§004 上級魔導士

 思いっきり振り抜いた拳には鈍い感触が残った。


 それもそのはず。

 俺は茂みから飛び出しざまに、男の顔面目掛けて渾身の力で右ストレートを見舞ってやったのだ。


 直後、ゴフッという低い音とともに男の身体が大きく後ろに弾け飛んでいた。


「いってー」


 頬を押さえながら尻もちをつく男。

 とりあえず先制攻撃は成功したみたいだ。


 俺は男を睨みつけながら守り立つように両手を広げると、背後の者に声をかける。


「間に合ってよかった。怪我はないか」


「は、はい……」


 あまりにも力ない声に俺は思わず目を向ける。

 するとそこには瞳に涙を溜め、神に祈りを捧げるように両手をギュッと握った少女の姿があった。


 俺とさして変わらないであろう歳の修道服を身に纏った少女。

 服のいたるところが擦り切れており、所々に血痕が滲んでいた。


 もう少し早く駆けつけていれば……と罪悪感にも似た感情が湧き上がってくるが、ひとまずは目の前の敵に集中しなければならない。


 俺は男達に視線を戻す。


「おうおう、いきなり飛び出してきて、グーパン見舞ってくるとはどういう神経してんだよコラ」


 ぶっ飛ばされた大柄な男は怒りを顕わにしていた。

 頬を手で押さえながらのそりと立ち上がると、俺のことを思い切り睨みつけてきた。


「こんな多勢で一人の女の子を追いかけてる方がどうかしてるんじゃないのか」


 俺も負けじと鋭い視線を返す。


 相手は……三人。

 俺がぶっ飛ばした筋骨隆々の男を筆頭に、ひょろ長い男が二人。

 最初は盗賊かと思ったが、身なりを見る限り相手は魔導士だ。


 ただの盗賊であれば適当に魔法でかく乱して逃げられると思っていたが、相手が魔導士となると初級魔法しか使えない俺は明らかに不利。

 しかも、この人数差だ。


 俺はしばし黙考する。


 最優先すべき行動は――この子を逃がすことだろうな……。


 俺はこの少女のことを知らない。

 どんな経緯で男達に追われているのかも不明だ。

 だから、俺が命がけで彼女を守る義理なんてないのかもしれない。


 でも……と思う。


 俺は神からハズレ固有魔法を与えられ、家を追放された無価値な人間。

 もはや夢も希望も無く、ただ無為な時間を過ごすだけの哀れな男だ。


 そんな俺でも……彼女を救うことができるなら……。


 そこまで考えて、俺の心はすぐに決まった。


 ――たとえ刺し違えることになったとしても本望だ。


「君は今すぐ逃げろ! 俺が時間を稼ぐ!」


 少女に向かってそう叫ぶと、俺は男達と相対する。


「ビルゴさんにグーパン見舞っておいて、無事で済むと思うなよガキ」


 どうやら相手のリーダー格の男はビルゴという名前らしい。


 俺は他にも読み取れる情報はないかと、必死に周囲の状況を観察する。


 何か戦闘に使えるものはないか……逃げるにはどちらの方角が適切か……。


 周囲は森だらけで武器に使えそうなものはない。

 男達の後方には反り立った岩壁があり、あちら側に逃げると行き止まりになる可能性もある。

 こうなると、少女を無事に逃がしたら、背後に広がる森に紛れて退散するのが最適解だろう。

 それまではどうにか時間を稼ぐ。


「おいおい、女の子を守ってヒーロー気取りかよ。生憎、その女はお前みたいな田舎者がどうこうできる代物じゃないぜ。なんて言ったって彼女は我らが『聖女様』だからな」


「……聖女?」


 聖女とは確か聖職者の中でも特殊な力を持って生まれてきた者の呼称だ。


 となると、こいつらの狙いは彼女の力か。

 まさか悪の組織とか言うんじゃないだろうな。


「それにケンカを売る相手を間違えるなよ。オレ達は上級魔導士だぞ」


 突如として紡がれたビルゴの言葉に、俺の身体は一瞬にしてすくんでしまった。


 上級魔導士とは、上級魔法を一〇個以上使いこなすことができる魔導士に与えられる称号だ。

 初級魔法しか使えない俺が敵う相手ではない。


 想像以上に劣勢であることを理解した俺は唇を噛みしめるが、最早引き下がるという選択肢はない。

 

 姿勢を低くして臨戦態勢の構えに入る。


「マジでやる気みたいだな。まあ口で言ってもわからねー田舎者には身体で教えてやるのが一番だからな」


 そう言ってビルゴが高笑いを上げると同時に、俺はズザッと音が鳴るほど強く地を蹴ってビルゴに向かって一直線に駆け出す。


「なかなか速いじゃねーの。ま、魔導士相手じゃいくら速くても関係ねーけどな。おい、お前らいくぞ」


「「へい!!」」


 ビルゴの合図とともに、男達は散開して戦闘の陣形に入る。


 魔導士が戦闘をするときは、前衛、中衛、後衛に分かれるのが基本だ。

 なぜなら魔法の発動には『詠唱』を伴うから。

 初級魔法であれば短い詠唱でも発動可能なのだが、上級魔法になればなるほど長い詠唱を必要とする。


 そんな詠唱時間を確保するために考案されたのが、前衛、中衛、後衛に分かれる戦法――その名も『陣』だ。


 前衛は単発の魔法や身体強化魔法などによって相手の侵攻を阻止し、中衛は補助魔法によって前衛をサポート、そして、後衛が大規模な攻撃魔法によって相手を殲滅するという図式だ。


 相手の陣はビルゴが後衛、ひょろ長い男達が前衛と中衛だ。

 前衛と中衛の男は短い詠唱を繰り返しながら、小さな石の礫を打ち込んでくる。

 おそらくは地属性の初級魔法だろう。


 俺はすんでのところで石の礫を躱し、素早く詠唱を紡ぐ。


「――『火の精霊よ、我に灯の炎を与えたまえ』――ささやかな灯タイニーライト――」


 同時に小さい火の玉が顕現し、前衛の男に向かって突き進む。

 しかし、着弾直前、男が火の粉を払うかのように宙を撫ぜると、俺の放った火の玉は簡単に消失してしまった。


「ガハハ、なんだよお前。もしかして初級魔法すらまともに使えないくせにオレ様に盾突いたのか? そういうのを身の程知らずっていうんだよ!」


 そう言ってビルゴは愉悦に満ち溢れた声を上げると、傲岸な態度を体現するかのように両手を広げて魔法の詠唱を開始する。


「――『大地に眠りし獄炎の精霊サラマンダーよ、その深淵の滾りをもって……』――」


 詠唱が進むに伴い、地表から橙色の炎が次々と立ち上る。

 揺らめく炎は次第にビルゴの頭上に集約され、燃え盛る球体へと姿を変えていく。


「……あれは」


 俺はその魔法に見覚えがあった。


 火属性の上級魔法――煉獄の陽炎ブレイジング・フレア――


 父が魔物との戦闘においてよく使っていた殲滅魔法だ。


 あんなものを食らったらひとたまりもない。

 何よりも先に詠唱を止めなければ。


 そう思うと同時に俺はビルゴの下へ駆け出す。

 しかし、前衛の男の攻撃魔法が行く手を阻む。


「――くっ!」


 俺の足がもっと速ければ! 俺がもっと強力な魔法を使いこなせれば!

 そんな悔しさを胸に抱きつつ俺は必死にビルゴに向かって走り、どうにか中級以上の魔法を構築しようとするが、付け焼き刃の魔法が発動するはずもなく……。


「ふ、時間切れだな、小僧」


 ビルゴの表情が陰惨な笑みに変わる。


「恨むなら俺じゃなくその聖女様を恨めよ。ってことでここでさよならだ」

 ダメだ……間に合わない……。


「――煉獄の陽炎ブレイジング・フレアぁぁああ――」


 ビルゴの声が木霊する。


 あまりの恐怖に目を瞑った瞬間…………ある光景が脳裏に浮かんだ。


 それはこの半年の間、何千回、何万回と模写した『魔法陣』だった。


 コンマ一秒後。


 ドゴォォオオ――――ン!という凄まじい轟音とともに、ベキベキと木々がへし折れる音が連続したのだった。



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