氷の季節
忍野木しか
氷の季節
梅の花が遅く咲いた六月の終わり。梅雨に濡れた大地に雪が降った。
氷の季節の到来である。
一瞬のうちに凍りつく世界。丘の上で梅の花が氷点下の風に震えた。一面が白く流れる草原。凍った田んぼの水の底でオタマジャクシは目を瞑る。氷の下で裏返ったタガメ。冷たい雪に覆われたアゲハ蝶。殻の中で凍ったカタツムリは夏の日差しを焦がれた。
紅い梅の花が一枚、風に流される。枝に蹲るツバメは白い空に舞う花弁の最後を見送った。吹雪が森を襲う。芯まで凍える木々。凍った水分が膨張し、発砲音と共に破裂する。空気を凍らす吹雪の群は、世界を命のない白に染めていった。
オニヤンマは風を切った。白い枯れ葉に蹲る毛虫を掴むと音もなく飛び上がる。後を追う吹雪の怒り。猛然と襲いかかる雪の弾丸。オニヤンマは山の影に身を翻すと、洞穴に毛虫を逃した。白い空を見据えるオニヤンマ。一点の雲の隙間を見逃さない複眼。再び風の中に舞ったオニヤンマは、雪の嵐を切り裂いて天を目指した。
吹雪に吠える獣。クマは雪山を駆けた。凍った湖を素手で叩き割ると、スイレンの花びらの雪を落とす。吹雪を遮るように立ち上がる黒い獣。フクロウの声を頼りに白い世界を進んだ。
身を寄せ合うカエルが歌う。降り頻る雪の中で悠然と咲く紫陽花。
梅の花が一枚、風に流されると、スズメの子が風に舞って花びらを救出した。梅は微笑んだ。スズメの子を枝に抱くと、全ての花弁を天に送る。
雪の嵐を貫くオニヤンマ。雲の隙間に飛び込むと、雷鳴が厚い水の層で轟く。オニヤンマは速度を上げた。羽を覆う水滴が剥がれる。風の追いつけない世界。
雲を抜けたオニヤンマは暗い宇宙を見上げた。太陽のない空。欠けた月が氷の世界を見下ろしている。
オニヤンマは激怒した。羽を鋭く震わすと複眼で月を睨みつける。空気の薄い空でオニヤンマは月に向かって飛び上がった。悲鳴を上げる欠けた月。慌てて体を回すと地球の裏側に逃げていく。
オニヤンマは微笑んだ。太陽がそっと体を動かす。ほんのり明るむ空。ゆっくりと羽ばたくのを止めたオニヤンマは雲の底に沈んでいった。
月のいなくなった空に顔を出す太陽。オニヤンマの沈んだ雲の穴。
梅の花がスッと雲の隙間から顔を出した。オニヤンマは花びらの布団で僅かに羽を動かす。
梅の花に導かれる陽光。雲の隙間をくぐり抜けて地上に舞い落ちる花びら。
白い大地を明るく照らす太陽は氷の季節の終わりを告げた。
暑い夏の始まりである。
氷の季節 忍野木しか @yura526
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます