炎上の後に

 血を思わせる真紅の厚いビロードのカーテンは、闇に沈んでほとんど黒と変わらぬ色に見えた。

 その柔らかい生地に指を滑らせ押し開けて、オスカーは暗い部屋の中から王都の炎を見下ろす。


 ここはファキーリアの西にある離宮。迎賓館として使用されるその場所は、王子アルラーシュの従兄であり、王配フレデリクの甥でもあるオスカー・スタンリーの王都滞在のために調ととのえられたものだった。


 精霊石を手中に収め、燃え盛る王城を後にして、彼は自分を歓迎するために用意されていたこの場所に戻ってきたのだ。

 その歓迎を指揮した者は、すでにいない。


 彼は美しい装飾のほどこされた宝石箱を左手に持ち、右手で箱のふたでた。そこには血のように紅い火の魔石が収められている。

 精霊石。火の大精霊の力が宿るとされ、王家に伝わっていたそれを、彼は簒奪さんだつした。


「……燃える街など見て楽しいか?」


 背後から掛けられた覇気のない声に、オスカーは半分だけ振り返った。


 部屋の端には、フレデリクが一人掛けの安楽椅子アームチェアに沈み込むようにして座っていた。後ろに撫でつけていた髪はやや乱れて額にかかり、上着も脱いで、白い襯衣シャツの襟をだらしなく開いている。王配であった者として、妻を失ったばかりの夫として、相応ふさわしい姿ではない。


 彼の目の前の小さなテーブルには遠く西の国から取り寄せた度の強い黄金こがね色の酒と、玻璃はりの杯が置かれている。彼の故郷であるポートランドは交易で栄える土地でもあり、ファキール王国の都であるファキーリアでもなかなか手に入らないその酒は、オスカーが叔父への手土産にと持って来たものだった。


「叔父上はご覧になられないのですか? 長年の悲願でしょう」


「……別に悲願ではない」


「これから忙しくなります」


「お前はそうかもしれんが、私は……」


 そう言って、フレデリクは億劫おっくうそうに口をつぐんだ。

 やや間をおいて、彼はわざとらしく別の事を口にする。


「兄上と義姉あね上はお元気か」


 それはオスカーが王都に到着し、王城に挨拶に上がった日に、すでにされていた問いであった。


「……此度こたびの事、きっと喜んでおりましょう」


 オスカーはそう答えた。

 フレデリクはそれ以上の追及はせず、酒を口に運ぶ。深い溜め息と共に吐き出された名前はオスカーの耳にもかろうじて届いた。


「ああ、私のオーガスタ……」


 オスカーは聞こえぬふりをして、表情を変えぬまま窓の外に視線を固定した。

 やはりこの叔父は弱い男だと思う。

 情が深い理想主義者とも言い換えられるだろう。二十年も前のどうにもならない個人的な思いを、王城の奥でずっと磨き続けていた。掌に宝物の小石を握り続ける幼児のような純粋さ。


 ずうんと重たい音が響き、眼下に広がる街に黒い巨大な影が立ち上がった時、オスカーは手の平に熱を感じた。

 フレデリクが後ろで取り乱し、部下を呼びつけていたが、そんなものはほとんど耳に入ってはこなかった。


――精霊石か?


 左手に載せたままの精霊石を入れた宝石箱の蓋を開く。紅玉は見た目には変わらなかったが、その奥に何かうごめくものがあるような気がして、オスカーは目を細めた。


――何かに反応したのか?


 チカチカと巨大な影の周囲に光が舞う。


 いつの間にか背後に近付いていたフレデリクが窓の外を見て、唇を戦慄わななかせた。


「な、何だあれは、一体」


「ご心配は無用です。サフィールが出ているようですから」


「サフィール……あのような得体の知れぬ輩、本当に信用できるのか」


「実力は確かです。叔父上もご覧になったでしょう。信用に足るかどうかは別として、利用する価値は十分かと」



 やがて巨大な影は街の中に倒れ、オスカー達からは様子が見えなくなった。


「…………やったのか?」


 フレデリクが乾いた声でそう言って、ふらふらと椅子へと戻った時、「オスカー」と部屋の真ん中の天井あたりから少年の声がした。フレデリクは情けない悲鳴を上げて、椅子に尻もちをつくようにして倒れ込み、声のした方を見上げる。


 そこにはローブに身を包んだ小柄な影が浮かんでいた。


「サフィールか。さっきまであれと戦っていたな。あれは何だ?」


 フレデリクとは対照的にオスカーは落ち着き払っている。


「あれって土傀儡ゴーレムのこと?」


「それを操っていた者のことだ」


「あんたの持ってるソイツと同じさ、オスカー」


 オスカーは自分の左手に持っている小箱に視線を落とした。


「……精霊石か?」


「そうだよ」


 オスカーは右手を顎に当て、しばし思案した後、口を開いた。


「先ほどお前が街で戦っている間、この箱の中の精霊石が何かに反応したように熱を持ったが……」


「そうさ。異なる精霊の力は反発する。そうは言っても、そんじょそこらの魔法使いのちっぽけな魔力じゃあ、そんなのは無視できる程度の微々たるものだけどね」


「つまり、お前が相手にしていたのは、この精霊石に匹敵する力だと言いたいのか?」


 そう尋ねつつ、オスカーはサフィールの答えが是であることを確信していた。

 火の大精霊の力を宿す精霊石に匹敵する力となれば、選択肢はいくらもない。

 四大元素を司る、残り三つの大精霊の力のいずれかである。

 あの巨大な黒い影。あれがサフィールの報告のとおり土傀儡ゴーレムであったのならば、あれほど大量の土砂を操るその魔力の源泉は――。


「そんな物が、なぜ今この国にある?」


 もし、それが本当だとすれば、北の大国も西の帝国も事態を静観しているはずがない。


 火の精霊石がファキールの王家の秘宝とされてきたように、所在知れずの風の大精霊を除き、北の土、西の水、それぞれその地の最大の権力者と呼んでもよい者達が、その存在を何らかの形で掌握していると聞く。ただし、それがどのような形で存在するものなのかは秘匿ひとくされており、正確な情報は他国へは伝わってこない。

 オスカーとて、今手中におさめている精霊石の全てを正確に把握しているわけではない。この紅玉に何か秘密があったとしても、それはすでに女王と共に炎の中に失われてしまった。


 火の精霊石に匹敵する価値と力を持つ物が南の大陸に移されたとすれば、必ず何か動きが起きている。ファキール王国の北の玄関口であるポートランドを治めるスタンリー家に、その兆候が掴めぬはずはなかった。


 不可能だ、とオスカーは思った。

 精霊石に匹敵する物を、誰にも知られず南の大陸のファキール王国に持ち込むことなどできぬだろう。


 しかも、この折。

 王子の十六歳の祝いの夜。

 スタンリー家が兵を起こし、王家の宝を簒奪さんだつしたその時に。

 図ったかのように、その場に二つの精霊の力が揃うなどている。


 これでは、まるで。


「運命だよ、オスカー」


 サフィールの声がした。


「精霊の力は反発しあう。大きな争いは必ず起こるよ。ずっとずっと、何度でもね」


 オスカーはサフィールを睨みつけるように見上げた。


「そこまでわかっていながら、サフィール、お前はをみすみす取り逃がしたのか?」


「仕方ないだろ」


 サフィールがそれまでの余裕を崩して、忌々し気に吐き捨てた。


「向こう側にあいつがいる。あいつの気配を感じて、この精霊石に先回りしてやったつもりだったけれど、向こうもとっくに手に入れていたってわけさ。僕達は争う運命の合わせ鏡。どんな道を辿たどったとしても、行き着く形は同じだ。それが望みでも、そうじゃなくても」


「……まるで精霊達が代理戦争でもさせているかのような言い方だな」


「あれ? そう聞こえなかった?」


 乾いた声で、サフィールは笑った。

 オスカーは再び窓の外の王都を見下ろす。


 祝祭のために集まっていた多くの貴族は、今夜を境に大きく勢力をがれることになるだろう。主立おもだってスタンリー家と対立していた穏健派の主流は、ほとんどその血統を絶やすことになる。日和見ひよりみの連中は、精霊石の力を見ればこちらに協力する気になるに違いない。

 オスカーの今夜の目論もくろみは八割方はちわりがた達成したと言ってよい。


 目論みが外れたことと言えば、かの鉱山公の息女コルネリアが王都に来ていなかったことと、王子アルラーシュを捕らえ損ねたことだ。


 騎士団長のエデルは騎士団にいる内通者から巧みに王子を遠ざけ、さらには女王の配偶者であり王子の父親でもあるフレデリクと、その外戚であるスタンリー家の手が王子に伸びることを防いだ。それでいて自身は最期まで女王の騎士であり続けたのだ。やはりどこまでも喰えぬ男であったと思う。


「……土傀儡を操っていた者が、土の大精霊に関わる何かを持っているということか? それを持って北から渡って来たと? そんなことが可能か?」


 そう問えば、背後で少年がくすぐるような笑い声を立てた。


「サフィール?」


「もしかして相手もそのマヌケな火の精霊みたいに、石を使っていると思っているの?」


「…………」


「ニンゲンは馬鹿だ。大精霊の力なんて大きなものが、本当にそんな小さな石に丸々と宿ると信じているの? まあ、それでもいいけれど。アンタ達がどう解釈をねくり回そうが、そこに在るものは変わりゃしない」


 オスカーが振り返ると、サフィールはつうっと彼の顔と同じ高さに降りてきた。


「小娘だったよ」


 オスカーの目の前、黒いフードの下から歌うように楽し気な少年の声がささやいた。

 彼はオスカーが一瞬呆然としたのを感じ取ったのか、ますます上機嫌な声を出す。


「アンタにもわかりやすくたとえてあげるよ、オスカー。あれは意志を持った精霊石みたいなもんだよ。ここにさ――」


 黒い手袋に包まれた指が、オスカーの赤い前髪の下を指し示す。


があったよ。模様みたいに見えるけど、少しひらいていたからわかった。たぶん普段は閉じてるんだね。だから魔力で足跡そくせきを追おうにもつかめない。あとエムロードもいるし、あいつは僕と同じだからさ」


「……なぜ、そんな存在がファキーリアに?」


「知らなーい。何でもかんでも僕に聞くなよ。手下はいっぱいいるだろ」


 扉を叩く音が部屋に響いた。

 ふわりとサフィールがオスカーの背後に回る。


 扉が開き、入ってきた若い従僕が、街へ出ていた隊の一つが戻ったことを告げた。

 そのうちのほとんどが負傷しており、隊長の男が報告のため面会を求めているとのことだった。


「聞こう。通せ」


 オスカーが答えると彼は一礼し、扉の外に控えている男に入るよう促した。

 入って来たのはスタンリー家の私兵で、小隊の隊長を任せている男であった。

 彼自身には目立った傷はないように見えたが、体が冷えてでもいるのか、顔色がやたら白くなっている。


 彼はまず、街で近衛騎士の格好をしたエルフと交戦したことを報告した。


「リュカだな」


 ぼそりとフレデリクが言ったが、その声は好意的とは到底言えないものだった。オスカーも銀髪のエルフの騎士は城で何度か見た覚えがあった。


「リュカは城内でも姿を見ませんでした。おそらく間違いないでしょうね」


「……アルラーシュを逃がす途中だったのか?」


 しかし、私兵隊長は近くに王子の姿を見なかったと答えた。


「では陽動ようどう……リュカが騒ぎを起こし、その間に逃げたとも考えられる」


 そう言いつつも、オスカーは違和感を覚えていた。ただでさえ混乱している王都の中で騒ぎを起こしても効果は薄い。


「それが、どうもわからないのです」


 私兵隊長はフレデリクとオスカーの視線を受けて、緊張した顔で説明を始めた。


 彼らは突然現れた土傀儡に驚き、一度は配置を崩したものの、すぐに元の場所に戻ったのだという。

 そこに二人の男が現れた。一人は近衛騎士の騎士服を身に着けており、もう一人は騎士ではなく剣士、要するに武装した旅人に見えたそうだ。

 私兵隊はすぐに誰何すいかを行ったが、後方から乱入してきたコボルトに慌てているうちに二人は逃げ出した。


「と言うよりも、何か他に目的があるように見えました」


 私兵達は当然二人を追ったが、しばらく走った後で、その場に留まって待ち受けていたのはリュカ一人だったという。

 その時、すでにもう一人の黒髪の剣士とコボルトの姿はなかった。


「黒髪だと?」


 フレデリクが椅子に預けていた背中を浮かした。


「叔父上?」


 オスカーを無視して、フレデリクは顔をしかめた。


「確かに黒髪か?」


 黒髪の者は珍しい。私兵隊長はしっかりと返事をした。


「夜ですが、火に照らされても、その光を吸いとるように黒いのです。あと大変短く切られておりました。黒髪の者にしても珍しいかと」


 どかりと音を立てて、フレデリクは再び背中を椅子にうずめた。

 彼は酔いをさますように、自分の顔を乱暴にこする。


「それは間違いなく奴だ。エデルがアルラーシュの武術師範にしてきおった男だ。……エデルめ、どこまでも業腹ごうはらな男よ」


「武術師範、ですか」


「ふん、そんなものはどうせ建前であろうよ。あやつめ、こうなることがわかっておったのだ。あの女は玉座を捨てて逃げ出したりはせぬ、ならばアルラーシュだけでもと。いかにも奴が好みそうなことだ。騎士の誇りだと? 忌々しい男め!」


 フレデリクは足を踏み鳴らし、体を落ち着きなく揺する。

 オスカーはどこかめた目でそれを見ていた。


「して、その武術師範の名は?」


「名はルドルフ……ルドルフ・アインハードとかいったな。はっ、何がルドルフ(高名なる狼)だ。どこの者とも知れぬ黒髪の流れ者が」


 ルドルフ、とオスカーは呟いた。


「その名、聞き覚えがあります。確か先日皇帝が即位したクターデン帝国に、そのような名の将軍がおりました。……念のため、同一人物かどうか調べさせておきましょう」


 ちらりと横目で従僕を見やると、若い従僕は足音をたてず素早く部屋を出て行った。


「ねえオスカー」


 少年の声がオスカーが背を向けている部屋の端から呼びかけた。


「何だ、サフィール。今は静かにしていなさい」


「僕に命令すんなっての。その黒髪の男とコボルトなら僕も見たよ」


 その言葉に、オスカーは背後を振り返る。


「土傀儡を操っていたチビが、そいつらを庇ったよ。向こうもチビを探していたみたいだった。たぶん、一緒にいるんじゃないかなあ」


 フードの下の表情はわからなかったが、オスカーの脳裏には三日月形に吊り上がる唇の形が浮かんだ。


 知らず知らずのうちに、精霊石を収めた小箱を持つ手に力が入る。


 リュカとルドルフ・アインハードがこの騒動の中、王子と無関係の行動をとるとは考えにくい。

 サフィールと相対あいたいした土魔法の使い手が火の精霊石に匹敵する存在で、さらにはルドルフ・アインハードと何らかの関係がある娘だとすれば、おそらくその接点はファキールで生じたものではなく、それ以前。旅の途中か、北の大陸でのことだろう。


――全て偶然、と片付けて良いものかどうか。


――ただ、合わせ鏡というサフィールの言葉どおりと考えるならば、今、土の大精霊の力は……


 


 オスカーは突然顔を上げ、私兵隊長を睨みつけた。

 彼よりも十は年上であろう隊長は雷に打たれたように居ずまいを正す。


「すぐに王城に人をやって、ルドルフ・アインハードが使用していた部屋を調べろ。一人ではなかったはずだ。焼けているのは玉座の間の周辺だけだから近付けるだろう。王城で働いていた使用人や兵士を取り調べる際にエデルの客人について問いただせ。ルドルフ・アインハードのについて、その者の風体も含めて、なるべく詳細に」


「は、ハッ!」


 私兵隊長は飛び上がるようにして部屋を後にした。



 再び静けさが戻ってきた部屋で、フレデリクはまた酒をあおり、伺うように甥を見た。


「オスカー、何を考えているのだ」


「少々、筋書きを書き換えようと思いまして」


「筋書き?」


 オスカーは笑う。

 その笑みは玉座の間で見せた。あの剃刀かみそりのような笑みだ。


「 “ 狼狩り ” ですよ」

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