Ⅳ-Ⅰ

 ルドルフはカイの背中を追って、森の中を進んでいた。

 カイの額には真新しい清潔な包帯が巻かれている。昨晩、村に辿りついてから手当てを受けたものだろう。

 管理者の手が入っている森は明るく、木々の間を通り抜ける風も乾いている。足元でパキパキと軽快に響くのは、落ちた細い枝を踏む音だ。


 ルドルフとリュカは、コボルトの村の産業である魔石の原石を村まで運ぶ作業の手伝いをするため、カイに採掘場所である洞窟の近くにある待ち合わせ場所へと向かっているところだった。そこで魔石を採掘しているドワーフと落ち合う約束だという。


 採掘場所の近くまで、というのは、一応その洞窟の詳しい入口は外部の者には秘密とされているからということらしい。

 それでも出会って間もないルドルフ達を近くまで案内するというのだから、カイにはそれなりに信用されているということなのだろう。


 ルドルフとリュカを案内する前に、カイはコボルトの村で一番上等な酒を一瓶購入した。


「荷物を全部なくしちゃったから、ドワーフに支払う分の儲けもなくなったからさ、あいつらにお詫びしなきゃ」


 カイはそう言っていた。


 もちろん荷物をなくしたことを理由に金を渡さないなどということはしないという。

 金はきちんと渡した上で、ドワーフ達が一所懸命働いた結果を手放してしまったことを詫びるのだそうだ。

 商品も売り上げも無くしたのにも関わらず、仕入れ元のドワーフ達に詫びの品まで付けて金を払うわけで、つまり、今回の商いはカイにとっては丸損どころか赤字なのである。


「商売の基本は信用だからな。ここはケチっちゃダメなところ」とはカイのげんである。


 カイの案内で森を進むと、木々からの木漏れ日を溜めたような広場に、石を積んだ荷車があった。

 その影から、荷車の高さと変わらないくらい背丈の低い人物が現れた。

 ずんぐりむっくりとした体の前面は長いひげで隠れている。赤毛と金髪が混じった固そうな髪と、その髪と同じ色をした髭との境界線はよくわからない。長く太い眉毛の下からぐりぐりと動く目玉がルドルフとリュカを見ていた。


 ドワーフである。


「今日はこいつらが手伝ってくれるぞ、ヴァル!」


 カイが口の横に手を当てて大声で呼びかけると、ドワーフはぼさぼさの片眉を持ち上げた。


「ワシはヴァルじゃねえ! ヴァルデマーじゃと何回言えば覚えるんじゃ! このアホコボルトが!」


「覚えてるけど、お前の名前はオレには言いにくいんだよ」


 カイはドワーフの文句を軽くいなして、ルドルフとリュカを順々に指差した。


「こっちがルドで、こっちがリュカ」


「ふん、人間とエルフか。またどっから連れてきたんか知らんが、穴に潜らすんじゃなきゃそこそこ使えそうじゃな」


「じゃあ後はよろしく。グンは洞窟?」


「グンイェルド様じゃ! バカコボルトが! ぶん殴られてもしらねえぞ!」


「はは、大丈夫だよ。グンはそんなことで怒らない。でもお前達から預かった商品、ぱあにしちゃったからな。謝らなきゃ」


 ヴァルデマーは荷車にかけようとしていた縄を持ったまま手を止めて、カイに向かって鼻を鳴らした。


「ふん、おめえが品物をダメにするなんて、珍しいこともあるもんじゃ」


「ダメにしたっていうか、ちょっとばかり危ない目に遭ったんだ。でもこいつらが助けてくれたんだよ」


「ふーん。何だか知らんが大変だったみたいじゃな。まあ命あっての物種ものだねよ。お互い気ィつけるに越したこたねえってことじゃな」


「ホントそれなー」


 カイはルドルフとリュカに顔を向けて、ひらひらと手を振った。


「じゃ、オレは洞窟に行くから。後の仕事はヴァルに聞いてくれ」




 カイが去った後、ヴァルデマーの指示で荷物を縄で固定し、三人は荷車を動かし始めた。

 たいていのドワーフがそうであるように、愛想もなく口調も乱暴なヴァルデマーであったが別に冷淡な人物というわけではなかった。


 彼が道々話してくれたところによると、ドワーフ達が掘り出した魔石の原石をコボルト達の仕事場へと運ぶ、そこで選別が行われるのだそうだ。

 ヴァルデマーいわく、カイは本来は商人ではなく鑑定士なのだそうだ。種族を問わず気さくに接するカイには商才もある。あのコボルトの青年は纏っているのんびりとした雰囲気に反して、「なかなか忙しい奴」なのだということだった。


「ほとんどの魔石はそのまま王都に持ってくが、特注で魔石の加工も請負うけおうんじゃ。加工はまたわしらドワーフの仕事よ」


「魔石の加工? 杖や剣にあしらうためですか?」


 リュカが問うと、ヴァルデマーは大きくうなずいた。


「そういうヤツならそこまで手間はかからんが、まあ都の魔法使いや人間の貴族の中には装飾品として、加工された魔石を欲しがる者もおるのよ。そうなるとやれ切り方がどうの、光り方がどうの、不純物がどうのと面倒くさい」


「へえ」


「わしらからしたら無駄じゃと思うがね。自分の魔力と相性が良くて、うまく使えりゃええだけじゃろうに。いくらピカピカ光ったところで所詮は道具だわ。道具は使えてなんぼ。違うかね?」


「まあ、そういった考え方もありますね。でも綺麗な物を持つだけで嬉しくなる人もいるんだと思いますよ。……ヴァルデマーさんは魔法は?」


「ヴァルデマーときたか。お前さん、エルフにしちゃあ気取ったところもないし礼儀正しいのう。わしは魔法は使えんし、ほとんどのドワーフはそうじゃな。魔石は売れるから売っとる。わしらには必要ないものじゃから」


「売り物が採れなくなったら困りません? それって必要ってことでは?」


「コボルトどもは困るかもな。だが他にも売り物はある。わしらの作る道具は評判がええよ」


 ヴァルデマーの言うとおり、ドワーフ製の道具は性能が良く、壊れにくいと評判である。彼らはその太い指からは想像できないほど繊細な仕事をやってのける。

 彼らの道具は高級品として扱われ、人間の町ではあまり流通していない。職人を志す者の中には、いつかはドワーフの作った道具を使いこなせるような名人になりたいと夢見る者も多いという。


 ドワーフの膂力りょりょくはしばしば他の種族にとって脅威のように語られるが、真に恐ろしいのは彼らの持つ技術力だと、ルドルフはそう思っている。

 他の種族にとって幸いであったのは、大部分のドワーフにとっての関心事が地上にはなかったことだろう。


「ヴァルデマー達が住んでいる洞窟というのはどのくらい続いているんだ? 中は広いのか?」


 ドワーフにとって洞窟は仕事場であり、住居であり、町であり要塞である。

 はぐらかされるだろうと予想はしたが、ルドルフは尋ねてみた。


「奥行は山の半分くれえまでだな。このあたりは岩盤がしっかりしとるのよ。まあ、出入り口はいくつかあるわい。広さもあるが、お前さん達みてえなデカい奴らは入れねえよ。頭がつっかえちまう」


 ヴァルデマーは豪快に笑った。


「そうか、それは残念だな。それなりに旅をしてきたつもりだが、ドワーフの居住地というのはまだ見たことがないんだ」


「ほーん、人間やエルフはわしらの住処すみかをあまり好まんと聞いとるがね。まあ、わしも人間の町やエルフの森に住んでみたいとは思わんし、たぶん住んでも落ち着かんだろう。お互い様かもな。……ああでも例外もいるみてえだなあ」


 ヴァルデマーの言葉を聞いて、ルドルフはリュカを見た。リュカは「え、俺ですか?」と苦笑いしたが、ヴァルデマーはいやいやと首を振る。


「わしは会ったことはねえが、数年前からコボルトどもの住処のはずれに、変な人間が住み着いとるっちゅう話だ」


「人間?」


 ルドルフは聞き返した。

 コボルトの村の近くに人間が住んでいるという話は初耳だ。カイからも聞かされていない。


「移住してきたのか?」


 何らかの事情で住む場所を失った者達が住み着くというのは考えられないことではない。しかし、それは大抵の場合、先住の者達との間に揉め事を発生させる。


「移住と言えば、まあそうかもな。聞いた話じゃ、どうも一人者ひとりものらしい。ある日突然フラッとやって来て、勝手に住み始めたそうだ」


 コボルトやドワーフの住むこの土地は、人間達の暮らす町からは少し距離がある。全くの没交渉ではないようだが、カイの話では一番近くの小さな町まで、足の達者な若いコボルトでも半日以上かかるということだった。

 当然、日々の買出し等で気軽に往来できる距離ではないので、その人間は七日に一回程度の頻度でコボルトの村にやって来ては用を済ますらしい。

 また、酒を嗜むというその人間は、月の夜などにはやはりコボルトの村にやって来て酒場に顔を出したり、酒を求めては月見酒と洒落込んだりするのだという。


「確かに変わり者だな」


 異種族に寛容な者ばかりでないのはコボルトとて同じである。

 人間一人がコボルトの中に住めば、不愉快な思いをすることも少なくはないはずだ。


 ルドルフの言葉を聞いて、ヴァルデマーはうなずく。


「コボルトの中には良い顔をせぬ者もおるようじゃな。しかし変人は変人でも、なかなか物知りなようで、話してみればおもしろい人間だと言う者もおる。村人の中にはそれなりに親しんどる者もおるというから、住めば都という言葉もあながち間違いじゃあるまいよ」


 どこでも案外やれるもんかもな、とヴァルデマーは付け加えた。


「グンイェルド様の代になって、コボルト達との交流も前より盛んになった。カネも物も前より入ってくる。それがいいことなんか悪いことなんか、わしなどには判断できんが……」


 ヴァルデマーはぼさぼさの眉を上げて、ぎょろりと目を動した。


「ま、これも時代の流れかのう。グンイェルド様の従兄いとこはセヴェリン様といってな、ここよりも南のでけえ鉱山の主よ。聞いた話じゃあセヴェリン様もグンイェルド様と負けず劣らず進んだ考えをお持ちらしい。人間の貴族と手を結んで商売しとるいうんじゃもの」


「人間の貴族? それはメクレンバーグの鉱山公のことか?」


「さあて、そうじゃったかのう。わしは地面の上のことは詳しくないんじゃ。興味もないしな」


 ヴァルデマーは言い終わると、荷車を押しながら歌を歌い始めた。

 それは古いドワーフの言葉で、エルフのリュカはどうか知らないが、人間であるルドルフには歌詞の意味は全くわからなかった。

 しかし、ドワーフの低い声で歌われる不思議な言葉には、まるで周囲の岩や石からしみ出てくるような響きがあり、いつの間にか歌っているのは実は岩や石の方なのではないかと錯覚してしまうほどであった。

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