§007 共同生活

 それからというもの、彼女の体力が回復するまでの数日間、俺はレリアを家に泊めた。


 というか『常闇の手枷』の効果で常に一緒に過ごすほかなかったというのが正しいかもしれない。


 そんな突然の共同生活であったが、淑やかでありながら、器量が良く、如才のないレリアと過ごす時間は、まるで新婚気分を先取りしたような感覚で、思いのほか心地のいいものだった。


 男女の共同生活だ。

 お互い最初は緊張していたし、それなりの距離感を持って接しようと思っていた。

 ただ次第に「お世話になっているのですからこれくらい当然です」と言って、レリアは進んで家事をしてくれるようになった。


 そして、いつの間にか俺が振る舞うはずだった料理も、二人で作るようになり、今まで栄養摂取程度にしか思っていなかった晩御飯の時間が楽しみになっていた。


 そうして少しずつ打ち解けてきた俺とレリアはお互いのことを少しずつ話すようになった。


 俺は彼女に固有魔法が【速記術】というハズレ魔法であること、三年ほど前から家を出て一人で山で暮らしていることなどを話した。


 ただ、さすがに固有魔法が【速記術】だったせいでレヴィストロース家を追放された話は伏せておいた。


 レリアも自分の出自なんかを話してくれた。

 どうやら彼女はとある街の司教の娘らしい。

 司教といえば聖職者の中でも高位の役職だが、彼女の所作を見ていると司教の娘だと言うのも納得だった。


 ふと、ビルゴ達がレリアのことを『聖女様』と呼んでいたのが気になって水を向けてみたが、「その呼び方は好きじゃありません!」とはぐらかされてしまった。


 その頃から俺は彼女のことを『レリア』と呼ぶようになった。


 そんな順風満帆に見える共同生活だったが、当然苦難はあった。


「あの……申し訳ないのですが、耳を塞いでていただけますか?」


「……はい」


「絶対に覗かないでくださいね。もしそんなことしたら、いくらジルベール様でも許しませんから」


「……はい」


 お風呂だ。


 常闇の手枷を外せない以上はお風呂の時でも行動を共にしなければならない。

 もちろん一緒にお風呂に入るわけではないが、扉一枚隔てた向こうには一糸纏わぬレリアがいるかと思うと気が気ではなかった。


(ちゃぽん)


 レリアが湯舟に身体を沈める音が嫌でも耳に入ってくるが、俺は耳を塞いでいる体で聞かないふりをする。


 レリアは本当に魅力的な女性だ。

 整った顔、淑やかな性格もさることながら、男としてどうしても視線を奪われてしまうところがある。


 見事なまでに強調された双丘だ。


 ゆったりとしたデザインの修道服であるにもかかわらず、胸の部分が狂おしいほどにぱつんぱつんになっているのだ。


 俺はそんな邪念を振り払うかのように、脱衣所と浴室を分かつ扉にもたれかかりながら、『常闇の手枷』についての今までの検証結果を考察してみる。


 まず前提としてだが、常闇の手枷は普段は無色透明で、傍から見ればその場に存在していると認識されることはない。

 物は透過するし、レリアと常に一緒にいなければならないということを除けば、日常生活を送る上でほとんど支障がないと言える。


 その上で、様々な実験の結果、常闇の手枷がその姿を顕現するのは大きく分けて二つあることがわかった。


 一つはその効果が発揮された時だ。


 レリアに押し倒される結果となった一回目の効果発動時。

 この時は確かに常闇の手枷が顕現していた。

 そのため、一体どれくらいの距離を離れたらその効果が発動するのかを調べるために少しずつ距離を取る実験をしてみた。


 そうしたところ、ちょうど三メートルの距離を離れたところで常闇の手枷が黒い光を放ちながら顕現し、俺とレリアは引き寄せられるように元の場所に戻ってしまっていた。

 どうやら俺とレリアが離れられる距離は三メートルが限界のようだ。


 そして、もう一つは常闇の手枷を破壊の意図を持って攻撃した時だ。


 俺達はまず物理的に破壊できないか実験をしてみた。

 山小屋にあった斧を常闇の手枷があるはずの場所に思いっきり振り下ろしてみたのだ。

 すると、常闇の手枷はその姿を現したのだが、ゴンッという鈍い音とともに斧の方が見るも無惨に砕け散ってしまったのだ。これで常闇の手枷がかなりの強度を持っているのがわかった。


 次に、物理的な破壊が無理なのであれば、魔法での破壊はどうかという実験もしてみた。

 レリアは攻撃魔法が得意ではないということで、結局は俺のお家芸となりつつある『ささやかなタイニーライト』を常闇の手枷に向けて放ってみた。


 しかし結果は散々。

 これも斧と同様に、常闇の手枷には傷の一つも付けることができなかった。


 ちなみに、破壊の意図を持って触れるのではない場合、例えば、ただ単に常闇の手枷があるはずの場所で手を上下させてみても常闇の手枷は顕現せず、ただ手が透過しただけだった。


 まあ、その性質のおかげでこうやって完全に扉を締め切った形でお風呂に入ることもできているわけだが。


 とこんな感じに常闇の手枷の性質はそれなりにわかってきたのだが、殊、壊すという点においては八方塞がりになっている状況だった。


「あの……ジルベール様。聞こえますか?」


 そんなことを考えながら脱衣所の天井を眺めていると、浴室からレリアの声がした。


「どうしたレリア」


 俺の頭は常闇の手枷のことで一杯になっていたため、不意の問いかけにうっかり反応してしまった。


「ジルベール様。耳を塞いでてくださいって言いましたよね?」


「…………何も聞こえていません」


「ふふ、もう遅いですよ。ジルベール様もそういったご冗談をおっしゃるのですね」


「レリアの中で俺は一体どんなイメージなんだよ」


「真面目で誠実な方だと思っておりますよ。だってほら、ジルベール様はこの状況でも浴室を覗いたりせず、物思いに耽っていらしたようですし」


 からかうようにレリアが「ふふっ」と微笑するのがわかる。


「それはさすがに買いかぶりすぎだよ。俺はそんなに評価されるような人間じゃない。それにそのジルベール『様』って呼び方もいい加減やめてくれないか。むずがゆくて仕方ない」


「それはなりません。私にとってジルベール様は英雄なのですから」


 英雄か……。

 その言葉に俺の中で黒い感情が渦巻く。


 所詮、俺はハズレ固有魔法【速記術】の所持者。家から追放されたはみ出し者だ。

 彼女に英雄などと言ってもらえるような人間じゃない。


 彼女を助けることができたのも火事場の馬鹿力で偶々うまくいっただけだ。


 その事実を直視したくなくて、レリアに無様な姿を晒したくなくて、あれから俺は一度も『魔法陣』を描いていないのだ。


「俺は英雄なんかじゃないよ……」


「……?」


 俺の異変に気付いたのか、レリアがバシャリと音を立てながら浴槽から立ち上がるのがわかる。


「実を言うとあんなすごい魔法が使えたのは初めてなんだ。あの時は無我夢中で自分でも何が起きたのかわからなかった」


「……そうだったのですね」


 レリアの声が近くから聞こえた気がした。


「私、見てました。あれは『詠唱魔法』ではなく『魔法陣』ですよね? それも発動速度が異常に速い」


「…………」


「ジルベール様から固有魔法の話を伺って合点がいきました。あの魔法陣はその固有魔法【速記術】で描かれたのですね?」


 俺は確かにこの数日で自分の固有魔法が【速記術】であることをレリアに打ち明けた。

 しかし、あの戦闘において使用したとは言っていなかった。

 それなのに彼女はあの魔法が『魔法陣』で、しかもそれが【速記術】によるものだと見抜いていた。


 どうやらあの場を一番冷静に俯瞰できていたのは、他でもないレリアだったようだ。


 ビルゴ達は今でも俺が何をしたのかわかっていないだろうし、何なら俺も夢だったんじゃないかと思ってるぐらいだ。


「本当に偶々できただけなんだ。日課で毎日模写していた魔法陣が急に頭に浮かんで、気付いた時には魔法陣が発動していた。おそらくは【速記術】の影響なんだろうけど……こんなの所詮はハズレ固有魔法だから……」


「そんなことありませんよ」


 そんな俺の卑屈な言葉に返ってきたのは思いのほか優しく、全てを包み込むような温かい言葉だった。


 俺はその言葉に伏せていた顔を上げた。


 なんとなく背中にレリアの体温が伝わってくるような気がした。


「私はそのジルベール様が言うハズレ固有魔法に救われました。その事実は変わりません。それにジルベール様も実はもうお気付きではないのですか? その固有魔法の素晴らしさを」


「……え?」


「私はジルベール様の魔法陣を見たとき、思わず心を奪われてしまいました。虚空に一瞬にして浮かび上がる美しい紋様と、その静謐さに」


「…………」


「通常の詠唱魔法は、身体から溢れ出る魔力を詠唱に込めながら、魔術式を構築していく必要があります。これは非常に集中力を要する作業ですし、術者が未熟であればあるほど詠唱にも時間がかかります。しかしジルベール様はそれを無詠唱で、しかも一瞬でやってのけたのです。この『詠唱魔法』が主流の大魔導時代において、詠唱魔法よりも速く魔法を発動できる。これは真似をしようと思ってできるものではありません」


 そして、一拍置いた後、レリアは心根に響くような優しい声音で言った。


「【速記術】――これは誰にも真似できないジルベール様の個性ですよ」


「俺の……個性……?」


「そうです。【速記術】は神がジルベール様にお与えになった素晴らしい個性です。そして、ジルベール様はその個性を使いこなす知識と冷静さ、何より人に寄り添う優しい心をお持ちです。ジルベール様はきっとこの先、この大魔導時代を背負う魔導士になられるでしょう。私が保証します」


 俺はレリアの言葉を咀嚼するように瞑目する。

 すると、レリアの言葉がじんわりと心に沁みわたっていくのを感じた。


 それは今まで呪いのように巣くうていた感情が浄化されていくような感覚だった。


 俺は【速記術】を受け入れていいのか。

 家を追放されるきっかけとなったこの固有魔法を……。


「…………」


「す、すみません。私ったら出過ぎた真似を。ただ、あの……私は……」


 レリアは自分が熱弁していたことにハッとしたようだ。

 取り繕うように慌てた声を上げる。


「いや、いいんだ」


 しかし、俺はレリアを制して、ぽつりぽつりと心情を吐露する。


「正直なところ、俺はこの【速記術】を快く思っていなかった。固有魔法が【速記術】だったばっかりに蔑まれて、こんな山小屋で一人で暮らすことになって……」


「…………」


「でも、子供の頃からの六天魔導士になるという夢がどうしても諦められなくて……実は魔導学園を何校も受験したんだ。けれど結果は全て不合格」


「…………」


「ああ、もう俺なんか生きている意味なんかないんだと自暴自棄になっているときにレリアに出会った。そして、『魔法陣』で……俺の【速記術】でレリアを助けることができた……」


「…………」


「六天魔導士は夢のまた夢かもしれない。けれど、こんな俺が……俺の【速記術】がほんのちょっとでも人の役に立てるというのなら……」


 そこまで言って俺は大きく深呼吸をすると、精一杯宣言する。


「レリアの言葉を信じてもう少しだけ頑張ってみようと思う」


 レリアはそんな俺の語りを見守るように聞いてくれた。


 俺が全てを言い終えた頃には、今まで渦巻いていた【速記術】に対する劣等感も、『魔法陣』に対する恐怖心も消えていた。


「私の言葉が少しでもジルベール様のお役に立てましたこと、心より嬉しゅう思います」


 しみじみとした彼女の声が俺の心に木霊する。


 ああ、声だけでわかる。

 彼女は今、俺のことを包み込んでくれるような表情で微笑んでいることを。


 彼女の顔が見られないことが心底残念だった。


 しばしの沈黙の末、レリアがゆっくりと口を開いた。


「ジルベール様に一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか」


「……提案?」


「はい。あの……もしよかったら――――私と一緒に『王立セレスティア魔導学園』を受験しませんか?」



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