Ⅴ-Ⅲ

 ラドガの町は王都ファキーリアと比べれば田舎ではあったが、それでもコボルトの村よりはずっと発展しているとミリィは思った。

 どちらが優れているとかではないし、辺境育ちのウィングローグ族の彼女にとってはラドガよりコボルトの村の方がずっと親しみを感じた。

 ラドガの道は王都と違って舗装もされていないが、それでも町で一番と思われる大通りは馬車が余裕を持ってすれ違うことができるほどの幅があり、道の両側には商店や露店が軒を連ねていて、人通りも多く賑やかだ。

 道行く者の中にはコボルトの村に来た少年兵達のような鎧を身に着けた軍人の姿もあった。


「お嬢ちゃん、買っていかないかい。おいしいよ!」


 威勢の良い女性の声に、ミリィは一瞬肩をびくつかせたが、声の飛んできた方を見て、たちまち目を輝かせた。

 きらきらテカテカとした色鮮やかな半透明の小さなリンゴが、串に刺して並べてある。

 ふわんとした果物の甘酸っぱい匂いと、喉が乾くくらい甘い砂糖の匂いが混じり合って、ミリィの鼻をくすぐった。

「わ、わあ……」

「ミリィ」

 思わず足を止めたミリィの首根っこを押さえつけるような厳しい声がした。

「ヨシノ様、す、すみません。つい……」

「あら、お姉さん。この子の主人かい? どうだい? たまには使用人を労ってやらないかい?」

 露店の女将は抜け目なくヨシノに狙いを定める。

 ヨシノは無感動に飴でできた果物達を眺め、表情を変えずに唇を動かした。

「ミリィ、私達は何をしに来たの?」

「あ、えっと……」

 ヨシノらしくない口調で問われ、ミリィは少し面食らってしまった。

「買い物でしょう。さっさと来なさい。早く用が済めば買ってあげるから」

「は、はい!」

 ミリィは歩き始めたヨシノを追って小走りになった。そして、やっとヨシノが騎士だと周囲に気付かれないために、一般的な女性の話し方をしていることに気が付いた。


――リュカ様が見たら、笑いそうだなあ。

 

 そうしたらヨシノ様は怒るんだろうな。ミリィにはその様子がありありと想像できた。



 コボルトの村で買い揃えることができなかった品々を求めつつ、町のあちらこちらで話を集めたところ、王都で起こったことについて詳細を知っている町人はいないようであったが、王家に何らかの凶事が生じたことは周知の事実であるようだった。混乱を避けるため、まだ軍の関係者のみに詳細が知らされている段階なのだろう。しかし、コボルトの村に派遣されてきた少年兵達のように、軍隊としての教育が行き届いている者ばかりではない。すぐに家族や友人、酒場などから話は広がる。

 つまり、時間が経てば経つほど、ヨシノ達は行動を起こしづらくなる。


 商店で乾燥させたハーブと塩を包んでもらい、代金を支払うと、人の良さそうな初老の店主はヨシノに釣銭を返しながら、見かけない顔だがどこから来たのかと問いかけてきた。

 ヨシノはすらすらと、ラドガの北にある町の名前を挙げた。


「フェルナ街道を西に越えたところにある故郷の妹が臨月で、お産の手伝いに帰るところです」

「そうなのかい。二人だけで?」

 店の主人はヨシノの後ろに立つミリィを見て言った。

「ええ」

 ヨシノが答えると、店主は明らかに表情を硬くした。


「女二人だけで行くなんてよした方がいい。急いでいるのかい? お金はないのかね? 悪いこた言わないから、今日はこの町に泊まって、明日の朝に出発するのがいい。この店を出て向こうに行けば傭兵達の溜まり場がある。怖けりゃワシが口を利いてやるから用心棒くらい雇いなさい」


「ありがとうございます。しかし私達は急いでいまして、もうすぐにでも発たなければいけないのです」


「急いでるったって、いくら妹さんのお産が心配でも命がなくっちゃ」


「命?」


 ヨシノは半ば返しかけていた踵を止めた。


「命とはまた物騒ですね。そこまで言われるほどの何かがあるのですか?」

「ああいや」

 店主はごほん、と咳払いをした。

「まあ、命というのは大袈裟かもしれんが、危ないよ」

「どのように?」

「アンタ達みたいなご婦人や嬢ちゃんに聞かせるような話じゃないと思うけどねえ」

「平気です」

 ヨシノに正面から見つめられて、店主は視線をあちこちに動かした後、話し始めた。


 ラドガの町から出て西に進むと、ほどなく南北に走るフェルナ街道に当たる。その街道を南下をすればエルフの森。西へ行くにはフェルナ街道からトリベ街道と呼ばれる道に入らなければならないのだが、このトリベ街道は街道と名付けられてはいるものの、フェルナ街道と違い、深い森の中を進む道で、さらに西へ進めば険しい山道となる。

 フェルナ街道からトリベ街道へ入ったあたりに、昔、メクレンバーグを含む西側の土地がまだファキール王国に統合される前、境界を見張るために建てられたとされる砦の跡がある。二十年前の戦争までは人数は少ないが実際に兵隊が置かれていたのであるが、戦争による兵士不足により人員が引き上げられ、戦後もそのまま無人となっているとのことだ。

 砦が捨てられた要因の一つに、精霊石がエルフの森から王都へと移され、南を見張る意味が薄らいだこともあるのだろう。


「その砦に、どうも良くないものが住みついているんだ」

「良くないもの? 野盗ですか?」

「野盗なら討伐もできるし、それなら警備の者や傭兵達も放っておかんだろう」

「ならば獣? 猛獣か魔獣でしょうか?」


 店主は左右に首を振った。


「魔物だよ。少なくともワシらはそう思っとる」


 そう言って、店主が語ったところによると、ここ半年ほどの間にトリベ街道で旅人が行方不明になることが三度みたびあった。トリベ街道は険しいとはいえ、西側に通じる道の中では唯一ともいえる大きな街道であり、行商人をはじめとして利用者は多い。


 一人目は若い商人の男で、西のメクレンバーグへと商談のために向かうというので、持ち荷は少なく、一日でも早く着きたいとの思いから、ロバ一頭を伴って午後にラドガを発った。その三日後、街道を通っていた他の行商人が、道から外れた森の中から聞こえるロバの鳴き声を聞き、そこへ行ってみると、森の木にロバが繋がれたままになっていて、周囲を確認しても持ち主はいない。そのままにするわけにもいかず、ロバをつれてラドガに戻ったところ、店主がそのロバの持ち主を覚えていたため、途中で何かあったに違いないということになり、町の男衆でロバが繋がれていたあたりを捜索した。

 店主も捜索隊に加わって森の中を歩いていたのだという。

 ロバの持ち主は獣にでも襲われたのであろうか。それならばロバだけが繋がれた状態で三日も無事でいたというのが不自然だ。近くには集落もない森の中である。

 不思議に思いながらも男の名前を呼びながら森を進んでいた店主が、息をくついでに視線をあげると、木々の向こうに黒く湿った石垣があった。


「砦だった。あれがあそこにあったことなんて、見るまですっかり忘れちまってたけどな」


 まさかとは思いつつ、周囲の人間を呼び集め、苔や樹木に侵食された古い砦へと足を踏み入れた。


 男はそこで発見された。

 彼はかつては罪人を閉じ込めるために使われていた塔の中にいた。

 塔とは言っても、それは上階に人を閉じ込めるものではない。砦の横に建てられた、ただの縦長の円筒形をした石造りの建物には、出入り口となる扉の類は一切ない。窓もなく、唯一、塔の天井には一部穴が開けられている。それは砦の屋上から塔の中を見下ろすことができる穴だった。

 それは罪人を上から落として閉じ込める形の塔であった。

 当然、人間が素手でよじ登れるようなものではなく、上から梯子を降ろして若い男が数人がかりで男を救出した。

 男は魂が抜けたようになっており、町の人間がなぜあんなところに落ちたのか、何があったのかを質しても全く要領を得なかった。


「それが最初だったよ」


 次は新しく商売を始めるために西から王都に向かおうとしていた若い夫婦。その次は軍役が明けて故郷に帰ろうとしていた少年兵。いずれも行方不明となり、その後森の中の放棄された砦の塔で発見された。

 当然、砦の中や周辺に不逞の輩が住みついていないか調べたが、そのような痕跡は見つけられなかった。そもそも、被害にあった人間達は金銭や物品は盗られていない。追剥・強盗の類の仕業とは思えなかった。

 ただ事実として、全員放心状態で見つかり、少しずつ快方に向かってはいるものの「まとも」には程遠い状態であるそうだ。

 共通点は少人数である点、夕刻から夜間にかけてあの砦の近くの街道を通っていたと思われる点である。


「だから、悪いことは言わない。急ぐ気持ちはわかるが、今から発つのはやめておきなさい」

「ありがとうございました。そうですね。用心棒も検討してみます」

「ああ、ああ、それがいいよ。気を付けてね」


 ヨシノは親切な店主に頭を下げると、ミリィを促して店の外へと出た。

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