Ⅳ-Ⅲ

 ヨシノの言葉を聞いて、アルラーシュは素早くモノの表情を伺った。

 モノは表情を変えることなく、淡々として手を動かし続けていた。


 そういえば、とアルラーシュは舟の上でのヨシノとルドルフの会話を思い出す。

 モノは幼く見えるが、彼女自身の申告によればよわいは十六なのだそうだ。

 十六歳といえばアルラーシュと同い年である。


 あらためて彼女モノを見る間でもなく、彼女はアルラーシュと同い年には見えない。

 ミリィよりも少し幼く見えるくらいだ。

 ミリィの年齢はいくつくらいだろうか。種族が違うので簡単には比較できないが、人間であれば十三、四歳に見える。モノとミリィを並べて、モノの方を年上だと判断する者は少なかろう。

 要するに、モノの外見は十歳から十二歳前後だ。育ってきた栄養状態がわからないので、それだけで年齢を断定することはできない。そもそも年齢を正確に数える習慣を持つ者の方が珍しいのだ。貴族や王族でもないかぎり、自分の生年月日など知らないのが一般的である。


 ファキール王国では、慣例的におおよそ十五、六歳あたりで子供とは見做みなされなくなる。アルラーシュの十六歳の祝いが盛大に行われたのもそのためだ。人間の寿命などそう変わらないし、そのあたりの感覚は他国でもあまり変わりはないだろう。


「モノ、こう言っては何だが、貴方のことは私も気になっていたのだよ」


 アルラーシュは世間話をするような口調で切り出した。


「……ルドルフはおもしろい人だな。彼は旅慣れているようだが、モノもそうなのか? ルドルフとは旅の仲間だと聞いているが、いつから一緒に?」


 そう言いながら、アルラーシュは手元のパンをちぎって口に運ぶ。

 王城で食べていたパンよりも固く、口の中の水分が一気になくなる。そして何だか酸っぱい味がした。

 アルラーシュは慌てて、目の前のカップから水を飲んだ。


「大丈夫ですか?」


 モノが驚いて目を丸くする。


 「だ、大丈夫」とアルラーシュが慌てて笑顔を作ると、モノはほっとしたように肩の力を抜いた。

 そうして、ややあって彼女は再び口を開いた。


「……ルドルフとは、こちらの大陸に渡る前の港町で出会いました。本当に偶然です。私が男の人達に追いかけられていたところを助けてもらって」


「男達に追いかけられていたのか? 何か理由があるのか?」


 アルラーシュの問いにモノは首を傾げた。そんなことを聞かれても困ると言いたげだ。


「理由……、向こうにはあったのかもしれません。大した目的はなかったのでしょうけれど……」


「殿下、人身売買などのアテがなくとも、女子供を追いまわし危害を加えるやからというのはいるものです」


 ヨシノがまじめくさった表情のまま付け加えた。

 無論、アルラーシュもそういう無法者の存在を知ってはいたが、会話の中で連想するほど身近な話題ではなかったというだけのことだ。


「そ、そうか。うむ、それは災難だったな」


「はい。こちらの大陸で渡る船で再会し、その後は一緒にいます。ルドルフは王都へ向かうのであれば、自分と一緒の方が都合が良いだろうと言ってくれましたが……」


 モノは話しながらも作業の手は止めない。


「王都に用事があったのか? 疑うわけではないが、貴方のような少女が、たった一人で異国から旅をして来る理由など、ちょっと思いつかないな」


 アルラーシュがそう言うと、それまで話を聞いていたヨシノが口を開いた。


「私の記憶が正しければ、アインハードに連れられて、彼女モノが殿下のお部屋に入ってきた時、彼女はまっさきに精霊石の在処ありかを尋ねてきました。つまり、彼女の用事とやらは精霊石に関連すると見て間違いないでしょう。……モノ、何か違っているか?」


 ヨシノの冷徹な視線を受けて、モノは素直にうなずいた。

 怯えた様子はない。


「そのとおりです。私は元々、火の大精霊の力に近付くために、この地に来ました。正確には、二十年前に精霊暴走を引き起こした、その力の源を探すためです」


「火の大精霊……」とアルラーシュは繰り返した。「それで王家に伝わる精霊石を? なぜ貴方が……」


「王子、これをご覧ください」


 モノは右手で前髪を上げ、額を出した。

 そこには彼女の肌よりも一段濃い色で紋様のようなものが浮かび上がっていた。刺青いれずみのように見えなくもないが、こうして髪を上げなければ気付かない程度の濃さだ。前髪を下ろし、フードをかぶれば、一見したところではわからない。


「……それは? 何かの模様か? それとも文字?」


「これは土の大精霊を表す紋様。土の精霊の影響が強い北の地では、精霊を祀る廟などにも刻まれています。ですが、これはただの印ではありません。私のこれは……裂け目です」


「裂け目?」


「いわば精霊の覗き窓。これは私の推測ですが、王家に伝わる精霊石と性質はとてもよく似ているのではないでしょうか」


「似ている? 貴方の額にあるこれと精霊石がか? ああ、いや、違うな。つまり貴方が言いたいのは……」


 アルラーシュは必死にモノの言葉を整理しようとして言う。


「貴方の中に……、その、ということか?」


 モノはすぐに首を横に振る。


「それは少し違います。……きっと、なかなかご理解いただけないと思います。私の中にいると言っても決して間違いではありませんが……、やはりそれは少し違うのです」


「モノ」


 アルラーシュは意識的に声の調子を下げた。話の断片から垣間見える途方も無い何かに、いっそ目の前にいる少女が、ただの宝石狙いの盗人であってくれればと、心のどこかで思う。

 しかしたださなければならない。


「貴方は、一体何者なのか。何処いずこより来たのだ」


 少女の指が豆の山に伸び、その一つを取った。


「私は神聖ネルティア皇国の神官タウマゼインが土の大精霊の加護を得るために捧げた生贄の一人。多くのがあったと聞いておりますが、なぜか私だけは朽ちもせずに眠り続けていたそうです。理由はわかりません。エムロードと一緒に棺に入れられていたからかもしれませんし、全く関係のない他の理由によるものかもしれません。あるいは精霊の気まぐれか……」


 アルラーシュはぐっと唾を飲み込んだ。

 彼は温室育ちながら、王家の世継ぎとして教育を受けており、他国の情勢についても一通りの知識があった。


 この小さな魔法使いがたった今口にしたことが真実ならば、それは大変なことなのだ。


 土の大精霊といえば遠い北の大国・神聖ネルティア皇国が所持しているというのは、その決定的な証こそないものの、半ば公然の秘密とされていた。

 あの国は得体が知れない。特にファキール王国は海を隔てて物理的な距離があるため、これまで積極的に関係を持つことがなかった。

 両国の間には西のクターデン帝国を第一とし、群島国家などのいくつかの独立した小国や都市の同盟、さまざまな部族の暮らす草原や砂漠などがあり、戦争どころか人や物の交流すらほとんどままならない。それほどの距離がある。


「……本来ならば私は眠り続けたまま、長い時をかけて私の全てが精霊に同化しても、きっと永遠に目覚めることなどなかったでしょう。二十年前、火の精霊石による精霊暴走が起きたのと時を同じくして、私は目覚めたのです。私のほとんどはすでに曖昧あいまいでしたが、かろうじて人間の私の意識は残っていたようです」


 モノは左手で翠玉の杖を自分の方へと引き寄せた。

 アルラーシュの目には、それは親しい者の頭をそっと自分の方へと引き寄せる仕草と同様に映った。


 ヨシノが固い声で「二十年だと?」と絞り出すように言った。


「もしそれが真実ならば、モノ、貴様のその姿は何なのだ」


「…………ずっとこの姿のままなのです。目覚めてから二十年経ちましたが、私の姿はあの都に連れてこられた時から変わっていません。先ほど申し上げたとおり、私を私たらしめる要素のほとんどは、すでに失われています。私を作り上げていた全てのものは、私を置いて遠く過ぎ去ってしまった。かつて私は確かに人間でした。しかし人間は、何十年も姿を変えず、何百年も生き続ける生き物ではない。……そうなのでしょう?」


 モノはその手に小さな豆の莢を持ったまま、アルラーシュとヨシノをじっと見た。


 ヨシノは軽く握った右手を口元に当て、静かに息を吐く。

 アルラーシュは混乱を振りほどくようにモノに語り掛けた。


「二十年、いや、貴方の話のとおりだとするならそれ以上の年月を眠っていたのか。……しかし、その話をどうやって信じればよい? その話が真実ならば神聖ネルティアの方から貴方を手放すとも思えぬ。逃げ出したのか? なぜ、どうやって?」


「ある人に助けられて逃げ出しました。証拠の示しようのないことですから、信じる信じないは王子のお心のままに。ただ、これから申し上げることは真実ですから、それはどうか信じてください」


 彼女がどれほどの距離を旅してきたのか。

 真実、彼女が北の大国から来たのであれば、そしてルドルフと出会うまで一人であったのであれば、その事実だけで、彼女が見た目通りのただの少女ではないことの証左である。そう考えることは可能だ。


 彼女の正体について、信じる信じないはアルラーシュに任せると少女は言っている。


 では、彼女は何を自分に訴えようとしているのだろう。


 それよりも、今モノが話したことを、ルドルフは知っているのだろうか。


「私がこのことを話したのは、今が初めてです。誓って、ルドルフは私の正体を知りません。だから王子、彼が精霊の力を利用して、何か貴方に不利な事を企んでいるということはありえませんし、今回の一連について事前に何かを知っていたということもありません」


 アルラーシュの疑問を読み取ったかのようにモノが言った。

 それは準備されていた言葉に思えた。


 そうか、とアルラーシュは思う。


 モノが突然ここまで自分とヨシノに打ち明けた理由。

 それはルドルフの立場を悪くしないため。彼を守るためだ。


「異なる精霊の力は反発し、大きな力が動けば、どんなに抑えていようとも必ず波乱を呼ぶ。私はそれを承知で海を渡りました。しかし、反発は起きなかった。その時には、すでに事態は動き出していたのでしょう。精霊石は盗み出され、祝祭の夜まで、おそらくはあのサフィールという者が隠していたのだと思います」


 アルラーシュは軽く目眩を覚えた。


 最初は途轍とてつも無く巨大な何かが自分の手元に転がり込んできたのだと思ったが、モノの話が進むほどに、それはアルラーシュの手元に収まりきるどころか、彼の全てを巻き込み踏み潰すほどのものだと感じた。


 誰かが背後から、その力を利用すれば今の状況を打開できると耳打ちする。

 これを運命と呼ばずして何と呼ぶ。

 今すぐ目の前に座る少女の手を取り、自分のために力を奮ってくれと頼むべきだ。

 彼女はルドルフと親しい。ルドルフが自分の側にいる限り、きっと拒みはしないだろう。

 万が一にも彼女が敵の手に落ちるようなことになれば、勝ち目はなくなる。しっかりと捕まえておかねば。

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