺の心臓は跳ね上がった。


 彼女は俺の魔法を知っている?

 いやそんなはずはない。俺の『魔法陣』を知っているのはレリアを除けば、最初に戦ったビルゴ達のみだ。

 この少女が俺の魔法を知っているわけがない。


「特殊な魔法? 何のことでしょうか。俺達はまだ初級魔法しか使えない駆け出しの魔導士ですよ」


 俺は反射的に嘘をついた。


 『魔法』とは、この大魔導時代において、いわば生命線のようなものだ。


 能ある鷹は爪を隠すと言うが、自ら手の内を晒すなど愚策中の愚策。

 特に俺が使っているのは現代では失われた古代魔法『魔法陣』だ。

 そんな天然記念物のような魔法を使う者が現れたとあっては悪目立ちするのは必死。

 こんな得体の知れない少女に魔法のことを教えてやる義理はない。


 しかし、彼女はまるで極上の獲物を見つけたかのような満面の笑みを貼り付けると、幻想的なまでに透き通った瞳で、俺のことを真っすぐに射貫いてくる。


「焼きトウモロコシは美味しかったかい? もう『魔法陣』を自在に使いこなせるなんて、君は本当に想像以上だよ」


「なっ!」


 その予想外の言葉に俺は思わず声を上げてしまった。


 彼女は俺の心を見透かしたように躊躇いなく『魔法陣』という言葉を口にしたのだ。


 俺がさっき魔法陣を使うところを見られたのか。

 いや……俺の【速記術】は魔法陣を描くのに一秒も要しないし、仮にその決定的瞬間を見られたとしても、それが『魔法陣』であると断定はできないはずだ。


 じゃあ彼女はなぜ俺が魔法陣を使えることを知っているのだ。


 心を読む固有魔法か何かの可能性はある。


「ふふ。固有魔法ではないけど、心が読めるのは正解」


「……くっ」


 彼女は俺の焦った反応がたまらないのかくすりと笑うと、噴水の縁からぴょんと飛び降りて、ずいずいと俺の方に向かってくる。


 この時点で俺は彼女のことを完全に『敵』と認定した。


 人の心を読める魔導士となると、仮に相手に敵意が無かったとしてもこちらには害しかない。

 それに俺には彼女の真っすぐに心臓を射貫いてくるかのような紺碧の瞳が恐ろしくて仕方がなかった。


 俺はレリアに小声で「逃げよう」と声をかけようとする。


 しかし、俺の言葉はなぜか空虚に霧散した。


 こ、声が出せない……。


 攻撃を受けている。

 そう認識した時には既に遅し。

 気が付くと身体の自由も利かなくなっていた。

 まるでこちらに向かってくる少女以外の時間が停止したかのように。


 ここは街中だ。

 どうにか声さえ出せれば状況は変えられるはず。


 そう思って必死に声を上げようとするが、そんな抵抗も虚しく彼女はもう目の前まで迫っていた。


 そして、顔と顔がくっつくぐらいに顔を近付けてきた彼女は、自らの瞳を殊更に指差してこう言った。


「この魔導具『心眼』はね、全てを見通す能力を持っているんだ。例えば、君が私のことを『』と思ってることとか……ねっ!」


 そう言うと彼女は俺の脛を思いっきり蹴飛ばした。


「――いっ!」


 俺は回避すらできずに、もろに彼女の蹴りを受ける。


 その蹴りは小柄な少女から繰り出されたとは思えないほどに力強いものだった。


「私はこう見えても十八歳なんだよね。君よりも三歳も年上なんだからもう少し敬意をもって接してくれてもいいと思うな」


 そう言って不服そうな表情を浮かべながら小ぶりな胸の前で腕を組む彼女。


 こうやって彼女を目の前にすると、俺が呼称していた「少女」という言葉には明らかな語弊があったことに気付かされる。


 確かに彼女は少女ではなく、れっきとした女性だった。

 しかも超飛びっきりの美女。


 精巧という言葉がピッタリな端整な顔立ち。

 月光のような銀髪は流麗を帯びて足元まで流れ、透き通る紺碧の瞳はまるで宝石をそのまま埋め込んだかのように美しい。

 官職者にも聖職者にも見える神々しさを体現したワンピース風のローブは、スラリとした彼女の体躯をひときわ強調している。


 遠目で見たところ、身長(と胸)がレリアと比べても小柄(で小ぶり)であったため『少女』と判断してしまっていたが、よく見れば化粧もしているし、何よりも子供では決して真似できない尊大なオーラを身に纏っていた。


 その彼女から発せられる威厳のようなものに俺は圧倒される。


 それに彼女が俺の心を読めるというのは本当のようだ。


 彼女は俺が心の中で「少女」と呼称していたことを見抜いた。更になぜか俺の歳が十五歳なのもバレている。


 彼女は一体何者なのだ……。


 俺はそんな疑問を彼女にぶつけてみようとするが、先ほどと同様に声が出ない。


 そんな俺の心中を察したのか、彼女は謝罪を口にする。


「あ、ごめんごめん忘れてたよ。君が私を子供呼ばわりするものだから一発蹴りを入れてから解除してあげようと思ってたんだよね」


 彼女はそう言ってパチンと指を鳴らすと、磔から解放されたかのように身体の自由が戻った。


 レリアを見ると彼女も「あれ?」と自分の手指をグーパーしている。


 彼女もどうやら俺と同様に身体の自由を奪われていたみたいだ。


「……君は一体」


 そう言いかけたところで、横から俺の袖を引っ張るレリアの声がした。


「ジ、ジルベール様……」


「なんだ、レリア」


 俺は目の前の女から意識を逸らさないようにレリアに視線を向けると、彼女は驚きと戸惑いが入り混じったような表情を浮かべていた。


「そのお方は――六天魔導士のシルフォリア・ローゼンクロイツ様でございます――」




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