Ⅲ-Ⅷ

 図書館の建物が夜の中に黒々と佇んでいる。


 図書館の中も灯りは消されており、真っ暗だった。

「こちらです。この奥へ」

 ヨシノに案内され進んだ先は、一昨日ルドルフとモノがソニアと話をした閲覧室だった。


 重たい扉を開けて部屋に入ると、暖かく丸い、小さな光があった。今まで暗い中を走り抜けてきたアルラーシュは思わず目を細める。


「お待ちしておりました」

「ソニア!」


 そこにはソニアが小さな手燭を持って立っていた。

 アルラーシュの声を聞いた彼女はふっと力を抜くように口元を緩めたが、その瞳は固く緊張したままだった。


「王子、ご無事で何よりです。さあ、急ぎましょう」


 髪の色と同じオレンジ色の小さな丸い光を抱えて、彼女は旅人を導く妖精のように歩き始める。彼女は右手に手燭を持ち、左手には赤い石のついた杖を持っていた。


 ふわふわと揺れる灯りだけを頼りに、一行は図書館の奥へと向かう。

「こっちです」

 ソニアの案内で書庫を抜け、さらに奥の扉をくぐり、さらに暗い通路を進んでいく。

「こんな場所があったんですね」

 リュカが関心したように呟いた。

「俺、図書館なんか来たことなかったなー。この建物って地下もあるんですか?」

「ええ。まだ地下ではありませんが、ここは閉架ですから、研究目的の者でなければめったに入ることはありません」

 ソニアが答えた。


「あれ?」


 場違いな声をあげたのはミリィだった。彼女は通路の壁にある、明かり採りと通気口を兼ねた細長い隙間のような窓に駆け寄る。自然と全員の足が止まった。


「どうした? ミリィ」


 ルドルフは細長い窓に顔を押し付けているミリィに尋ねる。


「この建物に向かってくる人達がいます」

「何?」

 ルドルフもミリィの頭の上から窓をのぞいたが、薄く雲のかかった月の出る夜空に立ち昇る煙の影がかろうじて見える程度で、闇に溶けた建物の下部に人影を確認することは不可能だった。


「騎士様達と同じ格好ですよ! 助けに来てくれたのかも!」


 一方、ミリィにははっきりと見えているらしく、少女特有の高い声に喜色が混じる。

 しかし、それを聞いたヨシノがミリィの楽観を打ち消すように言った。


「いや、それは妙だ。騎士団の者にはそれぞれ持ち場がある」

「一応、さっき扉に鍵を掛けましたから、すぐには入ってこられないと思いますけれど……」

 ソニアはそう言ったが、その眉は不安そうにひそめられていた。ヨシノは小さくうなずき、ソニアを促した。

「それでも稼げて数分といったところでしょう。とにかく急ぎましょう、ソニア博士」


 ひんやりとした石造りの狭い廊下を通り、一枚の鉄の扉の前に立つと、ソニアは杖を持ったまま、ローブの右の袖口から鍵束を取り出した。

 鍵穴に鍵を差し込んで回し、鉄扉の取っ手を押しながら、彼女は首を傾げた。焦ったようにガチャガチャと鍵を鳴らす。


「……動かないわ。普段使わないから錆びついたのかしら」

「俺がやってみよう」

 ルドルフが取っ手を持ち、下に押し込むとごりごりと音がして取っ手が動いた。


「開いたぞ」

「……やだ、貴方どんな力してるの?」

「これしか取り柄がない、すまんな」

「王子に力ずくで扉を開ける方法とか、そんなこと教えないでくださいね。……でも、こうなった以上、貴方のような人が王子のそばにいてくださるのは心強いわ。勝手を言うようだけれど」


 鉄扉の向こうは小部屋になっていた。狭い部屋の中に粗末な木の机と椅子が置かれている。木の机の上には小さなランプが一つあった。調べものをする部屋だろうか。


 部屋の奥に進んだソニアの足元の床の石畳が、一部四角く切り取られており、そこにふたをするように石板がはまっている。


「ここから古い地下道へと降りられますわ。昔からある城の抜け道らしいのです。降りたら東西に道がのびていますので、東にお進みください。古くて整備も行き届いておりませんので歩きにくいでしょうし、少し距離もありますが、王都ファキーリアの東側を流れるフェルナ河の近くまで出られるはずですから」


 ソニアは杖の先端を石板に当てて、息を吸って精神を集中させる。石板に刻まれた文字の上を火が走り、見えない指でなぞられたように光った。続けて、石板が横に滑るように動き、その下にぽっかりと黒い穴が口を開ける。


「さあ、お急ぎになって」

 ソニアはそう言ってヨシノに何かを手渡した。

「ヨシノさん、念のためにこれを。方位磁石と予備の灯りです」

「……さすがソニア博士。準備に抜かりがありませんね」

 ヨシノが微笑んで、すぐに笑顔をおさめて一同を見た。


「私がまず降りる。安全が確認出来たら合図をするから続いてくれ」



 ヨシノに続いてリュカ、ミリィ、モノが降りた。

 アルラーシュは穴に降りかけて、床に腕をかけてソニアを見上げた。


「ソニアも一緒に行こう。ここは安全ではないだろう」

「わたくしなら大丈夫ですわ。わたくしは兵士ではありませんから、殺されたりはしないでしょう。こう見えて魔法の心得もあります。それよりもここの資料や研究成果を置いていくほうが心配です」

「でも」

「王子、わたくしは王子の家庭教師ですよ? 生徒は先生の言うことをきくものです」

「……わかった。でも無茶はしないと約束してくれ」

「ええ、お約束いたします」


 アルラーシュの金色の頭が消えるのを確認して、最後に残ったルドルフはソニアに声をかけた。


「本当に、いいのか?」

 それを聞いて、ソニアはつんと横を向く。

「当然です。それに、わたくしがこちらから封印しなければ、誰がこの抜け穴を隠すんです? こう見えて、騎士団長閣下には信頼していただいているんです。あのかたのご期待にこたえてみせます」

「……そうか」

 ルドルフは穴に体を滑り込ませる。

「くれぐれも、王子をよろしくお願いいたします」

 頭上からソニアの小さな声が降り注ぐように耳に届いた。

 下に降りて見上げたが、すでに天井は闇に溶けていて、ソニアの顔を見ることはできなかった。



 手燭を持ったヨシノがソニアから渡された方位磁石を確認する。

「東はこっちだな。行こう」

 抜け道はソニアが言ったとおり前後に伸びている。天井や壁は坑木こうぼくで固められているが、下は固く湿ったむき出しの土だった。一行が降りてきた縦穴以外は、かろうじてルドルフが頭をぶつけずに立てるくらいの高さがある。もちろん真っ直ぐではないから場所によっては屈みながら進む必要があるだろう。

 小さな明かりが届く範囲は狭く、その円の外は真の闇だ。空気は淀んでおり、かび臭い。湿った坑木の表面がてらてらと心許ない灯りを映す。それでもヨシノの持つ手燭が消える気配もなく、特に息苦しさもないので、どこかに続いていることは確かであった。


「ソニア博士はフェルナ河に出るって言ってましたけど、そこからどうします?」


 一行が歩き始めるとリュカがヨシノに尋ねた。狭い坑内だが、反響するほどの声量ではない。


「出てみるまでは街の様子も王都周辺の様子もわからないから何とも言えん。しかし城にはエデル様が残っておられる。そう簡単に王城は落ちない。きっと陛下もご無事だ」


「そうですよねー。案外早く戻れるかもしれませんし、ちゃっちゃと河まで行っちゃいましょう。ね、王子」


 リュカはそう言って、アルラーシュの肩を優しく叩く。ヨシノはそれをちらりと見たが怒鳴りつけたりはしなかった。

 ソニアと別れた後、彼女の身を案じているのか、暗い表情になっていたアルラーシュが眉間を少し開いた。


「……二人の言うとおりだ。母上も……、ああ、それに父上も、きっと、きっと私が心配するようなことなどない。今は進もう」


 彼の言葉にヨシノは返事をせず、手に持った小さな明かりを少し持ち上げて、ただ目の前の暗闇を少しでも払うことに意識を向けた。

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