七匹カエル

羽月

七匹カエル


俺たちの通学路にはカエルの石像がある。古びて苔むしたさほど大きくない石像だ。それが七体。この通学路は緩やかにカーブした見通しの悪い坂道で、昔は事故が多かったそうだ。なので、無事家に帰れるようにと願いを込めてカエルの石像を置いたのだとか。ダジャレかよ。まあ、ダジャレかどうかは別としても、この石像を設置してから事故はなくなったというから、ご利益はあるのかもしれない。




――そして、ご利益があるなら、その逆で災いもあるらしい。




このカエルの石像。もし一匹でも欠けたならば、その欠けた分を埋めるモノを求めるのだという。




***




そんなバカらしい言い伝え本当のわけないじゃん。どうだ、あの石像のうちの一匹、壊してみないか? そう言い出したのは俺の幼馴染のショーイチ。ショーイチと俺は小学校の時からたびたび悪さを働いてきた悪ガキ仲間だ。たわいもないイタズラばっかだけど、大人たちはそのたび目くじらを立てて怒る。それが大層面白くて、中学生になった今でも中々やめられない。


「壊したらさすがにやばくないか?」

「そっか、じゃあ隠すだけ。騒ぎになったら戻せばいいじゃん?」

「ああ、まあそれなら大丈夫か」


中々やめられないでいるけど、来年にはもう中三で、そのまた来年には高校生だ。いいかげんバカやるのもやめなきゃなあと思ってはいる。いまだに小学生の頃と全然変わらないショーイチ。そのバカに付き合うのもあと何回あることだろう? 何やっても目こぼしされるのは義務教育の間だけだ。これも大人になったらいい思い出になるんだろうさ。


「じゃあ、今日の放課後な! 七匹カエルの前集合で」

「わかった」


ショーイチは勉強もできないし、高校はきっと別のところにいって、俺とは違う生き方をしてくんだろうなあ。そう考えると、こうやって一緒に悪ガキやるのが何かちょっと切ないような気持ちにもなる。……よし、今日はめいっぱいバカやって楽しむか!




***




放課後寄り道せずに真っ直ぐ向かったというのに、ショーイチはすでにそこにいた。おせえよ、なんて得意げに笑うから、走ってきたのかよだせえ、と俺も憎まれ口を返した。


――七匹カエルは今日も整然と並んでいる。よく見るとそれぞれ若干大きさが違くて、一番大きいのがバスケットボールくらい、一番小さいのはそれより一回りくらい小柄だ。苔の隙間から見える顔つきも少しずつ違って、ああ手彫りなのかなと思う。


「どれにする?」

「一番小さいのにしようぜ。重いし」

「じゃあこれか。どこに隠す?」


ショーイチの言葉にきょろきょろと周囲を見渡す。小さいとはいえ重い石像を持って遠くには行きたくない。返すのも大変だし。


「あ、あそこでよくないか? あの木の根元、ちょうどくぼみみたいになってる」

「じゃあそこにするか」


再度周りを見て他に誰もいないのを確かめてから、二人で持ち上げて移動する。ずっしりひんやりと重い石像は、動かされるのを拒んでいるような気がちょっとだけした。


「よい、しょっと! ふう、重かった……」

「そうだな。……じゃ、さっさと行くか。誰か来たらやばい」

「だな。帰ろうぜ!」


そそくさとその場を立ち去る。明日には大騒ぎかもな、角の家のクソじじいなんて怒りすぎてぶっ倒れるかも、そんなことをわいわい話しながら坂を下って、互いの家に続くT字路のところでじゃあなと左右に別れた。


悪いことをしたあとは独特のどきどき感があって、俺はその後の夕食中もにやにやしていたらしい。あんたまたなんかやったんじゃないだろうね、と鋭い目つきの母さんに睨まれて、やってねえしと慌てる。


「もう二年生なんだから、いいかげんバカやるのもやめなさいよ。来年は受験なのよ。高校の推薦もらえなかったらどうするの」

「……うるさいなあ、わかってるし」

「あんたはお兄ちゃんと比べて出来が悪いからね、全く、誰に似たのかしら」


そしてぐちぐちと始まったイヤな言葉たちを耳から耳へ聞き流しながら夕食をかっこみ、ごちそうさまと席を立つ。ちょっと待ちなさいよとうるさい声を無視して足早に自室へ。むかっ腹を宥めながらベッドに転がる。


「……わかってるし。マジうるせえ」


事あるごとに出来のいい兄と比べ、品行方正を求めてくる口うるさい母親。家なんて全然安らげない。さっきまでは、ショーイチとバカやった楽しさの名残であんなに心が満たされてたのに。今はもうイライラするだけ。


「……いいなあ。俺もショーイチみたいになりたいよ、ほんと」


いつまでもバカ丸だしで、楽しいことだけ考えてればよくて、勉強なんてできなくっていい。なんてうらやましいんだろう、とそう思うのをやめられない。――俺はきっと、本当は、ショーイチのことが嫌いなんだ。




***




翌日放課後通りかかったら、七匹カエルの石像のところでジジババたちが数人深刻そうに話し合ってた。あ、見つかったんだなと思った。夜ショーイチに電話したら弾んだ声でまだ見つかってないみたいだぜ、と言う。


「あんな近くに置いたのにか?」

『ジジババども目悪いし、それにあんな近くに隠してあるなんて逆に考えもしないんじゃね? とーもとくらしってやつ』

「塔じゃなくて灯台だろ」

『あ、それそれ!』


本当バカだよなあこいつと思いながら二言三言話して電話を切った。正直石像がないのを見つかったらジジババはもっと大騒ぎするかと思ったが、緊急の回覧板も回ってこなければ直接家に訪ねてくることもない。こんなもんか、と思いながら目を閉じた。







その翌日の放課後、今日も同じように見通しの悪い坂道を下りていると、何やら前方の方にちらちらと赤い光が明滅している。何だ? と思いながら進んでいけば、カーブを曲がった途端、パトカーが目に入る。動き回る警官と野次馬の姿。事故だ、とすぐわかった。


「あれ、あんたは相模さんとこの子かい」


少し遠巻きに眺めていたけれど、野次馬の一人に目敏く見つかって声をかけられてしまった。こんにちは、と愛想笑いしてその場を立ち去ろうとするも、この道で事故なんてもう何年も起きてなかったのにねえと会話を振られ足を止めないわけにもいかず、はあそうですか、と生返事を返した。


「やっぱり、一匹いなくなったせいかねえ……」

「……いなくなったっていうのは?」


ぽつりと続けられた言葉に思わず興味を向ければ、どこのひとだったか定かではないおばさんはぺらぺらと舌を動かしてくれた。この先のカーブに七匹カエルと呼ばれる石像があってそれを動かすと云々。


「昨日ね、石像が一匹なくなってたそうなのよ。だから、誰か一人代わりに連れてくまで、また事故が起き続けるんだって」


じい様たちが言ってるのよね。やあね、不吉よね。おばさんはそう言って坂の下を見やった。その視線の先を追った俺の背筋には冷や汗が流れていた。




***




そしてそれからそこでは、何もないのに転んだとか、自転車のブレーキが突然故障したとか、カーブを曲がり切れずにバイクが転倒したとか、大なり小なり事故が続き、その道を避けて通る者が増えた。それでもやまない事故に俺は思い始めた。今はまださほど大きな事故ではない。でもそのうち大きな事故が起こったら? 誰かが死んだりしたら? ……あの石像を動かしたのはやっぱり間違いだったんだ!


放課後、人気のない空き教室にショーイチを呼び出した。どうしたらいいのか話し合おうと思った。でも気付けば俺たちの会話はどちらが悪いのかの罵り合いになっていて、その内容もいつの間にかこの間のことに対する不満からかけ離れていった。


「……前から思ってたんだよ! 中学生にもなってさ、いまだにそんなバカばっかやってさ、もうガキじゃねえんだよ!」

「お前も一緒にやったじゃん! 何で俺ばっか悪いことになるんだよ!」

「お前に付き合って仕方なくやってやったんだよ! そんなこともわかんねえの?!」

「お前だって楽しんでたじゃんっ!」

「バカなお前を哀れに思って楽しんでるフリしてやってたんだよ! ほんとバカじゃねえのお前!」

「な……っ、お前、俺のことそんな風に思ってたのかよ! 最低だな!」

「最低はお前だろ! いつもイタズラばっかして、誰か困らせて笑って楽しんで! 相手の迷惑なんて考えもしない! 最低だよ、お前!」

「……っ」

「バカは死んでも治んねえって言うけどさ、お前一回死んだ方がいいんじゃねえの!」


ショーイチは、それ以上言い返さなかった。言葉が途切れて俺は、勢いに任せて言いすぎたことを悟った。でも、謝罪の言葉は出てこない。だってこれは、俺の……本心だった。


しばらく睨み合った。ショーイチの瞳は揺らめいている。今にも泣きそうだ。俺の目はどうなんだろうか。きっと、乾いているんだろう。


「……もういいよ」


どれだけの時間睨み合っていたのか、ショーイチはふいに視線を外すと、ぽつりと力なく呟き教室を出ていった。ばたばたと廊下を走る足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなって、ようやく俺は息を吐いた。荒れ狂う嵐のような、淀んだ水のような、黒くて汚れた嫌な気分が胸を覆っていた。







その日の夜中、家の電話が鳴った。まだ夜明けも遠い真っ暗な時間。寝静まった家中を叩き起こすようなそんな音で。


母親が電話に出た。居間の方でぼそぼそと話す声が聞こえ、やがて途切れた。そしてその足で、慌てた様子で俺の部屋に飛び込んでくるなり、言った。


「しょ、正一くんが……亡くなったって」




――この日俺は、幼馴染を、永遠に失った。




***




そして後日、なくなったカエルの石像の代わりに、真新しい一匹が横に並んだ。その腹には、杉田正一、と名が刻まれている。

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