§005 魔法陣

「…………」


 あれ……なんともないぞ……。


 俺は恐る恐る目を開け、自分の身体が無事であることを認識する。


 そして、視線を上げると……。


「これはいったい……」


 ビルゴの姿はそこには無く、代わりにビルゴが立っていた地面が遥か後方まで抉られていたのだ。


 それはさながら巨大な怪物が通った跡のよう。

 そんな轍の先に視線を向けると、岩壁にたたきつけられ腕をだらんとさせたビルゴの姿があった。


 俺は何が起きたのか即座に理解できずに、思わず前衛と中衛の男を見やる。

 ただ、状況を把握できていないのは男達も同じのようで、彼らも轍を見つめて茫然と立ち尽くしているだけであった。


「お、おいおいビルゴさんが……やられちゃったぞ……」


「こっこいつ何しやがった……。無詠唱であんな強力な魔法出せるわけがない……」


 そんな男達の声が聞こえてくる。


 もしかして……これ……俺がやったのか……。

 でも、一体、どうやって……。


 ……無意識のうちに詠唱をしていた?


 いやそれこそあり得ない話だ。

 男達が「無詠唱で」と言っていることから俺が詠唱をしていないのは明らか。

 でも、詠唱もせずに魔法が発動するわけがない。

 それにビルゴは既に詠唱を終えていたのだ。

 その速度を上回る詠唱を俺ができるわけがない。


 じゃあこの状況は一体……。


 いや待てよ。

 そういえば、目を瞑った瞬間に何かが頭に思い浮かんだような……。


 俺はあの時の状況を必死に思い返してみる。そして、ある一つの解に辿り着いた。


 ――『魔法陣』――


 ……そうか。俺の固有魔法【速記術】を使って『魔法陣』を描くことができれば……。


「とりあえずあのガキを捕らえるぞ」

「そ、そうだよな。このままにはしておけねー」


 男達はそう言うと同時に、一斉に魔法の詠唱を開始する。


「――『母なる大地よりいでし我の忠実なる僕よ、その堅固たる力の源をもって……』――」

「――『遥か彼方より吹きすさぶさすらいの息吹よ、その一陣は熾烈なる刃となって……』――」


 そこからは無我夢中だった。

 俺はすぅーっと息を吸って、精神を集中させる。


 よし……いいぞ。いつも魔導書の模写をしているときと同じ精神状態だ。


 俺はその状態を維持しながら、頭の中で記憶の中にある無数の魔法陣を思い浮かべる。

 意識が段々深いところに潜っていくのがわかる。

 男達の詠唱が別世界のことのように遠く聞こえる。


 途端、電球が突然切れたかのように、視界が暗転した。


 光の届かない深海に投げ出されたような、息をすることもできない宇宙に放り出されたような。まるで自分の身体じゃないような感覚。


 く……、苦しい……っ……。


 しかし、そんな永遠に続くかのように感じた時間も終わりを迎え、まるで花火がパッと花開いたかのように、頭の中で魔法陣の姿が鮮明に浮かび上がった。


 次の瞬間、俺は叫んでいた。


「――深紅の火山弾ヴォルケーノ・バレット――」


 そう言って二本の指を男達に差し向けると、男達の眼前に深紅の文字による魔法陣が顕現する。


 その時間――コンマ一秒。


 次に瞬きをしたときには、二人の身体はビルゴと同様に後方へと弾け飛び、ベキベキと木々がへし折れる音とともに、ズドンと岩壁に背中を強くたたきつけられる音が鳴り響いた。


 で、できたのか……。


 俺は自分の両手に目を向けると、恐怖と興奮からか、ガタガタと震えていた。


「す、すごい……」


 直後、俺は背後から聞こえてきた声にハッと我に返る。

 すると、そこにはとっくに逃げたと思っていた少女が、さっきとまったく同じ場所、同じ格好で座り込んでいたのだ。


「おいおい、逃げろって言ったじゃないか」


 俺は少女の下に駆け寄って声をかける。


「申し訳ございません。腰が抜けてしまって動くことができませんでした」


 その言葉にハッとして彼女を見る。

 神に祈るように胸の前でギュッと結ばれた手はわなわなと震え、唇はすっかり青ざめてしまっていた。


 年端もいかない少女が夜中に襲われたのだ。

 動けなくても無理もないか……。


 俺はつい強い声をかけてしまったことを反省する。


「いや、君が無事ならいいんだ」


 そう言って笑顔を向けると、彼女も安堵したように目を細めて微笑んで見せる。


「あ、あの……危ないところを助けていただき、ありがとうございます」


 へたり込んだままペコリと頭を下げる少女。

 彼女はまるで清楚を絵に描いたような美少女だった。


 清廉さを醸し出す整った顔立ちに、ベールからこぼれるように腰まで流れた金色の髪。

 瞳はサファイアのように透き通った碧色で、はだけてしまった修道服からチラチラと見えている胸元は雪のように白い。


 その浮世離れした美しさについ見惚れてしまい、一瞬言葉が出なかった。

 ただ、状況が状況だけにさすがに不謹慎だと思い直す。


 そういえば……彼女は先ほど『聖女様』と呼ばれていた。

 彼女の白色と青色を基調とした修道服には確かに高価そうな装飾があしらわれており、高位の聖職者というのも頷ける。


「あの男達は一体何だったんだ? 君のことを『聖女様』と呼んでたみたいだけど……」


 しかし、俺の問いかけに彼女は首を横に振る。


「……わかりません。このようなことは初めてでしたもので。ただ、貴方様のおっしゃるとおり、男達は私のことを知っているようでした……」


 心当たり無しか……。

 そうなるとやはりいわゆる『聖女様』が持つと言われる力が狙いか。

 それか身代金狙いという可能性もある。


 そんな考えが一瞬頭をよぎったが、彼女がまだ地面にへたり込んでいるのを見て、とりあえず思考を中断する。


「もう夜も遅い。とりあえずここを離れよう」


 そう言って彼女に手を差し出した。

 それに遠慮深げに応じる彼女。


 しかしその瞬間――バチっと電撃が走るような音がした。


 突如、彼女から黒い光が湧き上がった。


「うおっ!」

「きゃっ!」


 俺と彼女は同時に悲鳴を上げるが時すでに遅し。その黒い光は、禍々しいオーラを放ちながら俺と彼女を包み込んだのだった。



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