Ⅳ-Ⅶ

 和んだ空気の中、不意にカイがぴくりと片耳を動かして、人差し指を口の前に立て、一同に向かって「しぃっ」と空気を鳴らした。


「足音が近付いてくる。何人も」


 すっと室内の空気が冷え、全員が口を閉ざした。


「もしかしたら村の誰かかも。夜だし、村の外から大勢来るなんてことはないと思う。オレ、ちょっとおもてを見てくるよ」


 カイは口調だけは明るく言うと、よっこいしょと立ち上がり戸口へと向かう。


「大丈夫か? 俺も行こう」


 ルドルフも立ち上がったが、カイは笑って手を振った。


「村の中だから大丈夫だよ。きっと知り合いの誰かだ」


 そんなやりとりをしているうちにも、小屋の前が騒がしくなり、コボルトほど耳の良くない者達にも、外に何人もが集まっている気配が嫌でも感じられるようになった。


 カイの茶色の尻尾がするりと木製のドアの向こうに消えると同時に、明らかに何かを責め立てる声が聞こえた。


 ルドルフが剣を持ち、正面の扉に近づく。

 慎重に少しだけ扉を開くと、その隙間からカイの声が聞こえてきた。


「ちょっと落ち着いてくれ、クリフ!」


「カイ、お前は一体どっちの味方だ!? そこをどけ!」


「嫌だ!」


 やり取りは部屋の中の者達にも聞こえたようで、空気が張り詰める。立ち上がってこちらに寄ろうとしたリュカを目線で制して、ルドルフはゆっくりと扉を開いた。


 こちらに背を向けているカイ。

 その胸倉を掴んでいる濃い焦げ茶色の、鋭い顔をした背の高いコボルトだ。クリフというのは彼のことだろう。

 その後ろには他にもコボルト達が集まっている。ざっと服装を見た限り男性ばかりのようだった。


「あ、ニンゲンが出てきた!」


 群れの後ろから声がして、焦げ茶色のコボルトが視線を上げ、カイは振り返った。


「何の騒ぎだ、カイ」


「る、ルド……」


 カイがそれ以上喋る前に、クリフは舌打ちをして、カイの胸倉を掴んでいた手を乱暴に離し、彼を押し退けて前に進み出てきた。

 ルドルフが立っている戸口は地面よりも少し高く作られている。コボルトの中では長身のクリフだが、ただでさえ大柄なルドルフが自分よりも高い場所に立っているため、勢い睨み上げる形になった。


「……ルー、ドルフってのはアンタか」


 コボルトの口では発音しにくいらしい名前を、クリフは呼んだ。


「そうだが、そちらは?」


「オレはクリフ。この村の自警団長だ。悪いがお前達を拘束させてもらう。言っておくが、抵抗はしない方が身のためだぞ」


 中で聞き耳を立てていたらしいミリィが「拘束ー!?」と叫んだのが聞こえた。


 ルドルフはまだ手を剣の柄には置かず、カイとクリフ、その後ろにいるコボルトの村人達を見る。


 クリフはルドルフの名を知っていた。名前だけならカイから聞き出した可能性もあるが、この様子は只事ただごとではない。村の外から何らかの情報が村人達の耳に入ったのだろう。

 それが決してルドルフ達にとって良い内容ではないことは、この場の非友好的な空気が何より物語っている。


「理由を聞かせてもらおうか」


 ルドルフがそう言うと、彼と真正面から対峙たいじしたクリフは、長く精悍せいかんな鼻に皺を寄せた。彼の首筋の短い毛がざわりと波立つように色を濃くして、その部分の毛が逆立っていることが見て取れた。


「一番近くのニンゲンの町まで用事を済ませに行っていた村人がさっき戻ってきた。そこで聞いたそうだが、三日前、人間の王が治める都で謀反が起き、女王が殺され、王子は行方知れずとなったらしいな」


 がたんとルドルフの背後で椅子が倒れる音がして、ヨシノとリュカの制止の声が聞こえた。


「殺された!? 今、殺されたと言ったのは確かか!」


 未だ少年の色を残す声が響き、ルドルフの横をすり抜けるようにしてコボルト達の前に人影が立った。


 月光の舞台に現れたその姿に、村人達の視線が一気に集中し、騒めきが潮が引くように収まる。


 夜風にすくわれる金色の髪の下の、翡翠の瞳。

 月明りに照らされた白皙はくせきは、陽光のもとにある時よりも蒼褪あおざめて、どこか作り物めいて見えた。


「……昼間に王子と聞いた時は何かの冗談かと思ったが、どうやら本物らしい」


 クリフは何かを納得したような声で呟き、それから再びルドルフに視線を戻すと、呑まれてしまった場の勢いを取り戻すように声を大きくした。


「ニンゲンの村で兵士どもが話していたのを聞いた仲間がいる。――女王は謀反にあい殺害された。実行犯は王子をさらって逃亡したと。そいつは女王を守って死んだ騎士団長の知り合いで、そのよしみで王城に招かれていた異国の剣士だそうだ。黒髪のな」


 アルラーシュとカイが絶句する。


「そうきたか」


 ルドルフはそう言ったが、全く予想をしていなかったわけではなかった。


 王子アルラーシュを探すのに、スタンリー家の私兵だけでは足りないだろう。だからと言って、王国の兵隊をスタンリー家の命令のみで動かすことなどできはしない。


 軍を動かすには「大義名分」が必要なのだ。


 国のために、その国をまとめる王家のために、ひいては民のために、という理由がいるのである。

 そして、それはから王配フレデリクによって行われるという筋書きだ。

 そのための人身御供スケープゴートあらかじめ用意されていたはずだが、ルドルフに標的が移った今となっては用済みだ。早々に始末されてしまったことだろう。


 クリフはさらに一歩進み出る。


「黒髪の剣士、そいつが王子を名乗る者を連れているとなれば、捕まえてニンゲンどもに引き渡すべきだな。違うか?」


 カイがルドルフとクリフの間に飛び込み、立ちふさがった。


「クリフ! 話を聞いてくれ! これには事情があるんだ!」


「事情? 事情だと? ニンゲンどもの事情などオレ達の村には関係ない! それよりも、こいつらがここにいるせいで、ニンゲンの兵士どもにこの村に踏み込む理由を与えることの方が問題だ!」


 クリフが吠えると、背後のコボルト達から「そうだ! そうだ!」と声が上がった。


「オ、オレが町で聞いたんだ!」


 ふさふさとした毛で目元がほとんど隠れているコボルトが緊張で裏返った声を出す。


「王都からじゃそんなに遠くに行けないって、兵士達が話してたぞ! だから、この近くの町や村のどこかに隠れているに違いないって! 奴ら、すぐにこの村にもコイツらを探しに来るよ! 間違いないよ!」


 それを聞いて、騒めきはさらに大きくなる。

 クリフは村人の声を背に受けて胸を張った。


「聞いたか、カイ! お前がやっていることは、この村を危険にさらす行為だぞ! その人間どもとこの村、お前にとって大切なのはどっちだ!」


「クリフ……お前」


 カイはぎゅっと拳を握りしめて、視線を地面に落とした。


「カイ、オレはこの村の自警団長だ。オレはこの村を守る。この村を裏切るならお前も同罪だ!」


「見損なったぞ、クリフ」


「何?」


 カイは顔を上げて、クリフを睨んだ。


「見損なったって言ったんだ! どうしてちゃんとオレの話を聞いてくれないんだ!? アルやルドがニンゲンだからか? お前がニンゲン嫌いなのはオレも知ってるよ。でも、それならどうして、ウワサで聞いたニンゲンの兵士の言葉は信じるんだ?」


「し、信じてなどいない!」


「じゃあどうしてオレの友達を捕まえるんだ? ニンゲンの兵士が村に来るから? そんなにニンゲンが怖いのか!?」


 カイの挑発に、クリフは唸り声をあげ、噛みつかんばかりに吠えた。


「ニンゲンなど怖いものか! コボルトの戦士はどの種族よりも勇敢だぞ!」


「そうだ、コボルトは勇敢だ!」


 カイはクリフに向かって吠え返す。


「オレ達は強いコボルトだろ! オレ達は強いんだ! だったら何も慌てなくても大丈夫だろ! きちんと相手の話を聞いて、やるべきことを考えられるはずだ! 怖がって、自分達の行動の理由を外に作っちゃダメだ! それは弱い奴のすることだぞ!!」

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