Ⅳ-XIII
「寝てるのか?」
不意にかけられた声に、モノは体を起こした。
頭や背中からハラハラと草が落ちる。
座ったまま振り返って傾斜を見上げると、背の高い男性が立っていた。
相手はモノが起き上がったのを見て、こちらに降りてくると、立ったままモノを覗き込むように見下ろした。
「寝るなら小屋に戻った方がいい」
「……寝てません」
モノは冷淡に答えたが、男は特に気にしていない様子だ。
「ルドルフ、どうしてここに?」
仕方なく尋ねたモノの隣に、ルドルフは腰を下ろした。
周囲にはだいぶ夕闇が迫っているが、まだ月は昇らない。
「アルとあの男の話は無事に終わったらしい。今度はヨシノとリュカがアルに話を聞く番だな。俺はお前の姿が見えなかったから探しに来たんだが、こんなところに寝転んでいるとは思わなかった」
彼はそう答えて、月を思わせる金色の目を細めた。
「……少し風に当たりたくて」
「そうか。そう言えば、あまり話していないな。調子が悪いのか?」
そう問われて、モノは杖を短く持ち直して碧玉に手を添えた。
「エムロードなら大丈夫です」
「
「え?」
「お前だ、モノ。この村に着いてから元々少ない口数がさらに減っている。……アルと何かあったのか?」
「……なぜ、王子と?」
「少し距離を置いているように見えた。俺の思い過ごしなら別にいい。忘れてくれ」
他人のことを見ていないようで意外と見ているらしい。
モノは少し迷って、結局あるがままに告げることにした。
「何かあったということはありませんが、王子に私のことをお話ししました。ヨシノさんからも、きちんと話をするように言われていましたし……」
「ああ、舟の上でのことか。ヨシノの立場からすれば、ああいう言い方をせざるを得ないだろう。気にするな」
「ルドルフは気にならないのですか?」
私の正体が、と続けようとしてやめた。
自分が海を渡らなければ、自分さえ大人しく運命を享受していれば、彼らの大事な人は失われずに済んだのかもしれないのだ。
出会わなければ良かったと、そう思われるかもしれないという予感がモノの口を重くした。
しかし、ルドルフの答えは彼女の予想もしていないものだった。
「それは “ お前のことが ” ということか? それなら今更聞かずとも大体はわかっているつもりだ」
モノは隣に座るルドルフの顔を見上げた。
驚きで見開かれた藍色の目に、ルドルフは少し気まずそうに唇を結ぶ様子が映る。
「わかって……? どうして……!」
思わず声が少し大きくなった。
モノからしてみれば、ルドルフの立場を守るためにと必死の思いで自分の正体をアルラーシュに明かしたのである。声も大きくなろうというものだ。
「いや、どうしてと言われてもな」
「いつから!? ずっと黙っていたんですか!?」
「そんなに前からじゃない。
珍しく感情的になったモノの剣幕に押されたわけではないのだろうが、ルドルフはやや弁解めいた口調になった。
膨大な魔力を有しているというだけであれば、それが桁外れであろうとも、そういう人間が存在する可能性は皆無ではない。
しかし、魔法が精霊の力の欠片である魔石に術者の魔力を注ぎ、精霊の力を引き出して作動させるという技術である以上、決して欠かせない要素がある。
「魔石に魔力を注ぐこともせず、詠唱もせず、一瞬であんな防衛魔法を展開できる魔法使いはいない。さすがに察しがつく。敵側もそれを察したのだとすれば、あの急な撤退も不自然ではない」
魔法の発動に必要なのは、魔石に自身の魔力を注ぐことと精神の集中だ。故に魔法使いが魔法を行使する際は、どんな小さな魔法であっても必ず僅かな隙が生じる。
それは行使する魔法が大掛かりになればなるほど長くなり、場合によっては呪文詠唱などで集中を補う必要もある。
これは魔法剣なども同様で、十分な効果を得るために戦略的に時間稼ぎを行う。
しかし、サフィールの攻撃からルドルフとカイを守るため、モノは瞬時に防衛魔法を展開してみせた。
あの手の魔法は本来であれば、敵の攻撃を予想して、あらかじめ準備しておくものだ。相手の攻撃をそこに誘導するか、味方が撤退する地点などに絞って計画的に戦場に配置する。
「……それだけで? 本当に、それだけでわかったんですか?」
「……いくら膨大な魔力を有した人間がいたところで、精霊の力を引き出す魔石がなければ魔法は使えない」
モノに凝視され、ルドルフは観念したように言った。
「エムロードだ。前から違和感を覚えていたことは認める。それでも世界は広いからな。単に喋る魔石というだけなら、俺が
だが、お前と出会ってすぐにエムロードの攻撃を受けた時、それと地下道の時と、どうもお前とエムロードの力の発動は連携していないように見えた。お前自身の力とエムロードの力は別物で、それぞれが自分の意志で動いているとでも言うべきか。
それで思い出したんだが、最初に船の上で
いつの間にかルドルフの金色の目が、モノの額のあたりを見つめていた。
あの時、暗い船の上で光を宿していた紋様がそこにある。
「逆なんだろう。お前が石から力を引き出しているのではない。なぜだか理由は知らないが、エムロードは普段はお前の力を抑えているんだ。
モノの手の平に、張り詰めた糸を弾くようにエムロードの力が伝わる。
精霊の力の欠片である魔石など、モノには必要ない。
そういう存在であるということを、この男にはとっくに気付かれていたということだ。
「わかっていて……、どうして黙っていたのですか?」
「お前自身が語るのならともかく、確たる証拠があるわけでもないのに、俺の口から語ることで
そう答えて、ルドルフはモノの額から視線を外し、顔を前に向けてしまった。
その視線の先、木々の影はほとんど夜に溶けている。
「ルドルフ……私、私は本当は……」
「いいんだ」
ルドルフは横顔のまま言った。
「お前が何者であろうと関係ない。時が来れば事は起こっていた。国家の事というのは、そういうものだ」
モノはたまらなくなって立ち上がろうとした。
「そんなことない……! 貴方は私を責めるべきです! 私が来たから……私が来なければ、エデルさんも、お城の人達も」
勢いをつけて立ち上がった小さな体がバランスを失って傾く。
しかし、前のめりに倒れた彼女の体は、たくましい腕に安全に受け止められていた。
「……いいんだ」
モノの肩に低い声が当たって消えた。
彼の表情を伺おうと目を動かしても、見えるのは夜より暗い漆黒の髪だけだった。まるで獣の毛並みを思わせる短い髪だ。
「いいんだ。エデルなら……わかっていたはずだ」
穏やかな言葉とは裏腹に、モノを支える腕と手に力がこもるのがわかった。
「俺を信じて、呼んでくれた。俺がもう恨みを吠え回るだけの獣ではないと。だから……」
見えなくなった金色の代わりのように、遠く東の峰に月の出が始まる。
不機嫌そうなエムロードを、モノはそっと目だけで
彼の指にこめられた力が緩むまで。
痛いくらいは我慢しよう、と。
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