Ⅳ-Ⅱ

 アルラーシュが粗末な寝台に敷かれた木綿のシーツの間で目を覚ました時、すでに日は高くなっていた。

 跳ね上げ式の木製の雨戸が、ささくれが目立つ窓枠に立てられたつっかえ棒のようなもので持ち上げられており、そこから白い日差しが差し込んでいる。その光が顔に当たった熱で目が覚めたらしい。


 そろりと寝台から足を降ろすと、静かな動作にもかかわらず、床が大袈裟に軋んだ音を立てた。

 アルラーシュは少し焦って反射的に足を上げる。

 音をたてず静かに振る舞うよう躾けられてきたので、自分の何気ない所作で大きな音を立ててしまうことに軽い罪悪感を覚えた。

 しかし二歩、三歩と歩くだけで床が鳴るので、すぐにこういうものだと諦めた。それでも、なるべく静かに歩くようには心がけようと思う。


 木材を組み上げただけの質素な家は人間からすると少し天井が低く、寝台を含めた家具も一回り小さめだ。

 それでも、アルラーシュにとっては王都を逃げ出して以来、二日ぶりの屋根の下での休息だった。


 一行はコボルトの青年カイに導かれ、昨夜遅く、やっとこの村に辿りついたのであった。



 小さな部屋から続く扉を開けると、そこはすぐに台所になっていた。やはり木製の作業台のようなテーブルと、背もたれのない木の丸椅子。

 そこには二人の女性が座っていた。

 一人はアルラーシュが扉を開ける前に立ち上がり、彼を待っていた。


「おはようございます、殿下」


「おはよう」


 アルラーシュは苔色の髪の女性騎士――ヨシノに挨拶を返すと、座っているもう一人へと視線を向けた。

 彼女は草色のローブをまとったままであったが、今はフードを下ろし、それまでほとんど見せることのなかった顔をあらわにしている。柔らかそうな茶色の髪はわずかに波打って肩にかかっていた。


「おはよう、モノ」


「おはようございます」


 小さな鈴の音のような声だった。彼女のすぐそば、翠玉のはめられた杖がテーブルに立てかけられている。

 テーブルには木の皮を編んで作ったが置かれ、扁平へんぺいさやの緑色の豆が積まれていて、その横に大きな丸い皿と紙が広げられていた。


 アルラーシュは部屋を見回したが、他の者達の姿はない。


「他のみなは?」


「ミリィには買い出しを頼みました。小さな村ですから、全部は揃わないかもしれませんが、これからの旅の必需品の調達です」


「そうか。リュカとルドルフは?」


「村の中か周辺にはいると思います。カイの仕事を手伝いに行きましたので」


「え?」


 意外な返事にアルラーシュは目を見開く。


「仕事?」


 ヨシノは何でもないという顔でうなずいた。


「あのカイというコボルトには世話になりましたから。この小屋も彼の所有だそうです。長居をするつもりはありませんが、それでも諸々もろもろの準備に、最低二日はここで過ごすことになるでしょう。路銀の中から可能なかぎり礼金も渡す予定ですが、それ以外で今できる範囲の礼となると、彼の仕事を少し手伝うくらいのことです」


 ヨシノの言葉を聞いているアルラーシュの前で、モノが黙ったまま積み上げられた豆の莢を一つとり、しゅっと筋を取り去って、皿に豆を置き、筋を紙に落とす。


 かあっ、とアルラーシュは自分の頬が熱くなるのを感じた。


 くたびれて、こんな時間まで眠っていたのは自分だけだ。


 そうして彼は、この村に至るまでの道程でも自分は散々だったことを思い出す。



 騎士達ほどではないにしても、毎日鍛錬をしているのだから体力はあるつもりだった。


 しかし、カイの案内で進む森の中は、城育ちのアルラーシュが見たこともないような下草やつるが伸びていて、足元はごつごつとした岩場だったり、かと思えばぬかるみの上に落ち葉が重なって泥だか水だかよくわからないものになっていたりと、普通に歩くことさえ難しかった。

 大きな岩が行く手を塞いでいたり、小川の近くの高低差のある岩場などでは、大人達に引っ張り上げられ、持ち上げられて何とかそれを乗り越えた。


 アルラーシュは密かにミリィとモノを心配していた。なぜなら彼女達は自分よりもよっぽど体力がなさそうに見えたからだ。最初の頃は、いざとなれば彼女達を庇って歩くくらいのつもりはあった。


 しかし、翼を持つウィングローグのミリィは障害物に強かった。体力などなくても関係ない。翼を持たない者が迂回したり乗り越えたりしなければならない岩場も、彼女はすいっと浮かんで飛び越すことができる。今回の移動で一番消耗しなかったのは彼女だろう。


 モノは小柄で、アルラーシュの目から見ても体を動かし慣れてはいなかったが、弱音を吐くこともなく黙々と歩いていた。険しい場所ではルドルフが彼女を抱えあげたり、押し上げたりしており、彼女の体の小ささを思えば、それはアルラーシュを引っ張り上げるよりは楽であったろう。


 つまり、一行の中で一番の足手まといはアルラーシュだった。


 ふと気が付くと、途中からコボルトのカイが自分の前をずっと歩いていた。

 アルラーシュはぼんやりした頭で不思議に思ったが、それはカイが雑草を踏み倒し、小枝を落として、後続のアルラーシュに歩きやすいように道を作ってくれていたのだと気付いた時、感謝と同時に自分の情けなさに目眩めまいがした。


 それなのに、いざコボルトの村に到着し寝台に倒れ伏したとたんに意識を手放し、今の今まで惰眠だみんむさぼっていたとは――。


「……殿下、朝食をお召し上がりください」


 ヨシノがそう声を掛けてくれた。

 この上のうのうと食事をするなど恥の上塗うわぬりのような気がして、素直に「わかった」などと言えたものではなかったが、悲しいかな盛大に腹が鳴った。


「カイがパンを分けてくれましたので」


 ヨシノがバスケットに入った丸いパンを三つ皿に載せ、水差しからカップに水を注いでテーブルに並べてくれた。


「目の前で作業をしておりまして、お見苦しくございましょうが、他に場所もありませんので、こちらでお召し上がりください」


「……かまわない」


 アルラーシュは二人が豆の筋取りをしている前に腰を下ろした。


 ヨシノとモノとアルラーシュの三人、ヨシノと自分はともかくとして、ヨシノとモノで会話が盛り上がるとは思えない。アルラーシュが部屋を出る時も話し声などは聞こえてこなかった。


「二人は何をしていたんだ?」


 豆の筋取りなのは見ればわかったが、アルラーシュはつとめて明るく、何でもないふうに尋ねた。


 自分は王子だ。

 常に堂々と余裕を持って、決して不安など表に出さないように振る舞わねばならない。

 たとえ、今の状況が八方塞がりで、この先の行方いくかたは霧の中であろうともだ。


 ヨシノはそんなアルラーシュの隣の椅子に腰を下ろし、豆を一つ取り上げると、しゅっと筋を取った。


「彼女――モノの身の上について、本人から話を聞こうとしていたところです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る