Ⅳ-Ⅴ

「うう、こ、怖かったあ……」


 ミリィはアルラーシュの腕を掴んだまま、安堵の溜め息と一緒に言った。彼女が抱えていた荷物は地面に落ち、中身がいくつか溢れてしまっていた。地面が乾いているので大して汚れてはいないのが救いだ。

 カイは耳と尻尾を垂らして、彼女の顔を心配そうにのぞきこむ。


「大丈夫? 驚かせてごめんよ。オレがもっと早くドワーフのところから戻れば良かった。ついつい話し込んじゃったんだ」


「あ! いえいえ、カイさんが謝ることじゃないですよ! アタシ臆病だから、ホントああいうの無理なんです。心臓がきゅーってなっちゃって」


 ミリィはカイに両手を突き出すようにしてヒラヒラと振り、カイの言葉を否定した。

 彼女は笑っているが、背中の羽根がぎゅっと固く閉じられたままになっている。

 きっと彼女一人なら飛んで逃げられたはずだ。

 実際、そうしたかったのではないだろうか。

 逃げ出したい気持ちを懸命に抑えていたのに違いない。


「ありがとう、ミリィ、カイ。おかげで助かった」


 アルラーシュがそう言うと、ミリィは「あれは助かったんですかねえ」と首を傾げて、それからしゅんと肩を落とした。


「まあ、アタシがうっかり王子様なんて呼んじゃったからいけないんですよね。それで絡まれちゃって……」


 カイが驚いて耳を立てる。


「王子様って呼んだの?」


「とっさに他の呼び方なんて思いつかなくて。やっぱりこれって結構問題ですか? 王子様は悪い奴らに追われてるんですもんね。王子様だってバレたら大ッ変ですよね? もしかしてアタシやらかしちゃいました? ど、どど、どうしましょう、これってヨシノ様に相談するべきかも」


 ミリィは一人で喋りながら、どんどん不安げな表情になっていった。

 カイは暴走しかかっているミリィを落ち着かせるように、両手を動かす。


「うん、そうね。一応、報告も兼ねて相談はした方がいいかもしれないな。ミリィの言うとおり、とっさに呼ぶ時に思いつかないと困るし、あらかじめ他の呼び方を決めておくのがいいんじゃない? できるかぎり普通のヒトっぽい名前でさ」


「あ、でも、呼び方だけ変えてもダメかも」


「どういうこと?」


 カイの疑問に、ミリィはさっきのコボルト三人組とアルラーシュの挨拶に関する短い、しかし決定的に何かが噛み合っていない遣り取りのことを話した。


「ああ、そういう話かあ……」


 カイは納得したように口を開いて長い舌を見せた。


 一方、アルラーシュには何のことだかわからない。

 自分が当事者であることは間違いないはずなのだが。


 素直に二人にそう告げると、何とも言えない雰囲気が場を包んだ。

 ミリィは横目でカイを見て、カイは意味もなくぴこぴこと耳を動かす。


「あー……、あのさ、ほら」


 言いにくそうに口を開いたのはカイだった。


「王子サマはずっとお城で育ってきたんだろ? だからさ、喋り方とか、オレ達とは違うんだよ」


「どこかおかしなところがあるか? 私は確かに城からあまり出たことはないが、一通りの作法は教わっている。教師にも不出来だと言われたことはない」


「そういうとこですよぅ!」


 ミリィが堪りかねたようにビシッと指をさした。

 指をさされる経験も、アルラーシュにはあまりないことである。


「どこだ?」


「細かいとこはキリがないんで指摘しませんけど、まずはご自分の呼び方ですかね」


「私、という言い方のことか?」


「庶民の、フツーの十六歳の男の子は、自分のことを “ 私 ” なんて言いませんから」


「ほう。ならば何と」


「いや、だからその話し方も……じゃなくて、普通の男の子なら、まあ、俺とかじゃないですか?」


 おれ、と口の中で呟いて、アルラーシュは自分の周囲にいる者達の一人称を思い出す。

 城の中では男女問わず「私」が一般的であった。もちろん使用人達は違うし、騎士達も自分の前とそうでない場では違う言葉を使っていたのかもしれない。

 リュカはよく言葉遣いをヨシノに注意されていたが、彼は自分のことを「俺」と言う。ルドルフもそうである。若干コボルトの発音の癖があるが、カイもそうだ。


「ならば私もその “ 俺 ” という一人称を使えばよいのか」


 そう言うとミリィは何とも奇妙な表情をした。何か変な味のものを無理やり口に押し込まれたような顔だ。


「そ、それもどうかなあと思いますね……」


「なぜだ」


「なぜって。何と言うか、らしくないっていうか。こう、ぞわっとします……」


「ぞわっと」


「王子様の、いかにも王子様ってお顔から “ 俺 ” は、ちょっと……。あ、でも、そーいうのもアリっちゃアリかもしれませんけど……。ああ! ダメ! やっぱダメ! そんな言葉教えたなんて知れたらヨシノ様にどんなに叱られることか!」


 一人でコロコロと表情を変えているミリィから、アルラーシュはカイに視線を移す。


「私が “ 俺 ” を使うのはそんなに似合わないか」


「う、う~ん? オレにはよくわかんないんだぞ……」


 カイは困ったように腕組みをした。ミリィが勢いよく割って入る。


「ダメったらダメです! 王子様! 王子様くらいの年頃の男の子ならギリギリ “ 僕 ” もありますよ! これでいきましょう!」


「ぼく?」


 アルラーシュがそう言いながら首を傾げると、ミリィは「くうっ! 反則!」と声を絞り出してのけ反った。

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