御守

常陸乃ひかる

御守

 あるオフィスで男女が言い合いをしている。

「オカルトの力を信じるなんて、ナンセンスだろ」

「そんなのあたしの自由でしょ。科学の情報ばかり信じるあなたとは違うの」

 非科学的なことは信じない男と、スピリチュアルな振舞いにかれる女。ふたりの性格が災いし、しょっちゅう衝突していた。


「それに、あたしのお陰で生きてると言っても過言じゃないの」

 言いながら、女は常套じょうとう手段のように、通勤用のトートバッグに手を突っこみ、内ポケットをガサゴソと始めた。このような光景、以前にも何回か見た覚えがある。

 確か、あの時は――

『痩せるサプリメント』

『モテるための自己啓発本』

『投資信託のパンフレット(銀行の名前入り)』

 など、手品師と見紛みまごうほど、日によってバッグから出てくるものが変化し、それらの素晴らしさを自慢げに語っていた。あれから約一年。

 皮肉にも、女は体重が〇キログラム増え、依然として恋人はできず、手数料がかかるばかりのゴミ商品を運用し続けている。


「ホラ! 見て!」

 今回、女が取り出したのは、果たして何年選手なのか――と同情さえ浮かべてしまう、四隅が擦り切れた御守おまもりだった。くすんだ白い紐で上部の口を閉じた、紫色の一般的なそれには、白い文字で『身代御守』と書かれている。

 察するところ、持ち主の身代わりになってくれるのだろう。本当にその効能があるならば、数十万円でも安いくらいの一品だが。

「あたし、御守の力で何度も命を救われてるんだから」

「大袈裟だな。例えばどんな出来事が?」

 男が聞き返すと、女はあごに人差し指を当てて考える仕草をし、

「高校の頃、野良犬に追いかけられたの。その時、リュックにつけてた御守が取れちゃって、慌てて拾ってる間に噛まれて血まみれになったわけ。でも大怪我はせず、狂犬病にもならなかったのよ! どうよ?」

 満天の星空を、目の中に輝かせた。

「どうよって」

「あと大学の時、車にはねられたの。実はその時も御守がバッグから切れちゃってさあ、拾ってる時に車が来て、ドーン! でも骨折で済んだわけ。すごくない?」

 星屑が増えてゆく。厄介なことに、口元には三日月が昇ってきた。

「お、おう」

きわめつきは、こないだ! 駅のホームで、この御守を落としたの。そしたら――」

 しかし、よく御守を落とす女である。どうせこのあと、誰かが御守を拾ってくれて、その人は危ない痴漢だった、とかなんとか言うのだろう。

「拾ってくれたのが女性企業家で、しかもセミナーやってる人でさ。次の土曜、その話を聞きに行くことになったわけ。あたしも、ゆくゆくは女社長みたいな? 御守がつないだ出会いに感謝ね」

 危ない度合いが、男の想像をはるかに超えていた。もはや、こいつの頭の中が宇宙である。よく今まで、世知辛い現代を生きてこられたものだ。気がついた時には、銀行口座の預金額から一桁なくなっていそうだ。

「えーっと」

 女の生き方を否定するつもりはない。が、正さなくてはいけない部分が多すぎて、どこから切りこんで良いものやら。


「まず、拾うなよ御守。カバンから落ちた時点で、身代わりになってるんだから」

「え? そうなの?」

「あと御守って有効期限あるぞ。確か一年だったかな? それを過ぎたら購入――じゃなくて授与じゅよした社寺しゃじに返納して、お焚き上げしてもらうんだ」

 考えた末、御守の知識から女の過ちへとつなげようとした。

「え、やばい。あたしイベントのたびに参詣さんけいしてるから、ほかにも御守があるの」

 すると、想像以上に女の顔が曇っていった。

「社寺には、回収ゾーンみたいなのがあるから行ってみると良い。御利益を信じてるなら、ちゃんとやらないとダメだと思うな」

 決して責め立てるつもりはなかったが、女は「そっか」とうつむき、溜息をついてしまった。いつもそうだ、彼女は自分が信じるモノを、ただ嬉しそうに自慢してくるだけなのに、次第に悲しい顔をしているのだ。

「ゴメン……いや、知らなかったなら気持ちを改めれば良いんだ。御守に感謝してるなら、しっかり供養もしないとさ。俺は、神社という日本の文化自体は素晴らしいと思うし、それに惹かれる外国人が居るのも事実だから」

「そ、そっか……そうよね」

 男は反省し、女のフォローに回った。女はぎこちなくだが笑ってくれた。ひとまず、この言い合いには終止符を打てそうだ。


「はあ……じゃあ、まずをなんとかしないといけないわね」

 思った矢先、女がふたたびバッグに手を入れると、両手に収まるほどの巾着を取り出した。何事かと動向を追っていると、静かにその紐を解き、口を下へ向け、ごちゃっとしたカラフルな御守を机にぶちまけたのだ。

 数にして十、二十、三十――いや、三ケタはある。横になったり、重なったり、絶妙なバランスで立っていたり、机上は御守の墓場になってしまった。出来上がった山から自然と埃が立ち上り、おぞましい紫色の煙にさえ見えた。

「最近、バッグ重くて――」

「気持ち悪っ!」

「って、ちょっと! そんなこと言うと罰が当たるから!」

「前言撤回! これは守られてない! た、たぶん……呪われてる!」

 非科学的な力は信じないと言ったが、存在意義さえ失ってしまった亡骸たちを前にすると、男の鳥肌が治まらなくなっていた。

 男の目に映るのは、いったい何年分の願掛けなのだろうか? 女は何歳の時から、バッグの肥やしにもならない亡骸たちを後生大事に巾着に入れていたのだろうか?

 可愛いイチゴが何個もプリントされた巾着が、妙に泣けてくる。

「呪い? え、どうしよ……お焚き上げに行く途中に、また不幸に遭ったら……」

「その量、一日じゃ終わらないぞ? ホラ……まあ、なんだ……もし根気強く返納する気があるなら、週末に車くらいは出すけど。でもセミナー行くんだっけ?」

「行かない! だから、お言葉に甘えます! それから科学的に正しい痩せ方と、効率の良いモテ方と、儲かる投資のやり方を教えてください!」

「いや、投資に関しては無理っす」


 数日後。

 御守の返納に付き合う途中、男は隠れて一角の授与所で、御守をひとつ授かった。しかし、うっかり女に見つかり、なにを授かったのかとしつこく聞かれた。

 科学、科学――なんて言ってきた男が、

『恋愛成就』

 という御守を授かったなんて、口が裂けても言えなかった。仮に、その恋が実った場合のみ、このひとに見せても良いかもしれないが。


 女が言っていた、

『御守がつないだ出会い』

 があるとするならば、形式だけでも神様に感謝しておこうと思っただけである。

 御布施おふせという形で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御守 常陸乃ひかる @consan123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ