Ⅳ-Ⅷ

 カイの叱咤しったまれたのか、クリフがじりっと後退した。


 その時、ルドルフの位置から、コボルト達の集団のさらに後方に人影が見えた。


 コボルトより明らかに頭身が高く、おそらく人間だ。人影は一人分で非武装。話に聞いた兵士達には見えなかった。


 アルラーシュも気が付いたようで、視線をコボルト達からさらに遠くへと移した。

 その視線に気が付いた者達が次々と後ろへと目をる。

 川の水が岩で割れるように、自然とコボルト達の群れが割れ、まるでアルラーシュ達とその人物をつなぐ道のようになった。


 空には見事な月がある。月見酒には絶好の夜だ。

 ドワーフのヴァルデマーによると、コボルトの村外れに住む “ 変わった人間 ” は、月夜に酒を求めて集落にやってくるということだった。


「村の方がずいぶん静かで、酒場もいていると思えば」


 おやおや、と月明りに立つのは人間の男性だ。

 丸い眼鏡をかけ、癖のない鉛色の髪を後ろで束ねて丸く結っている。月夜に遠目で年齢がわかりにくいが、青年と呼ばれる年齢ではないだろう。それ以上の落ち着きがある。かと言って、そう年嵩としかさにも見えなかった。

 前開きの寛衣かんいを帯で締めて着るという、ファキール王国ではあまり見ない装いをしている。


 彼はコボルトの群れの真ん中あたりで立ち止まり、小屋の戸口を見上げ、アルラーシュの顔に視線を留めると「ああ、これは」と懐かしいものでも眺めるような表情をした。


 一方、アルラーシュには男性に覚えがなかった。城にいた者であれば顔を覚えている自信がある。アルラーシュは人を覚えることが得意であり、普通の王族や貴族であれば覚えることがないような下働きの者達の顔と名前も覚えている。



「お前か。帰れ」


 苦々しい声でそう言ったのはクリフだ。

 焦げ茶色の長い鼻に皺をよせて、本当に、本当に迷惑そうであった。


「こんばんはクリフさん、大体の事情は聞いていますよ」


「オレの言葉は聞こえなかったか? 帰れ」


「酒場に行ったのに誰もいなくて、聞いたらメルさんが教えてくれたんですよ」


「アイツ……、余計なことを」


 クリフは舌打ちをして、ますます凶悪な顔になった。


 カイはルドルフとアルラーシュに向かい、「メルってのは酒場の看板娘。すっごくカワイイんだ」と小声で教えた。

 確かにメルの名前を聞いた途端、若いコボルトの何人かはそわそわと耳や尻尾を動かしていたが、ただ一人、クリフは心の底からと表現しても良いほど嫌そうであった。


 男は再びアルラーシュとルドルフに向き直り、「災難でございましたな」とまるで通り雨にでも遭った時のように言った。


「いや、この村に迷惑をかけていることは事実だ。拘束されるわけにはいかないが、恩を仇で返すことは本意ではない。俺達はすぐに村を出る」


 ルドルフはそう返した。この男が何者であるかはわからないが、アルラーシュに対する反応からして、ただの変人だと決めつけるのは危険だと思われた。

 そもそも、隠遁して暮らすにも先立つものは必要であるはずである。男の身なりを見るに、華美ではないが農民やきこりの装いとは全く違う。

 余裕のある物腰といい、貴族の三男坊あたりの身分という可能性も捨てきれない。必要以上の関わりは避けるべきだ。


「今すぐにですか? それはおよしなさい」


「なぜだ」


貴方方あなたがたがここまで来られたのは、村人であるコボルトの案内があったからこそなのでは? 土地勘とちかんがなければ、どこへ向かうにしても主な街道を使わねば難しい。しかし、今はその街道に向かう道を使って、近くの町から兵士がこちらに向かっているという話なのでしょう? ……女王を殺害し、王子をさらったとされる極悪人を追ってね」


「…………」


「見たところ、腕に相当自信がおありのようだ。小屋に控えている護衛も入れれば、おそらく少数の追手など敵ではありますまい。斬り伏せて進まれてもよいでしょう。しかし追手を倒せば居場所はバレます。すぐに王都から本格的な部隊が派遣されるでしょう。街道を追い上げてくる部隊に対してこの少人数では、メクレンバーグまでは


「ほう、俺達の目的地まで知っているのか」


「いいえ。しかし王子殿下の後ろ盾となられるならば、王家に忠義篤く、実質的な婚約者の実父でもある鉱山公をおいて他にありますまい」


「……俺達が途中で追手と戦うことがまずいというなら、それはこの村に残っていても同じだ。少数とは言え、兵士がこの村に向かっているという話が本当ならば、いずれ戦うことになる。しかもこの村の中でだ」


「いずれ戦うことは避けられませんが、今、戦う必要はないと申し上げております。今は戦わず、少しでも時間を稼ぐべきです」


 男が笑うと口の端に短い皺が刻まれる。

 それを見て、ルドルフはこの男はおそらくエデルと年齢が近いのだと思った。


 何者だろう。

 今の短い問答だけで、この男がただの田舎者ではないことはわかった。


「兵士達がこの村を探している間、ドワーフの洞窟に隠れていろとでも言いたいのか」


「隠れていただくのはもちろんですが、ただ見つからなかったというだけでは甘いでしょうね。人というのは何も見つけられなければ “ 見落としがあったのかもしれない ” と考えて、また探すものです。 

 兵士が来ると言っても、最初は近くの町に駐在している兵隊の中から少数が派遣されてくるだけでしょう。彼らはこの集落を探して町に戻り結果を報告をする。 “ 何もなかった ” という報告だけでは、また探しに行けと言われるかもしれない」


「そんなに何度もニンゲンの兵士どもに家探やさがしされてたまるか!」


 クリフが牙をむいて唸り声をあげた。


「兵士達もそれが仕事ですから」と男は目を細める。


「だから、結果を持たせて帰してあげれば良いのです」

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