Ⅲ-XV

 火の手は後方になった。

 やはりリュカの見立てどおりの放火であったということだろう。

 火事は迫っていないとはいえ、祝祭後の街にここまで人気ひとけがないのは不自然だ。

 無事な地区に住む者達も異常な事態を察して、家の内で息を殺しているのかもしれない。


 ルドルフの頭上、正確には進行方向の夜空で一瞬何かがぜたような光があった。


「何だ?」


 走りながら夜空を見上げる。

 黒々とした山のような影との距離は、いつの間にか街区がいくを一つ挟んだ距離にまで迫っていた。


 燃え上がる王城と黒い巨大な塊。夜空に流れる黒煙にいぶされているかのような白い月のぼやけた光の中に、小さな人影が浮かんでいた。


 一瞬、彼女かと思う。

 細かい部分までは見えないが、その人影はローブのようなものを羽織っていたからだ。


 人影は土傀儡ゴーレムの前を遮るように浮かんでいる。


 くるりと人影が宙返りをするような動きを見せた。


 土傀儡ゴーレムの顔のあたりでいくつもの火球かきゅうが爆ぜ、光が明滅して街を照らす。

 しかし土傀儡は少しも傾くことはなく、さらに一歩前進した。


 地面が揺れ、道に面した民家の窓に掛けられていた鉢植えが落下して砕け散る。


 ルドルフとリュカを追っていたコボルトは、とうとう一気に距離を詰めることに決めたらしく、地面を強く蹴って跳躍すると、建物の壁を蹴り、さらに二人の頭上を飛び越して行く手を遮った。


「大通りから外れたのは失敗でしたかね」


 リュカが悔しそうに言ったが、他に選べるほど道はなかったことも事実だった。


 背後からはバラバラと不揃ふぞろいな足音も聞こえていた。先ほどの私兵達のリーダーは思ったよりも勤勉な人間だったようだ。


「ルドルフ様、どっちとやります?」


「モノを見つけて戻る。戦っている時間はない」


「……じゃあ、そのコボルトの方をどうぞ。彼の狙いはモノちゃんで、怒りの対象はルドルフ様みたいですから」


 ルドルフは舌打ちをこらえてリュカを横目で見た。

 リュカの横顔はえている。

 苛立っている時ほど持って回った言い回しになるのは、エルフのやり方だ。

 このわかりにくいエルフの青年は怒っている。街を焼かれ、守ってきた者達の醜い面を見せられて、怒っているのだ。

 最初から相手を譲る気などないのだろう。

 エルフは時として他種族の目には高慢に映るほど誇り高い種族だ。


 街中に地鳴りのような不気味な音が絶えず響いている。巨大な土傀儡が身動みじろぎするたびに、その体を構成する土や岩、巻き込まれた木の根などがぶつかり、擦れる音だった。


 ここまでルドルフ達が駆け抜けてきた場所を考えると、少女モノの足で王城に辿たどりつけるとは到底とうてい思えない。

 しかしそれはあくまで、少女一人の足であればの話だ。


 迷っている時間も、他の場所を探す時間も残されてはいなかった。


 ルドルフはコボルトのふさぐ前方ではなく、建物と建物の間の路地へと飛び込んだ。

 そこを抜けた先には、土傀儡が立ちふさがっているはずである。


 ルドルフが自分を回避して横道にれ、リュカが残ったのを見て、コボルトは丸い目をぱちくりと瞬かせて首を左右に動かして数瞬迷い、すぐにルドルフを追って路地へと駆け込んでいった。




 やがて近付いてくる足音が大きくなり、スタンリー家の私兵が追いついてきた。


「何だ、耳長みみながだけか。おい! もう一人の黒髪はどうした」


「彼は先に行きましたよ。俺は貴方達の相手をするために残ったんです」


「ふん、耳長でも近衛騎士このえきしだ。多少は腕に覚えがあるのだろうが、一人でこの人数を相手にするつもりか。おもしろい。その度胸を評して、貴様の耳を切り落とし、見た目だけでも人間らしくしてやっても良いぞ」


 灰色の集団からあざけるような笑い声がきあがった。


 リュカはエルフの特徴に漏れず、人間の平均より長身ちょうしんではあっても細身ほそみである。

 今の状況は多勢に無勢であり、それなりに屈強な者達で編成されている兵達に囲まれてしまえば、リュカに勝ち目はなさそうに見えた。


 リュカは相手の雑言ぞうごんには応えず、黙って剣を抜いた。


「俺の剣術の腕前、近衛騎士の中でどのくらいだと思います?」


 リュカに問われて、私兵のリーダーは口を歪めた。

 リュカはどこまでも透きとおるような薄い薄い水色の瞳を向ける。


「真ん中よりちょっと下ってところです。近衛騎士は一応選抜されて、四十人くらいはいるんですけど、稽古けいこでも中堅には勝ったり負けたりですから。……ヨシノ様には一度も勝てたことがないなあ。あの人、おっかないんですよ」


「だから何だ。弱いから見逃せとでも言うつもりか」


「まさか」


 リュカはそう呟いて、流れるような動きで先頭に立つ私兵の一人に突きを繰り出した。

 金属音が響き、剣が交わる。


 私兵達はを確信した。

 この馬鹿な耳長は先制をし損ねた。

 最初の一人を不意打ちで殺すつもりだったのだろうが、そう上手くはいくものか。このまま取り囲んで突き殺してやろう。


 ひゅうと鋭い痛みが、服や防具に覆われていない肌にはしった。

 それは冷たい剃刀かみそりの刃を皮膚に滑らせた感覚に似ていて、彼らは反射的に動きを止めて、互いを見た。


 痛みに気を取られた一瞬、リュカと剣を交えていた兵士が首から血を吹いて崩れ落ちた。

 倒れた兵士の表面が、見る見るうちに白い何かに覆われていく。


 ヒュッと銀色の弧を描いたリュカの剣を、二番目に近くにいた兵士が危うい動きで受け止めたが、すぐに表情に焦りを浮かべた。


「あ、指が……」


 その続きは声にならず、切られた喉から風のような音が出た。


 石畳の上を撫でるように白いもやのようなものが広がり、倒れた者だけでなく立っている兵士の足元にも、白い悪魔がよじ登り始めていた。


「クソッ! 足が動かん!」


 誰かが忌々しげにうめき声をあげた。彼らの靴は地面に縫い付けられたように動かない。

 その頃には、すでにその場にいる全員が、自分達を刺す白い靄の正体を理解していた。


「俺、一人で大勢を相手にする方が得意なんです。エルフの技など邪道だと言う人もいましたが、エデル様にはこの技を評価していただいて、騎士団への仕官が叶いました。もっとも普段の稽古は木剣だし、一応は平和でしたから、使う機会は今までありませんでしたけれど」


 リュカは手首を返して、自らの剣の柄、鍔の近くに埋め込まれた魔石を示す。

 それはリュカの瞳と同じ、限りなく薄い水色をしていた。


「ま、魔法剣か。この……」


 唇を歪めたリーダーの呼気が凍り、口の周りの皮膚に白く霜がおりる。

 リュカが剣の切っ先をまっすぐ彼に向けていた。


「次にを使ったら、その口と鼻を凍らせますよ」


 リーダーは口を閉じた。

 背中を駆け上がる悪寒は、冷気のためだけではない。

 目の前のエルフは本気だ。


「さあ、どうします? 全員でかかってきますか? それとも凍傷で二度と剣が握れなくなる前に、この場から去りますか?」

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