Ⅴ-Ⅰ
翌朝、まだ太陽が東に隠れていて、うっすらと紫がかった薄布を被せたような空気の中、コボルトの村の入り口の木製の門が静かに開かれた。
「世話になったな、カイ」
振り返ったルドルフがそう言うと、カイは明るい茶色のふさふさした尻尾をゆったりと振った。
「本当はさ、ついて行きたかったんだけどなあ」
カイが小さく鼻を鳴らすと、ミリィが「だったら来てくださいよう」と言い、モノも名残惜しそうに彼を見つめていた。
「頭のケガも治りきってないし、それにセンセイがオレ達に頼みたいことがあるっていうんだから仕方ないよ。でもさ、センセイはアル達を手伝ってくれるんだろ? だったら離れてもオレもきっとみんなの役に立てるよ。またすぐ会えるさ」
カイは口を横に広げて舌を見せる。見慣れていなければ驚くが、すでに一行はそれがコボルトの笑顔であることを知っている。
カイの背後、まだ薄暗い村の道をこちらに向かって来る小柄な影が二つ見えた。
「おお、もう集まっとったか! いやいや、間に合った!」
ルドルフとリュカには聞き覚えのある声がした。
ドワーフのヴァルデマーだ。その横にはもう一人、棍棒を肩に担いだ赤毛のドワーフがいる。
他の種族からすると、ドワーフは男女の区別がつきにくい。どちらも強く癖のある髪を長く伸ばし、それを編みこんでいる。そして女性にも髭がある。よくよく見れば女性の方が男性よりも髭が薄いというか少ない傾向があるが、ドワーフとしょっちゅう交流を持つ者でなければわからない程度の違いだ。
「聞いたぞ! メクレンバーグへ行くそうだな!」
「そうだが、間に合ったというのはどういうことだ?」
そう尋ねながらも、ルドルフはヴァルデマーの旅の装いに気付いている。
「アンタがコボルト達が言ってた人間の王子さんかい?」
ヴァルデマーの隣に立つドワーフがルドルフをぐいっと見上げて言った。
声はやや低いが、女性のものだ。女のドワーフだったようである。見れば燃えるような赤毛の髭の先に、小さな
「いや……」
「ああ! いやいやグンイェルド様、こいつは違いますわい。こいつはほれ、カイが連れてきて、そこのエルフと一緒に荷運びを手伝ってくれた人間です。王子は……、ああ、ワシも会ったことはなかった」
ルドルフの言葉に被せるようにしてヴァルデマーがせかせかと言い、ぺちんと自分の額を叩いた。
少し離れた場所にいたアルラーシュがやりとりを耳にして、前に進み出る。
「私がアルラーシュだ。貴方がたは?」
赤毛の女ドワーフはアルラーシュに向き直り、肩に担いでいた棍棒を下ろして、自身の正面の地面に突き立て、その上に両手を置いた。
「アタシはグンイェルド。ここの奥にある洞窟の長だ。人間の王子さんに一つ頼みがあって来たんだ。ウチのヴァルデマーをメクレンバーグまで同行させちゃあくれないか。アタシの従兄のセヴェリンってのがあっちにいて、そいつのとこまで遣いに出すんだけど、一人じゃあ道々何かと物騒だからね」
単刀直入に話が始まる。無駄を嫌うドワーフらしいとルドルフは思った。
確かにこの近くの鉱山を統べるドワーフの名はグンイェルドだと、ヴァルデマーとの会話で聞いてはいたが、女性だとは思っていなかった。
アルラーシュは軽くうなずきながらグンイェルドの言葉を聞いていた。
「なるほど。しかし、私達はまっすぐにメクレンバーグへは行かない。まずはエルフ達が住むという森を目指す。メクレンバーグへ着くのがいつになるのか、確かなことは約束できない。そちらの用件が急ぎならば、私達と同行することは止めた方がいいだろう。それと詳細は話せないが、私達は今は追われる身だ。安全の面でも保証はできかねる」
「王子さん達がワケアリなのはアタシも知ってるさ。大体のことはね」
グンイェルドは赤毛の下のぎょろりとした目を動かした。
「アタシ達は人間の王族や貴族とは関わりないけど、従兄のセヴェリンはメクレンバーグの人間の貴族と組んで仕事してるんだ」
「貴族……鉱山公フェルディナント・シュトレーリッツか?」
「そうそう。名前は忘れたけど、人間にしちゃあ親子揃って話の分かる奴らだとセヴェリンは言っていたっけ。少し前からセヴェリンの治めている
アルラーシュは翡翠の瞳を瞬かせた。
彼の許嫁でもあるコルネリア・シュトレーリッツは祝祭を欠席していた。
結果として、彼女と彼女の父親である鉱山公は間一髪で難を逃れたのであるが、確か欠席の理由は領内のドワーフからの要請に応えるためというのではなかったか。
「……メクレンバーグの鉱山に異常が起きているらしいという情報だけなら、別の者からの話ではあるが、私も聞いている」
「ホラ見な。アタシの言ったとおりだろ」
グンイェルドは不敵に笑ってヴァルデマーの背を軽く小突いてから、アルラーシュを再び見上げた。
「最初から王子さんと一緒にメクレンバーグ入りしたほうが、何かと話が早かろうと思ってね。どうだい? おっと、もちろんタダとは言わないよ。うちの
そう言ってグンイェルドが取り出したのは、人間の拳よりも二回りほど大きい黒い石だった。
謝礼が欲しいわけではないが、アルラーシュにはその価値がすぐにはわからない。
どう答えたものかと思っていると、横からカイが「ちょっと見せて」とグンイェルドの持つ黒い石を覗きこんできた。
「……すごい立派な火の魔石の原石だ。こんなに大きいのは珍しいんだぞ。ううん、加工すればどのくらいの価値になるかなあ」
「宝飾品に加工すれば魔法使いじゃなくても欲しがるさ。……でも、これから必要になることもあるんじゃないのかい? ずっと今のままで行くわけじゃないんだろ?」
アルラーシュを見るグンイェルドの目が僅かに細められた。
「確かに貴方の言うとおりだ、グンイェルド殿。私達にはあらゆる物が足りていない。これはありがたく頂戴しよう」
「話が早くて助かるね。じゃあ、よろしく頼んだよ」
こうして一行はドワーフのヴァルデマーを加え、コボルトの村を出立した。
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