Ⅲ-Ⅶ

「思ったよりも早かったな」

 そう言ったエデルは騎士団の精鋭達と共に、玉座の間に入り込んだ敵兵達と対峙していた。


「ずいぶんと手際よく入り込んだものだ」


 睨みつける先には、敵兵の最後方で不遜ふそんに笑う赤毛の青年。オスカー・スタンリーの姿があった。


 ここに至るまでには近衛騎士が率いる騎士団を配置していたが、最も信頼のおける自身の右腕である補佐官のヨシノと、ほぼ専属といってもよいほどに王子と打ち解けていたリュカは、アルラーシュの守護に回る手筈てはずになっていた。彼らなら敵に遅れをとることはあるまい。王子の方へどれほどの兵士をいたのかはわからないが、この時間なら王子はまだ敵側の手には落ちていないはずだ。


 しかし、諸々の条件を考慮したとしても早い。やはり騎士団の中、それも一般の騎士ではなく近衛騎士の中にも何名か敵に通じた者がいたと見える。


――予想よりも早く事を起こしたな。それにしても、王子のための祝祭の夜とは。


 憎たらしい若造め、などとは決して口には出さない。


 スタンリー家の不穏な動きはエデルも察知していたところではあるが、曲がりなりにも女王の夫であり、王子の実の父親の実家にもあたる貴族に対して、表立っての牽制けんせいは難しかった。立場上、スタンリー家そのものよりもフレデリク個人の動きには静観を決め込むよりなかったというのもある。


――せめてもの僥倖ぎょうこうはルドルフの到着が間に合ったことか。あいつが王子を守ってくれれば……。


 エデルと騎士団の背後には、きざはしの上の玉座に平常と変わらぬ様子で腰を下ろす女王シャルザートがいる。女王は先日のルドルフとの謁見の時と同じ表情で、目の前の侵入者を見下ろしていた。先日と異なるのは、彼女の両隣に夫も息子もいないことだ。夫は騎士団と睨み合う敵陣営、その片隅に居心地悪そうに立っていた。


「フレデリクよ。やはり精霊石を動かしたのは其方そなたであったか」


 いっそ場違いなほど落ち着いた女王の声が、凛として玉座の間に響く。

 フレデリクは上目遣いに女王を睨みつけたが、その額には脂汗が噴き出していた。


 器が違う、とエデルは思う。フレデリク自身には大した政治的手腕も肝の太さもない。今も事を起こした張本人とまではいかずとも、この謀反には彼が大きく関わっていることは、この場にいる誰もが察していることだ。それでもまだ開き直ることもできず、半ば兵士達の背後に隠れるようにして佇んでいる。中心で笑みを浮かべているオスカー・スタンリーの方が、敵ながら若輩の身で堂々としていると言わざるを得ない。


「精霊石は人が触れてはならぬもの。その理由は、今あらためて言わずとも、ポートランドを治めるスタンリー家のである其方そなたなら……よく知っているであろう」


 女王の言葉に、フレデリクは言葉を絞り出すようにして口を開いた。


「二十年前に貴様が引き起こした惨事を棚に上げて何を言う。……私のこの二十年間の屈辱が貴様にはわかるまい。この……魔女め」


王配おうはい殿下!」


「よい、エデル。続けさせてやれ」


 フレデリクの罵倒に思わず声をあげたエデルを、女王は言葉だけで押し留め、フレデリクを見つめた。

 しばし沈黙ののち、フレデリクはその視線に屈したように口を開き、震える声を絞るようにして話し始める。


「……二十年、私は貴様からあの惨事を悔いる言葉を一度たりとも聞いたことはない。あの惨事に巻き込まれたのはハグマタナや群島の者ばかりではない。ファキールの、我が領土ポートランドの人間達もだ。あの戦争で死んだ我が国の者は圧倒的に人間が多いのだぞ。ファキールはそもそも人間が建てた人間の国だ。それが前の戦争では自分達では戦いもしないくせに、この大陸に居座る怠惰な亜人あじんどもの盾になったのではないか。真に民を思うというのなら、何よりも領内に住む人間を守るのがファキールを率いる者の義務だ。それがどうだ、戦後のファキールの繁栄をうたいつつも、近年は汚らわしい亜人どもを、この王城に次々と引き入れる始末」


 フレデリクは言葉を止め、ふうと深く呼吸をした。


「――亜人どもには我々人間と違い、この国を憂う心はない。このままではファキールは弱る。だから、だから私は」


 それまでじっとフレデリクの言葉を聞いていた女王はゆっくりと口を開いた。


「それが、真に其方そなたの言葉かどうかは、今この場でたださずにおきましょう」


 フレデリクがおびえたように目を見開いたが、女王は意に介した様子もなく言葉を続ける。


「しかしこれだけは言っておく。誰に何と責められようとも、私は玉座を、この国を、民を投げ出すつもりはない。そしてアルラーシュも。あれは我らが王子。あの子には王たる資格がある。十六年、誰よりも近くにいて、それがわからぬ其方そなたではあるまい」


「……ア、アルラーシュは」

 フレデリクはぐっと口元を歪めて、大量の汗を浮かべた顔を下に向けた。


「失礼。もうそのあたりでお許しいただきたい。叔父上が苦しまれる姿、身内として見るに忍びません」


 声を出したのは、それまで成り行きを静観していたオスカー・スタンリーだった。


「オスカー……」

 弱々しくフレデリクは甥を見た。その様子にオスカーは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「おいたわしいことです。叔父上。しかし、やはり陛下は貴方の心の痛みなど露ほどもかえりみられはしないのです。も、いえ、現在貴方を苦しめているものすらも、何もご存じない。知ろうともされていない」


「スタンリー卿、陛下は貴殿の発言までは許可されていない。控えられよ」


 エデルが睨みつけたが、オスカーは軽く肩をすくめた。


「なるほど、見上げた忠誠心ですね、騎士団長殿。しかし貴方は叔父の苦しみの原因、その一端を知っているはずですよ。陛下はともかくとして、貴族達の噂が貴方の耳に入らぬはずがないのですから」


「オ、オスカー……、私、私は」

 フレデリクは縋るようにオスカーを見る。彼の中にはまだ葛藤があるようだった。

「今更でしょう、叔父上。いっそ、この場にいる全員に聞かせてやればよいのです。アルラーシュ殿下の本当の父親は誰なのかという、貴族の間では有名な噂です。真偽を確かめるすべもなく、叔父上は周囲に味方のない城の中で、長い間お一人でその屈辱を耐え忍んでおられたのでしょう」


 オスカーは剃刀かみそりのように冷酷な形をした薄い唇の両端を上げた。


「二十年前のあの時に精霊暴走に居合わせ、王女であった陛下と出会い忠誠を誓った若き騎士。彼はその後、有能さと忠誠を買われてファキーリアを護衛する騎士団へと取り立てられ、王城にて数年越しに女王と再会した。……物語ならば美しいのですがね。この噂が耳に入るたび、そうしてげんに陛下が何事につけても貴方を頼る姿を近くで見せられるたび、叔父上はずっと苦しんでおられたのです。この噂を貴方はご存知であったはずだと申し上げているのです、エデル騎士団長殿。その真偽について、貴方には明らかにする責任があったのではないですか?」


 エデルは冷たい光を瞳に宿し、オスカーを見下ろすようにわずかに目を細めた。この若い貴族が、ことを百も承知で自分を挑発していることはわかっている。


「噂は噂に過ぎぬ。そのような妄言で陛下のお耳を穢すは佞臣ねいしんのすること。騎士のすることではない。陛下のみならず王子殿下に対しても不敬が過ぎる。よもやゆるされるとは思っておるまいな、オスカー・スタンリー」


 エデルがオスカーを呼び捨てると同時に、騎士達が侵入者達に向けて剣を構えた。


「陛下、しばし御前ごぜんを騒がせます。お召し物がけがれるやもしれませぬ故、今少しお退がりください」


 女王は黄金の睫毛に縁取られた瞳を細め、ゆったりと玉座の椅子に背を預けた。


「ここでよい。……其方そなた自身の話は終わりか? フレデリク」


 フレデリクは白い手袋に包まれた指先を戦慄わななかせただけで、もう視線を上げることはなかった。


「よろしい。――……では、騎士達よ」

 女王の声が振り下ろされたつちのように響いた。


はげみなさい」

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