Ⅲ-XIV

 夜空を背景に、夜空よりなお暗い巨大な影。


「まさか魔物か? どこから出てきたんだ」


「いや、あれは魔物じゃない。……たぶん土傀儡ゴーレムです」


 闇にそびえ立つ巨人を睨んで、リュカが緊張した声で答えた。


「ゴーレム?」


 ルドルフは問い返したが、魔法に詳しくなくともゴーレムくらいは知っている。土の魔法を使う者達が扱う傀儡かいらいのことだ。

 実際に見たこともある。しかし、そのほとんどは机の上に乗るような小さなものから、せいぜい子供の背丈ほどの土人形で、主人に命じられた簡単な作業を繰り返すだけだった。

 一度、旅の途中の森の中で、人里を離れて一人で暮らす変わり者の土魔法使いに会ったことがある。

 彼の操っていたゴーレムは家の軒と同じくらいの背丈であったが、その仕事は門番で、普段はその魔法使いの家の戸口の脇にじっと突っ立っているだけであった。来客があれば反応して鈍々のろのろと動き出すが、まず人が訪ねて来ることなどない環境なので、ほとんど魔力を消費しないのだとその魔法使いは語った。


 しかし今、街の中に立ち上がる影はゆうに建物三つ分以上の高さがある。高いだけでなく、そのずんぐりとした肢体したいからして重量はかなりのものだろう。


「あのデカさはヤバいですね。あれを動かしている魔力も相当なものです」


「王都の中に術者がいるはずだな」


「さあ、それは……。俺の知る限りではあんなデカいの呼び出せる魔法使いはいませんけど」


 やり取りをする間も、二人の視線はずっとゴーレムを警戒している。


「あれを今呼び出したんだとしたら、その場所がどうなったかなんて、あまり想像したくないですね」


大穴おおあないているだろうな」


「街の中です。笑えませんよ」


「このまま直進はできんということだ。迂回うかいできるか?」


「この先の街の様子がわかりませんけど、とりあえずこっちから回りましょう」


 リュカが道を示し、二人は今まで走ってきた道よりも細い路地へと入った。

 路地というよりも背中合わせに建っている建物の間の通路とも呼ぶべき道で、それぞれの建物の裏口に桶やかめなどの日用品や、それらを置く粗末な木製の棚などが並んでいる。見た限り人の姿は無かった。本来なら灯りもない路地は真っ暗だろうが、少し離れた位置まで迫っている炎のせいで、黒と橙色だいだいいろに不吉に照らされている。


 路地は二人が並走するには狭い。リュカが先を走り、ルドルフは銀髪の揺れる背中を追って走った。


「ここを抜けた先は、道が交差するんで少し広くなってるんです」


 前を向いたまま、リュカが少し大きな声で言った時だった。

 ルドルフの右手側、まさに通り過ぎようとした木棚の黒い陰から、小柄な影が飛び出してきた。

 棚が倒れ、並べられていた道具が狭い通路に散乱する。


「ルドルフ様!」


 リュカは足を止めて振り返った。


「この……ッ!」とルドルフの声がして、黒い影が宙を一回転して倒れた道具の中に叩きつけられるのが見えた。


 ルドルフは素早く影から距離を取り、リュカに背中を向けて相手を睨んでいる。

 すぐに影は起き上がり、縮こまるような動きをした次の瞬間、バネ仕掛けのような速さでこちらに飛び掛かってきた。


 硬質な音がして、影はルドルフの前で止まる。

 ルドルフの剣が、相手の持つ得物ショートソードを受け止めていた。暗がりの中、やっとリュカの目にも相手の姿が捉えられた。


「コボルト……!?」


 その相手は明るい茶色の毛を持つコボルトだった。白い毛に覆われた口で牙をむき、巨大な犬歯の間からはかすかなうなり声をあげつづけている。

 明るい茶色の頭部の左側、三角の大きな耳と目の間の毛が、黒くべったりと固まって見えることにリュカは気が付いた。明らかな流血の跡だ。血が止まっているのかどうかはわからないが、おそらく固い物が当たったのだろう。

 投石か、棒で殴られたのか。


 突然コボルトが吹き飛ばされ、後方の道具の山に再び叩きつけられた。

 ルドルフが鍔迫つばぜり合いの格好のままで相手の腹を蹴りつけたのだ。


――うわ、とんでもないな。このヒト。


 コボルトは小柄な種族だが、その膂力りょりょくはドワーフにぐ。身体も頑丈なのでガラクタの中に叩きつけられたくらいで死にはしないとは思うが、それでもリュカは目の前のコボルトに同情を禁じえなかった。


 ルドルフは剣を鞘に戻さず、コボルトの動きを注視している。

 その姿を背後から眺めて、リュカは初めて彼の持つ剣を見た。確か城内でも剣を抜いていたはずだが、暗かったのと余裕がなかったのとで、きちんと見ていなかった。


 ルドルフの持つ剣は、騎士が持つ剣よりも幅広く、いわゆる大剣、両手剣ツーハンデッドソードと呼ばれるものだ。


――あの剣は。


 今、不完全な明るさではあるが、王都を焼く炎に照らされても、ルドルフの持つ剣はその光を映すことはなく、影のようなつやのない黒のままだった。


 むくりとコボルトが起き上がった。

 その手には、まだショートソードが握られたままだ。

 二回も叩きつけられたせいか、大きな口を開け、ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返している。


手負ておいか。人間にやられたか」


 ルドルフが言った。彼もコボルトのひたい怪我けがに気が付いたらしい。


「人間にやられたから、やられる前に俺をおそったのか? だとしたら、このまま去るがいい。俺はこれ以上何もしない」


「モノ……」


 荒い息の下でコボルトが小さく言った。


「何?」

「モノちゃん?」


 ルドルフとリュカが同時に声をあげる。


「お前、あの子の匂いがする。それもいっぱい。さっきまで一緒にいたはずだ」


 ウウッとコボルトは鼻の頭に皺を寄せ、首の毛をざわりと逆立たせた。


「あの子に何をしたんだ……!」


「お前、まさかお前がカイか?」


 モノが街で出会ったというコボルトの行商人。

 ルドルフは剣を収めた。しかしコボルトは牙をむいて彼を威嚇いかくする。


「……お前、新しい血の匂いもする。誰かを殺したばかりだな。オレの鼻はごまかせない。答えろ! あの子はどうした!?」


 コボルトはルドルフに飛び掛かる。ビュッと空気を鳴らして、白刃はくじんきらめいた。

 ルドルフは舌打ちをして、ショートソードを繰り出すコボルトの腕を掴み、相手の勢いのまま投げ飛ばした。コボルトの体は宙返りをするように回転し、またもや地面に倒される。


「リュカ! 走るぞ!」


「え!? いいんですか!?」


「話が通じん! かまっている暇はない!」


 起き上がったコボルトは毛を逆立てて身震みぶるいすると、走る二人の後を猛然もうぜんと追い始めた。

 ちらりと振り返ったリュカが顔をひきつらせる。


「追っかけてきてますよ!」


ほうっておけ!」



 路地から飛び出ると、リュカは交差する道の一方を指差した。


「こっちです!」


 そこを走り抜けると、今度は大通りへとたどり着く。


「リュカ、あれを見ろ」


 ルドルフの視線の方向へとリュカが目をやると、通りの先にあるはずの街並みがなくなっていた。

 リュカの記憶では、そこには小さくも上品な噴水があり、馬車や荷車が行き交う活気のある場所だったはずだ。

 今はその面影もない。まるで岩山のようになった瓦礫がれきと、その隙間からちろちろと燃える炎。それらに囲まれて、大きな傷のように深くえぐられた地面があった。

 さらに瓦礫の一部がぽっかりと途切れており、そこから大きな物が王城の方へと街を潰しながら移動した跡。その先には、ここからでも見える巨大な影がそびえている。


「止まれ! 貴様ら!」


 居丈高いたけだかな声が投げつけられた。

 どこに隠れていたのか、灰色の揃いの軍服を来た一団が二人を見つけ、通りの中心にバラバラと駆け寄ってくる。


「スタンリー家の私兵です」


 リュカが小声でルドルフに教えた。


「ん? 貴様、その格好かっこう近衛騎士このえきしか」


 私兵のリーダー格らしき男がリュカを見て言った。

 リュカはわざとらしく自分の服装を見下ろして、その上着の後ろの長い裾を片手でまみ上げた。


「この服、目立ちますよねー?」


「ヘラヘラとふざけおって……耳長みみなが亜人あじんめが」


「またその言葉ですか……。俺はあんまり気にしない方ですけど、こうも立て続けに聞かされると、ちょっとね」


 リュカは苦笑いを浮かべて呟くと、今度は少し大きな声で男に向かって言う。


「ここは危ないから早く避難したほうがいいですよ。でないと……」


 私兵達の後方で悲鳴が上がり、同時に二、三人が弾き飛ばされた。


「何だコイツは!?」

「い、犬の亜人!? 止ま、グッ!」

「う、うわ! お、おれは犬が苦手で……」


「ほらもう、追いつかれちゃったじゃないですか」


 リュカは肩をすくめた。

 ルドルフは両腕を組んで私兵達の中で暴れ回るコボルトを観察する。


 怒りで興奮しているコボルトは多少の痛みなど物ともせずに種族特有のバネを活かして一瞬で間合いを詰めてくる。しかもそれだけの動きを繰り返しておいて、いまだに疲労の色を見せていない。

 私兵達も素人しろうとではないはずだが、不意を突かれたことと、目の前にいるルドルフ達と後ろから乱入してきたコボルトのどちらに対処するのか咄嗟とっさの判断が遅れたこととで、完全に混乱してしまっている。戦闘中にこうなると集団を立て直すのは難しい。


「……コボルトの俊敏さと持久力はあなどれんな。あいつが強い個体なのかもしれんが、あいつを襲撃した異種族狩りの連中はよっぽど悪運が強い。元々は温厚な奴なんだろう」


「感心してる場合じゃないです。ほら、コッチに来た!」


「相手はできん。行くぞ」



 走り出した二人とそれを追うコボルトを私兵達は呆然と見ていたが、リーダー格の男が真っ先に我に返り、他の者を怒鳴りつけた。


「何をぼさっと見ておるか! 奴らを勝手に行かせるな! 追え!」

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