Ⅲ-Ⅱ.

「二十年前のハグマタナ新帝国と我がファキール王国の戦争は、当初の戦況は我が国の不利だったのだそうです。今のシャルザート陛下の父親である当時の王が暗殺されたことが発端となり、シャルザート陛下を推す一派と、王の弟でシャルザート陛下の叔父にあたる人物を推す一派とで王家は内部分裂の様相を呈していたといいます。王族だけでなく貴族達もそれぞれの派閥に分かれ、政情はボロボロだった。そこにつけこむ形でハグマタナの侵攻が始まったのです」


 三人はソニアの案内で図書館の閲覧室に入り、一つのテーブルを挟んで座っていた。図書館と言っても公のものではなく、城内に造られた文書館兼研究施設と呼ぶほうが正しい施設だ。三人の他には閲覧者などもいない。


 ソニアは深く溜め息をついた。

「当時、まだ十六歳の王女だったシャルザート陛下が背負われた重圧を思うと胸が痛みます。内憂外患とはまさにこのことでしょう。……王女に求められたのは後継者としての正統性を示し、その上で国を勝利に導くことでした。そこで採用された方法が……」

「火の大精霊の力を使うことだったのですか?」

 モノが尋ね、ソニアがうなずいた。


「他の精霊がどのような形で現実世界に存在するのかは知りませんが、ここファキール王国で王家が所持している火の大精霊は、特別な魔石――この国では精霊石と呼んでいますけれど、その紅玉こうぎょくの精霊石に宿るとされ、代々王家に伝えられているものです。いつ、どのような形で王家がそれを手に入れたのか、詳しいことはわかっておりませんが、記録に残されている範囲では、最初から存在が確認できます」


「その石、どう使うものなんだ?」

 ルドルフは尋ねた。

「そんなふうに簡単にかないでくださいます? 仮にも王家の宝物ほうもつですよ」

 ソニアはぴしゃりと言ったが、続けてルドルフの疑問には答える。


「王家の宝物ほうもつの一つですから、王立研究所の研究者にだって、そうそう公開されるものではありません。よって精霊石そのものの研究というのはあまり進んではいませんけれど、単に使い方というのであれば、通常の魔石とそう変わらないという見方が一般的です。

 魔法は魔石を媒体にして精霊の力の一部を取り出して使う技術ですが、取り出す精霊の力の量の調整や、実際に取り出した力を制御するには魔力が必要です。これがうまくいかないと魔法が発動しなかったり、逆に暴発を招くことになります。理論的には、質の良い魔石と強い魔力を持つ者が揃えば、より大きな力を引き出すことが可能ですが、力が大きければ大きいほど制御は困難になります。ゆえに魔法使いの修行は、力の制御の訓練に多くの時間をくのです。それともう一つ、魔法使いにとって、自身の魔力の量や制御の技量に合わせた魔石選びは大変重要だということ。それはつまり――」


「つまり、本当に火の大精霊が宿っているかどうかはさておき、その精霊石と呼ばれている紅玉は “ 質の良い魔石 ” であることは間違いないというわけだな。大きいものなのか?」

 ルドルフはなかば強引にソニアの余談をさえぎった。このソニアという人物は、どうやら自分の研究領域のことになると周囲が見えなくなるらしい。


「……わたくしは直接見たことはありませんが、記録に記されている寸法のとおりなのだとすれば、このくらい」

 ソニアは両手で何か筒状の物を抱えるような形を作ってみせた。普通の人間のこぶしくらいだろうか。仮にただの宝石だとしてもかなり大きなものだ。王家の宝としての価値は十分あるだろう。


「それを」

 小さな声でモノが言った。

「それを実際に使ったのは、誰ですか? 王宮の魔法使いの誰かでしょうか?」


 ソニアはモノの目を見て、すっと首を横に振った。


「使用者はシャルザート陛下、いえ当時のシャルザート王女ご本人です」

「王女本人?」

 ルドルフが言った。


「王女本人が戦場に出ていたというのか?」


「ただ精霊石を使うだけでは正統性を示す効果は薄いと考えられたのでしょうね。王女自ら戦場に出向き、そこで精霊の力をもって敵の艦隊を焼き払うという計画が立てられたのだそうです。そのための護衛の部隊も編成されたといいますから、結果として巻き込まれた部隊の分、損害は増えたのではないかと言われています」

「あの戦場に、いたのか……二十年前に」

 ルドルフは呟いた。耳の奥に先日謁見した女王の声が甦り、瞳の裏側にはあの日の光景が浮かび上がる。しかし、すぐにソニアの声がルドルフを現実に引き戻した。


「精霊の力を制御することができず暴走を引き起こしたものの、ハグマタナの水軍にも壊滅的な打撃を与えることができました。これをきっかけに形勢は逆転し、戦争は我が国の勝利に終わった。その後は即位されたシャルザート陛下のもとファキール王国はめざましい復興をとげ、今に至ります」

 ふう、とソニアは肩の力を抜いた。

 モノの表情はフードの陰で少し沈んでいるように見えた。

「ソニアさん」

「何かしら」

「その精霊石が王家の宝なら、それは今もこの城にあるのですか?」

「ええ、そうね。正確な在処ありかはわたくしも知りませんけれど。そもそも……」

 そこまで言って、ソニアは言葉を切った。

「何だ?」

 ルドルフは視線を上げてソニアの薄茶色の目を見た。

 ソニアはそれまでの学者然とした態度から変わり、少し控えめな声で言う。


「いえ、でもこれはわたくしの個人的な思いなのだけれど、きっと……陛下はあの時に失ったあらゆるもののことを忘れてはいらっしゃらないと思うの。二十年前の決断が過ちだったかどうかなんて、誰にも判断できない。何かをやるにしてもやらないにしても、誰かが決断しなければならなかったでしょう。だから陛下はきっと二十年前に全てを覚悟なさったはず。多くの人々から恨まれ、その責任を負い続けることを」


「……女王と王位を争ったという先王の弟はどうなった?」


 ソニアはすうっと息を吸い、吐息と一緒に答えた。

「戦争に勝利したことでシャルザート陛下の即位を望む声が大きくなり、貴族院での正式な決定が下る前日の夜、お屋敷にて自害なさったそうです」


「と、いうことになっているのか。まったく……どこも変わらんな」

 ルドルフが言うとソニアは細い眉を逆立てて彼を睨みつけたが、何かを言い返しはしなかった。


「あの、ソニアさん、その精霊石は本当にここに……?」

 モノが困ったように再びソニアに尋ねた。その小さな体から、何やら落ち着かない雰囲気を漂わせている。


「だからね、わたくしも正確なところはわからないの。戦後、陛下は精霊石を誰かが持ち出すことができないようにご自身の近くに保管なさることを決められたというのだけれど、陛下のやり方に反発している者達にとっては、それすら色々と攻撃する口実になってしまっていたから」

「攻撃の口実? 何だそれは」

「王家には、精霊石と一緒に伝わっている言葉があるのです」

 ソニアは一呼吸をおいて、声を落とした。


「精霊石は決して人が用いてはならない。もし用いれば国が滅ぶ。――シャルザート陛下の即位を歓迎しない勢力にとっては、格好の材料よね」


 ルドルフの横でモノが体を固くしたのがわかった。


「ずいぶんと仰々しい脅しだと言いたいところだが、しかし、実際に大規模な精霊暴走は起きた。あれは国一つ滅ぼしかねん。…………たまたま状況として、使った場所が辺境の海だったというだけのことだろう」

「そうね。わたくしもそう思います。戦後、巻き込まれた群島国家への賠償金は支払われたそうですが、それで失われたものが全て返るわけではありませんもの」

「…………」

「……精霊石の話でしたね。言ったとおり、詳しいことはわかっていないのだけれど、本来は人が使ってはならないものとされています。政治に直接介入はしないまでも、現在は同盟関係にあるエルフ達の中にも、二十年前の精霊石の使用についてはいまだに否定的な考えを持つ者が多いわね。彼らにはそういうことを重要視する文化があるから」


 ソニアは椅子の背に体を軽く預けて、右手を頬に当てた。


「以前、研究のためにエルフの魔法使いと話をする機会がありました。そのエルフが言うには『精霊は力の使用者を選ぶ』と。確かに小さな魔法であれ、使用するには精霊との相性が重要になりますから、そのエルフの言ったことも理解できます。つまり、王家はあくまで精霊石の管理人に過ぎないのだと、そのエルフは言っていました」

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