Ⅲ-Ⅲ.

 翌朝、ルドルフが簡単に身支度を整え、寝室から出た時、台所と食事室が一つになった共用の場所にはモノの姿はなかった。彼女が使っている寝室の扉は閉まっており、起きている気配はなく静かなものだ。一瞬声を掛けようかと思ったがやめておくことにした。


 昨日、ソニアの話を聞いた後、モノは少し気落ちしているように見えた。

 朝食用のパンを切りながら昨日の話を思い返してみても、ルドルフにはモノが落ち込む理由がよくわからない。


 王家は精霊石とよばれる特別な魔石を所持しており、それには火の大精霊が宿っているとされている。その石は人が用いてはならぬものと言われていたが、二十年前にシャルザートは、それをハグマタナ新帝国との戦争で使用した。その時、その強大な力を制御しきれず大規模な精霊暴走を引き起こし、多くの犠牲者を出した。

 言い伝えには精霊石を人が用いてはならぬというが、その報いはとうに受けているのではないか。


――モノは火の大精霊について知りたがっていた。


 気落ちしているということは、彼女が探している相手は見つからない可能性が高まったのか。ソニアの話の中にそれを示唆する内容が含まれていたのだろうか。


――だとすると、モノが探しているのは……。


 モノが探しているのは、大精霊の力を制御できる人物、あるいは大精霊の力を正しく引き出すことができる人物ということになりはしないか。モノが女王シャルザートには関心がないように見えるのは、彼女が一度制御に失敗したからなのか。


 そうでなければ、火の大精霊そのもの。もしくはそれが宿るとされる精霊石を探している……?


――それはいくら何でも考え過ぎか。


 ルドルフは自分の思い付きを振り払う。そもそも、あんな少女がそのような大それた人や物を探す理由がわからない。

 立ったままパンを口に押し込み、水を飲むと、モノには声をかけないまま、ルドルフは建物を出た。




 早朝の訓練場に硬い木のぶつかる音が響く。

 ルドルフは練習用の標準的な長さのウッドソード。それに対するアルラーシュ王子は自身の身長よりも長い棒を構えていた。

 ルドルフが打ち込む打撃を棒で払い、また素早く構える。基本的な防御の型の繰り返しだ。

 王子の基本の構えはいずれもくせがなく、まさに手本どおりだった。きっとこれまでもエデルをはじめとした近衛騎士の面々に丁寧に教えられ、また王子も素直にその教えを受け入れて日々訓練を重ねてきたのだろう。

 エデルが目をかけるはずだ。


「少し休憩にしましょう」

 ルドルフが声をかけると、アルラーシュは構えを解いた。


「ルドルフ」

「はい」

「私に敬語を使わないでくれと言ったはずだが」

「…………」

 実は稽古の初日にルドルフはアルラーシュからそう言われていた。

「そうはいきません、王子。エデル騎士団長に叱られてしまいます」

「そのエデルに聞いたんだ。ルドルフも昔、エデルに剣を教わったのだろう」


 孤児となったルドルフを保護したエデルは、剣術を基礎からルドルフに教えた。しかし、それは遠からず一人で生きていかねばならない子供に生きる術を教えただけのことだ。だからルドルフは剣士であって騎士ではない。


「そうですが、それが何か」

「ならば貴方は私の兄弟子であり、さらに今は私の師だ。それに貴方は城の家臣ではない。失礼かもしれないが異国からの客人でもある。敬語は必要ないだろう」

 アルラーシュはそう言って明るく笑う。その屈託のなさは、愛されて育った者の証だ。


「わかった」

 ルドルフは口角を上げた。それを見てアルラーシュの顔が輝く。

「ただし一つだけ条件がある。他に誰もいない場所でなら、ということだ。俺も不敬罪でしょっぴかれたくはない」

「ありがとう。では、私のことはアルと呼んでくれ。前から呼ばれてみたかったんだ」

 アルラーシュはそう言って、訓練場の端にある花壇の縁に飛び乗るようにして腰をおろした。


 彼は自分の武器である棒をしげしげと見つめる。今は練習用の無垢材の棒だが、本来は彼専用の朱塗りに金属の覆いのついたものが用意されている。


「ルドルフ、今度私に剣を教えてくれないか」


「それはできないな」

 ルドルフはにべもなく言った。

「なぜ? エデルもリュカも、他の騎士や兵士達も剣を使う。武官達だけじゃなく、従兄のオスカーも元貴族の父上もだ。それにいざというときは剣の方が殺傷力も高いだろう」


「剣や弓矢は、王者が手にする武器ではない」


「そういうものなのか? よくわからないが、皆が剣を持ち戦う時に、私が今のままで良いとは思えないのだが……」


「今はそれでいい。いずれわかる時がくる」


 そう答えて、ルドルフはふと思いついた疑問を口にした。

「そう言えば、リュカには敬語をやめろとは言わなかったのか? あいつなら喜んでやめそうだが」

「言ったよ。近衛騎士の中ではリュカが一番話しやすいからね。でも断られてしまった」

「ほう、意外だな」


「リュカは騎士の立場があるから。自分が悪く言われるだけならいいけれど、私やエデルが誰かに叱られる姿は見たくないそうだ」


「なるほどな」

 ルドルフは納得したようにうなずいた。

「何がなるほどなんだい? ルドルフ」

「エデルがリュカを近衛騎士として置き続ける理由がわかった」


「そうだな。私もリュカは好きだ。人間の騎士と違って、私に遠慮のない所がいい。エルフは皆あんな感じなのだろうか。私はリュカ以外のエルフは知らないんだ」


「俺もそう多く出会ったわけではないが……リュカは一般的なエルフとはだいぶ違うな」


「ファキールでは南の大森林にエルフの住む場所があるという。私の立場ではなかなか難しいのかもしれないが、いつか行ってみたいと思っているんだ。他の国ではどうなんだ?」

「似たようなものだな。エルフ自体は珍しい種族ではないが、あいつらは人間の集まる街にはあまり近寄らない」

「ルドルフがリュカ以外のエルフに会ったのはいつ?」

「エデルと別れて一人で旅をしていた時に死にかけて、たまたま迷い込んだのがエルフの里だったことが一度。あとはクターデンで働いている時に、帝国の首都の近くに住むエルフの使者が来ているのを何度か見かけた」

「一人旅? 死にかけたというのは何があったんだ?」


 その後もアルラーシュからの質問は続いた。あまり城から出たことのない若い王子には、旅の話も異国の話も、お伽噺か伝説の冒険譚のように聞こえるらしい。

 稽古の時間が終わる時には「ぜひまた話を聞かせてくれ」と爽やかに念を押されたのだった。

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