Ⅲ-XII
モノは逃げ惑う人々の流れに逆らうようにして走った。
何度か突き飛ばされもしたが、逆に親切な者からは「そっちは危ないよ!」と何度か注意を受けた。しかし、そういった人達も見知らぬ少女を助ける余裕などあるはずもなく、ただ心配と諦めを顔に浮かべて、すぐに背中を向けるのだった。
「危ねえぞ!」
エムロードの声に走る足を止めると、目の前に炎に包まれた黒い柱が倒れてきた。
モノはほうっと息を吐くと、額を流れて目に入りそうになった汗を拭った。
柱を避け、これまで走り抜けてきた道を出ると、先日カイに連れてこられた大通りに出た。
今は見える範囲に人影はない。みんな逃げてしまったのだろうか。道端に放置されている見覚えのある屋台に炎の壁が迫っていた。
「……この火、魔法じゃない」
モノが呟くと、エムロードが答える。
「人間が火をかけたんだろ。火攻めだ、火攻め」
「攻めるって、騎士団……? 自分達の守る王都にそんなことするの?」
「騎士じゃなくてもいるだろ。何とかいう奴の私兵じゃねえのか。城に入って来た
「……火が強いから、このまま走ったんじゃ抜けられそうにないね」
「たぶん、この先が一番火が強いな。そこを抜ければ燃えてねえだろ。騎士か私兵か、いずれにせよ敵は控えてるだろうが」
「どうして?」
「これから王都を押さえとくのに、全部焼き払っちまったら得るもんがなくなるからな。少なくとも、この火をかけた奴らからしたら一番損害のない場所を焼き討ちしてるつもりなんだろうさ」
モノは炎に包まれる下町を振り返った。
「いらないってこと? どうして?」
「余計なこと考えんな。何のために俺様がここまで付き合ってやってると思ってんだ」
「……うん」
モノは杖を握りなおし、藍色の瞳で
「ごめんなさい、エムロード。貴方を一人にしてしまうことになるけれど、それでも私はこのまま、生きているって言えるのかどうかもわからないまま、
「じゃあ、行くしかねえな。
「もう少し目立たずに近付きたかった……」
「仕方ねえだろ。ぎりぎりまで絞れよ。途中で暴走したら俺でも
モノはうなずき、周囲を見回して再び走り出した。召喚をするなら、少しでもひらけた場所が良い。
やがて彼女は通りの交差する場所に出た。馬や荷馬車の交通のために円形に作られたその場所は、中央に小さな噴水があり、この火による熱気の中でも
モノは交差点に進み出て、両手で持った杖の先端を地面に当てた。
両目を
彼女が被っていたフードが風にあおられるように、ふわりと肩に落ちた。
モノの額の紋様が輝き始める。
それはルドルフが船の上で見たときよりも何倍も強い光を放っていた。
地面が揺れ、煤に汚れた白い石畳に亀裂が走る。
モノが立っている場所が隆起し始めていた。
地面の表層を覆っていた石畳が弾け飛び、石造りの噴水が傾く。白い石を積み上げて造られた噴水の外周が砕けて、周囲に水が広がった。
土の巨人が立ち上がる。
歪んだ地面に押し上げられた民家が、子供の積み木のようにガラガラと崩れた。
モノは
「行け」
モノが命じると、土くれの巨人は鈍重な一歩を踏み出した。
その一歩はモノの十歩分にも相当したが、一足ごとに石畳を割り、周囲の建築物を歪め、炎と同様に街を
炎の壁を越え、火勢の弱まった街並みのさらに前方、広くなった場所に武装した一団が
モノが知る騎士団の制服ではなく、灰色の地味だが機能的な揃いの服を着ている。スタンリー家の私兵だろうが、モノには彼らが真実そうなのかを識別する知識はない。
彼らは、突如街中から立ち上がった土の塊に息を呑んで固まっていたが、自分達のいる広場の目の前にある民家が巨大な足に蹴り飛ばされ、自分達の周囲に
おそらく、
モノはどこか
彼らはきっと、この街に
エムロードの言ったとおり、ここから先は街に火の手が回っていない。
「モノ!」
エムロードの警告と同時に彼女に向かって飛んできた火の玉が、彼女の腕の長さの距離で弾けて
その飛んできた方を見ると、暗い夜空の背景に、黒いローブをはためかせて小柄な人影が浮かんでいた。
「やるね」
少年の声がした。
顔はフードの奥に隠れて見えないが、そこから発せられる視線は氷のようだ。
そこから感じる悪意に、モノはこの大陸に着いてからずっと抱えてきた違和感の正体が現れたことを知った。
きっとそれは向こうも同じだろう。自分が
「貴方は誰? 理由は知らないけれど、私達の邪魔をしないで」
モノが言うと、フードの下から乾いた笑い声が返ってきた。
「僕もアンタなんか知らないよ。お
「…………」
「サフィール、てめぇがいたのかよ」
答えないモノの代わりのように、
サフィールと呼びかけられた少年は黒いローブに包まれた首を横に傾げ、すぐにフードの下でケラケラと笑い始めた。
彼は笑いながら、まるで拍手でもするように激しく手を打ち鳴らした。
「エムロード! やっぱりお前の気配だったんだね!
少年はハアッと息を吐いて笑いを収めた。
「……ま、それはいいや。いい事だ。僕にとって重要なのはお前がそっち側にいるってことなんだからさ」
「僕らは精霊の影。そういったもの。争う運命の合わせ鏡だ。お前が封印されて石コロになっていようと……そう、互いが存在する限りは戦い続ける。だから嬉しいよ。お前自身が残っていてくれて。僕を覚えていてくれて。これでまた――僕らは戦える。役者は揃った! 戦おう!」
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