Ⅳ-Ⅸ

「見えたぞ。あれがコボルト達の村だ」


 先輩の兵士の声に、少年はそばかすの目立つ顔を上げた。

 まとまりなくバラバラと足を止めたのは五人。五人の中で一番の年長者でもせいぜいが青年になりかけた年齢だ。少年は一番若く、十五歳になったばかりであり、そして兵士になったばかりだった。


 別に戦うことが好きなわけでも、腕っぷしに自信があるわけでもない。

 この仕事に就いたのは、ただ生活のためである。


 実家は田舎の農家だったが農作業など大嫌いだった。そもそも農家の子供の六人目では継げる土地もない。

 そういう子供は商家に奉公に出るか、職人の見習いになるのが普通だが、それに耐えられるだけの根気が自分にあるとは思えなかった。

 体を動かすのだって好きではなかったが、何も考えずに棒きれを振って半日訓練をし、その後は町の警邏けいらだのなんだのをこなし、そうして夜はそこそこの量の飯を食える仕事だというので兵士になったのだ。


――そんなに甘くなかったよなあ。世の中甘くないや。


 町を出たのは夜明け前だったのに、太陽はとっくに正中せいちゅうを過ぎている。

 早朝というよりまだ深夜に近い時間、先輩に蹴飛ばされて起こされ、眠い目をこすこすり、町を出発してコボルトの村への道を歩きながら、つらつらとそんな考えても仕方がないごとを心の中で繰り返していた。


 少年は一度も行ったことはないが、国で一番立派な街――王都で女王様が殺されて、王子様はその下手人である黒髪の剣士にさらわれたらしい。

 城には騎士団だっていたはずだが、その多くも殺されて、しかも城には火が放たれたというのだ。

 何という一大事。当然、少年の所属する部隊にも犯人捜しの命令が下されたわけであるが……。


――あああああ! 見つけたくねー! 他のとこ行っててくれよ頼むから!


 宮仕えの騎士達すら何人も殺されているというのに、ただ農家のせがれ穀潰ごくつぶしの自分がそんな凶悪な奴を捕らえようとしたところで死ぬ未来しか見えない。


 先輩達だって普段から偉そうにイキがってはいるけれど、自分と五十歩百歩であることを、彼はよく知っていた。

 もし仮に黒髪の剣士とやらと対峙たいじすることになったら、先輩達は絶対に彼を盾にして逃げ出すだろう。そうに決まっている。

 だから少年はここに来る道中も、ずっと、いつでも先輩達を置いて一目散に逃げ出すことができるように気を張っていたのである。


「ハア? あんなとこに王子連れて逃げ込めるのかあ? いくらなんでもコボルトどもが騒ぐだろ」


 まだ十代のくせにチョビ髭を生やしている先輩の一人がいぶかし気に言った。

 いかにも考えている風な発言だが、この先輩も軽く怖気おじけづいているだけだ。


 町では時々、仕事や買い物に来ているコボルトを見かけることがあった。そのコボルト達が町から森を越えて半日以上もかかる距離にある集落から来ていることは少年も知ってはいたが、実際にこうやって見える距離まで来たのは初めてだった。

 多分、先輩達もそうだろう。用事もないのに毛むくじゃらどもの巣に近付く者はいない。

 別に取って食われるなどとは思っていないが、絡まれたら怖いし。


 遠目に見えたコボルトの村は周囲を木の柵で囲まれた、どこにでもある普通の村に見えた。人間の住まいよりは少し高さが低いように見えるのは、コボルトが人間に比べて小柄だからだろう。

 村の入り口に人影はない。見張りくらいはいそうなものだが、見える範囲に動くものはなかった。

 中で何か異変が起きているのだろうか。

 ……何か起きているとしたら。


 五人全員が黙り、自然と歩く足も止まってしまった。


「い、意外と静かっすね。俺らが来たらもっと騒ぐかと思ってたんすけど……」


 少年はうかつな発言をすぐに後悔した。

 先輩の一人が振り返り、「よし、お前ちょっと村の入り口をのぞいて来い」と言ったからだ。


「え? 俺っすか?」

「そうだよ。行ってこい」

「い、いや、でも」

「大丈夫だって。何かあったらすぐ俺らも行くから」

「じゃ、じゃあ最初っから付いてきてくださいよ!」

「馬ッ鹿、それじゃあオメェ経験にならねーだろうがよ。行け。コボルトどもになめられねーようにな。最初が肝心だぞ」



 少年は一人でコボルトの村の入口に立った。

 先輩達はさっきの場所から動かずに、こちらを見ている。


――何かあったら助けるって、俺がさくっとヤラレちまったら間に合わねーだろ! 自分らだけ逃げられる距離だろ! クソッ!


 心の中で悪態をつき、恨みがましく彼らを振り返った時、その向こうから一人のコボルトがものすごい勢いで駆けてくるのが見えた。

 濃い焦げ茶色の大きなコボルトだ。コボルトは足が速いようで、みるみる先輩達との距離が縮まる。


「うわ! 来た!」


 少年の声で振り返った先輩達は、自分達の背後から猛然と駆けてくる大柄なコボルトを見て、「うわあ!」と少年の方へとまろび出るように駆けてきた。


 村の入り口に固まった少年兵達を見て、駆けてきたコボルトは喉の奥で低い唸り声をあげ、牙を見せた。焦げ茶色の短毛に覆われたそのコボルトは大柄で、長い鼻と大きな口から見える牙は凶暴そのものだ。


「何だ、お前達。オレは急いでるんだ」


 先輩の一人が少年の脇腹を小突いた。


「あ、お、俺達は人間の、人間の、ええっと、げ、下手人を探している! か、隠し立てすると村の為にはならんぞぉ!」


 とたんにコボルトはぎらりと目を光らせて、尖った鼻を少年達へと向ける。


「ニンゲンだと!?」

「ひっ、スミマセン!」

 少年は反射的に頭を抱えた

「ニンゲンならいる! とびきり悪い奴だ!」

「ご、ごめんなさ……え、いるの?」

「いる!」


 焦げ茶色のコボルトがそう吠えた時、今度は村の中から声がした。


「クリフ! やっと帰って来たか! 大変だ!」


 見ると、明るい茶色の毛をしたコボルトが一人、走り出てくるところだった。


「カイ! あいつはどこだ! おのれ、許さん!」

「知らせが間に合って良かった! こっちだ! 早く!」


 焦げ茶色のコボルトは少年兵達を睨みつけた。


「おい! お前達、悪いニンゲンを捕まえに来たんだろう! 一緒に来い!」


「ど、どうする……?」


 少年達は視線を交わし合ったが、焦げ茶色のコボルトが苛立ったように低く唸ると、全員仲良く飛び上がり、先輩の一人が「とりあえず付いていくぞ!」と自棄になったように叫んだのを合図に、コボルト達を追って村へと入っていった。

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