Ⅲ-Ⅹ
ルドルフ達はソニアに言われたとおり地下の抜け道を東へと急いでいた。
照明は小さな手燭一つ、
「これは」
早足で先頭を歩いていたヨシノが呟いて足を止めた。
彼女は腕を下げて、小さな燭台で足元を照らす。
土色の床が光を反射してゆらゆらと波打っている。心許ない光で可能な限り奥を照らすと、この先はずっと水が溜まっている様子だった。
おそらく、河に近付くにつれてほんのわずかに通路が傾斜し、下り坂になっているのだと思われた。
水はくるぶし程度の深さしかないが、このまま先に進めばどうなるかはわからない。しかし水が来ているということはフェルナ河にかなり近付いているということでもある。心なし微かに空気が流れ、呼吸が楽になったような気がする。
幸い、それ以上水深が増すことはなく、しばらく歩くうちに、再びヨシノが立ち止まって前方を示した。
「
溜め息混じりにそう言った彼女の視線の先にある半円形に近い形をした出口は、頑丈な太い木材を組み合わせた柵で
柵に近付くと、頬に空気の流れを感じる。
向こう側は今まで歩いてきた抜け道よりも天井が高くなり、どうやら石で
リュカが「道具なしはキツいかな」と言いながら、強度を確かめるように柵に手をかけ揺すろうとしたが、柵はびくともしない。成人男性二人が全力で体当たりしても壊せるようには見えなかった。
「この柵、俺とルドルフ様で何とか破れますかね。ルドルフ様が二人いれば良かったんですけどー」
「俺を何だと思っているんだ。お前も騎士なんだから力はあるだろう」
「あの……、私がやります」
それまで言葉を発することなくついて来ていたモノが、二人の後ろから細い声を出した。
「あ〜、そっか。モノちゃんは魔法使いですか。じゃあ彼女にお願いしてもいいですか?」
リュカが目を細めて笑いながらルドルフを見た。ルドルフはなぜこちらを見る必要があるのかと思ったが、すぐにその理由に思い至る。モノが自称する年齢よりもずっと幼く見えるため、他人には二人の関係は保護者と被保護者としか映らないのだ。これがモノが年相応かそれ以上の見た目ならば男女の関係を
ルドルフがモノの方を見ると、彼女は無言でうなずいた。
それを見ながら、ルドルフはモノが自分から魔法を使おうとするのは、これが二度目であることに気が付いた。
一回目は船の上でワイバーンを撃退した時だ。あれを撃退と呼んでよいものかどうかはわからないが、少なくともワイバーンは彼女の力に呼応して立ち去ったように見えた。
「破るだけなら大丈夫だと思います」
モノの言葉にこの大陸に着いてすぐの出来事を思い出す。あの時はモノの意思とは無関係に、彼女の杖についている魔石に攻撃されたのだった。あれ以来おとなしくしているので忘れかけていたが、彼女の持つ杖に嵌められたエムロードと呼ばれる翠玉には人格があり、その上なぜだかルドルフに対しては非友好的な感情を持っているらしい。しかし石の好みなどルドルフの思惑の
モノが進み出て、杖の先を柵にかざす。
彼女は小さく口を開き、息を吸った。
「エムロード、お願い」
コツンと軽い音が響き、一瞬後に閃光と同時に急激な風圧が襲いかかる。大量の木屑と
リュカとヨシノがとっさにアルラーシュを庇い、ミリィは短く悲鳴をあげて頭を抱え、濡れるのも構わず水の中に膝をつく。
舞い上がったものが落ち、パシャパシャという周囲の水音がおさまると、先程まであった堅い木の柵は縁にわずかにその跡を残すだけとなっていた。
「……すごい」
騎士二人の腕から抜け出したアルラーシュが
「モノ、ありがとう。それにしても、貴方は一体……」
その時、ズシンと体中に響く大きな振動があった。浅い水面が細かい
ミリィがまたもや情けない悲鳴をあげて、今度はルドルフのマントに
「殿下!」
ヨシノが覆いかぶさるようにして、アルラーシュの頭を抱き込む。
「……
なぜか少女の声が周囲の音の間を縫うようにして、かき消されることなくアルラーシュの耳に届いた。
アルラーシュはヨシノの腕の下から、自分と向かい合って立っていた少女が
「モノ!!」
ルドルフとアルラーシュの声が重なる。
草色のローブはすぐに闇に溶け、その闇の向こうから、ルドルフには覚えのある好戦的な声が遠ざかりながら聞こえてきた。声は
「エムロード!」
ルドルフは声の主を呼んだ。
「モノ! エムロード! 待て!」
ルドルフの声は闇の中を反響して、きっと少女と杖にも届いたはずだったが、それに応える声はなく、エムロードの声の残響もすぐに遠ざかり消えていった。
「モノ!」
ルドルフは破れた柵を乗り越えて隧道の奥に向かって再び呼んだ。
「ルドルフ!」
アルラーシュが後ろから呼びかけた。
「早く、早く彼女を追おう!」
「しかし殿下。今はそのような場合では……」
ヨシノが異を唱えた。
「出口に向かったのなら方向は同じだ。たとえ魔法が使えようと、彼女のような子供を一人で行かせるわけにはいかない。急いで追うぞ」
「わかりました。ただし、これ以上は無理と私が判断すれば、あの
ヨシノは答え、次にルドルフに向かって口調を変えて言った。
「アインハード、わかっているだろうな」
「……ああ、恩に着る」
ルドルフについて走りながら、ミリィが上目遣いに彼を見上げて口を開いた。
「あ、あのぉ、さっきなんですけど、モノさん以外の声してましたよね? 男の人みたいな。アレって……?」
ルドルフは答えなかったが、リュカが後ろから声を出した。
「そんなものより、もっとヤバそうな気配を感じますけどねー。皆さん、ひょっとしてわかんないんですか? 俺だけ? めっちゃゾワゾワするんですけど」
そうやって走っていく間にも、不定期に大きな物が倒れるような音と揺れが続いていた。今ルドルフ達が走っているのは
「殿下、出口が見えました。お気をつけて」
先頭を行くヨシノの言葉でアルラーシュが視線を上げると、確かに前方にほんのりと明るく出口が浮かびあがって見えた。
「……?」
アルラーシュは走りながら内心で首を傾げる。
明るい。なぜ明るいのか。
祝祭の夜とはいえ、すでに熱狂は過ぎ去っている。
誰かが待ち構えている様子もないのに、そこが明るく見えるということは、水面が光っているからだ。
水面に街の灯りが映っているのか。それにしては明る過ぎる。
出口に近づくほどに、その橙色の光と聞こえてくる音の持つ暴力の気配が濃くなる。
アルラーシュの少し前を走るヨシノが、その足を緩めることなく自身の腰に
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