Ⅳ-Ⅳ

 すでに南の中心にさしかかっていた太陽の光に、アルラーシュは思わず目を細めた。


 小屋の外に出たアルラーシュの金の髪を、暖かい風が柔らかくすくい上げた。

 風につられるように顔を上げると、甲高い声で鳴く鳥が一羽、風に乗って高く昇っていくのが見えた。


 陽光がまともに目に当たって、不意に涙が出る時のように、顔の奥がぎゅっと痛んだ。


――情けない。


 モノの話を聞いた後、アルラーシュは逃げ出すように小屋を出てしまった。

 そうしていなければ、正体不明の大きな流れに為す術もなく呑み込まれ、流されてしまっていたのではないかと思う。そんな想像をして足がすくむほど恐ろしかった。とても怖かった。


 彼女の身の上が、北の大国の国家機密に相当するようなものであったとして、

 そうして真実、不老不死ともいえる存在で、

 そうして事実として、大精霊に因む膨大な魔力を、その身に秘めているとして――。


 それがどれほど重大なことなのか、アルラーシュは十分に理解していた。


 アルラーシュとて一般の少年とは程遠い。

 女王の一子、王位継承者として育ち、王族とはどうあるべきか常に教えられてきた。


「アルラーシュには王たる資格がある」


 母である女王は、よくそう言っていた。


――そうだ。私とて。


 そのような身勝手な、しかし年相応の言葉を無理やり飲み込んで、胃が重たくなる。


――私とて。私とて。


 その先に続く言葉は、アルラーシュの中でぐるぐると不快なうずになるばかりで、いっこうに形になってはこない。


――……メクレンバーグまで行けば、きっと、きっと何とかなる。


 そう考えたところで、具体的に何がどう変わり事態が好転するのか、アルラーシュには見当もつかない。ヨシノやリュカ、ルドルフが話をしているのを聞いてそう思っているだけである。

 自分の器量と裁量だけで王都を取り戻し、母のように民の上に立つことなどできはしない。こうやってコボルトの村でぼんやりと佇んでいられる「今」すら、自分で獲得したものではない。

 騎士達のような力も、モノのような魔力も、ミリィのような翼も、カイのような機転も持っていない。


――私は、私自身には、何の力もないのだな。


 ふと視線を足元に落とすと、暖かい地面に落ちた自分の短い影が、ひどく孤独なものに見えた。




「あ!」

 と、聞いたことのある声がしたので視線を戻すと、ずっと先のゆるやかな曲がり道の向こうからミリィがこちらに向かって歩いてくるところだった。

 彼女は大きな紙袋を体の前で抱えて、「王子様!」とアルラーシュの方へと駆け寄ってきた。


「ミリィ」


「王子様! お目覚めですか? ゆっくり眠られました? お身体は痛みませんか?」


 彼女は赤い目をくるくると動かしながら、一気にまくしたてる。

 自分に向かってこんな勢いで喋る女性は、今までアルラーシュの周囲にはいなかった。


 ミリィの、ちょっと音が詰まった、どこか突っかかるような早口の喋り方は、アルラーシュに陶器と陶器がぶつかるさまを連想させる。カチャカチャと賑やかな軽い音だ。


「ありがとう、ミリィ。すまない。少し眠り過ぎてしまったな」


 そう答えて笑うと、ミリィはほうっと息を吐いた。


「買い物はできたか?」


「え、ええ。ヨシノ様にお願いされた傷薬なんかは何とか揃ったんですけど、替えの服はちょっと見つからなくて……」


 困ったように視線を下げたミリィにつられて、アルラーシュも少し眉を下げた。


「そうなのか。コボルト達も服は着ているが、売ってもらえないのか?」


 ミリィはきょときょとと落ち着きなく視線を動かす。

 どうやら彼女はじっとするということが苦手らしい。いつも体のどこかが動いている。


「そうじゃなくってですねー、ええっと、尻尾しっぽがある種族なら問題なく着れるんですよ」


 コボルト達は服の外に尻尾を出している。つまり、彼らの服には尻尾を出すための「尻尾穴」が開いているのだ。


「……ああ、それならば仕方がないな」


 アルラーシュは苦笑した。

 どうしても新しい服を調達したければ、コボルト用の服を買って尻尾穴を繕うしかないが、そんな手間をかけている暇はないだろう。


「ミリィ、買い物は全部終わったのか? まだなら私も付き合おう。荷物を持とうか」

「いっ! いーえ! 王子様にそんなことさせられませんって!」


 アルラーシュとしては小屋に戻るのも気が進まなかったので荷物持ちを申し出たのだが、ミリィは大きな袋を器用に抱えてアルラーシュから遠ざけた。

 そうやって立ち話をしていると、向こうから近付いてくる者達がいることに気が付いた。

 遠目からでも人間ではないことがわかる。


 アルラーシュとミリィは自然と会話を止め、少し緊張してそちらを眺めた。


 近付いてきたのは三人のコボルトだった。

 服装からして男性と思われたが、アルラーシュはコボルトの風習には詳しくない。


 一番中心にいるコボルトは、濃い焦げ茶色の短い毛と長い鼻、鋭い眼光と長く尖った耳を持っていて、背の高さはアルラーシュと同じくらいある。コボルトの中ではきっと長身とされる体格だろう。


 左右にいるコボルトは、カイと同じくらいの背丈で、おそらく彼らがコボルトの成人の平均だ。両耳が三角に垂れた白いふんわりとした毛のコボルトと、灰色の短毛と短い鼻を持つコボルトだった。


「よう」


 背の高いコボルトは、あと二歩ほどの距離で立ち止まり、アルラーシュの顔を正面から睨みつけながら言った。

 アルラーシュはその言葉の意味がわからず、瞬きをしてコボルトを見返した。


「アイサツも返せねえのか。ニンゲンってやつは」


 ぼんやりと立ったままのアルラーシュに向かって、白い垂れ耳が鼻の頭に皺を寄せる。


「挨拶?」


 アルラーシュは聞き返した。

 自分にかけられた言葉のどこに挨拶が含まれていただろうか。ああ、もしや先ほどの掛け声のような「よう」がそうなのか。

 しかし、挨拶を交わすにしては非友好的というか、やや剣呑な雰囲気である。


 ミリィが怯えるように体を緊張させて、アルラーシュのそばに身を寄せた。


「お、王子様……」


 その小さな声に反応したのは、アルラーシュよりも灰色のコボルトが先だった。


「王子様ァ? オイ、聞いたか」


「ああ、聞いた。へえ、王子様。人間サマの王子様はコボルトの村で世話になっておきながら、この村を守る俺らに挨拶一つ返さねえのか。ええ?」


 灰色と白色の言葉からは、本当にアルラーシュが王子であると信じている様子は微塵も感じられないが、アルラーシュとて今、彼らに対して身の証を立てる必要を感じてはいるわけではなかった。


「――そうか。無礼をしたようだな。私はコボルトの礼には疎い。そちらと同じ礼を返せば良いのか?」


 アルラーシュがそう言うと、灰と白の二人は一瞬きょとんとした後、激昂した。


「何をテメエ! おちょっくってんのか!」


 灰色の手がアルラーシュの胸倉をつかもうと伸ばされたところに、三人のコボルトの後ろから鋭い声が飛んできた。


「こらー! お前達、何やってるんだ!」


 手を振り上げながらこちらに駆け寄ってきたのはカイだった。


 カイはやって来ると、三人組を順々に見た。


「この人達はオレの客だぞ! 失礼なことをしたらオレが許さない!」


 灰と白はぐうっと半歩下がったが、中心に立つ焦げ茶色の大きなコボルトは動じなかった。

 というより、この大きなコボルトは左右の二匹がアルラーシュに絡んでいる間も、じっと様子を見ていたようだった。


「この村の自警団として、ヨソ者を見張るのは当然のことだ。カイ、お前の客であっても関係ない」


「クリフ」


 とカイは焦げ茶のコボルトに呼びかけた。


「この人達はオレを助けてくれたんだ。そうじゃなきゃ、オレは帰ってこられなかったかもしれないんだぞ」


「ふん。お前は助けられたと言うが、ニンゲンの街で、ニンゲンどもにケガをさせられたんじゃないか。オレは前から、商売とはいえ異種族と必要以上に関わろうとするお前の態度は間違いだと言っていたはずだぞ。命を危険に晒して、それでもまだわかっていないのはお前の方だ」


「クリフ、そういう考えは良くない。オレにケガさせた奴とこの人達は違うんだ。何でわからない?」


 カイは茶色の柔らかそうな三角の耳を倒した。

 クリフはカイとそれ以上話す気はないと示すように、アルラーシュに向き直る。


「オレは自警団長のクリフ。この村に迷惑をかけるヤツはオレが許さない。そのサル並みの脳みそで覚えておけ。オレはそもそもニンゲンが嫌いだってことも一緒にな。何かやらかしたら、即刻叩き出してやる」


 白い牙を見せて凄むと、彼らは元来た道を戻っていった。

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