第3章 王都炎上

Ⅲ-Ⅰ.

 アルラーシュ王子の十六歳の誕生日を祝う祭を二日後に控え、ファキーリアの街はにぎやかさを増し、城内もどことなく華やかな空気が漂っている。事実、ファキール国内の貴族達が祝祭のために訪れており、女王や王子への挨拶が途切れることなく続いていた。


「……ああいうの見ると、人間の王族って大変だなあって思いますね」

 騎士服に身を包んだリュカがのんびりと言った。

「私語は慎め」

 同じく騎士服を来たヨシノは顔を前に向けたまま厳しい調子で囁いた。


 今も、二人の目の前では燃えるような赤毛の若い貴族がアルラーシュと話をしていた。

「オスカー、久し振りだな。伯父上と伯母上はお元気か」

「ありがとうございます。このたびは私が名代みょうだいとして参りました。祝祭後の警備にもおともいたしますので、しばらくは離宮をお借りしております」

 離宮というのはファキーリアの中にある迎賓館のことである。

「ところで、コルネリア様はいらっしゃらないとお聞きしたのですが……」

「ああ、ネリーか」

 アルラーシュは妹に手を焼く兄のような笑顔を浮かべた。

「メクレンバーグ公の領内にある鉱山の様子がおかしいとドワーフ達から報告があって、持病をお持ちのメクレンバーグ公に代わって彼女が視察に行くことになったそうだ。が、何、きっとそれは口実だ。今ここに来れば私の婚約者として公に発表されるようなものだからね。彼女には我慢ならないんだよ。私を嫌っているから」

「殿下を拒絶する女性が実在するかどうかの議論はさておき、ドワーフどものところへですか……。あのような集団、近付くだけでも大抵のご令嬢は嫌がるでしょうに、さすがはメクレンバーグ公鉱山公のご息女ですね」


 二人を遠目に見ながら、リュカが口元だけを動かして喋る。

「俺、オスカー様って苦手なんですよねー」

「リュカ、貴様な……」

「フレデリク様のご実家の跡取り息子で、王子とは従兄弟いとこ同士。でも全然似てないし、王子と違って俺に向ける視線が何だか冷たいし」

「……気にし過ぎだ。貴様に冷たい視線を向けるのはオスカー様だけではないだろう。それが嫌なら少しは騎士らしく振る舞ったらどうだ。貴様のせいで迷惑をこうむるのはエデル様だぞ」

「ちぇー、わかりましたよ。ヨシノ騎士団長補佐殿」

 リュカはぶつぶつ言いながら唇をとがらせた。


 ヨシノはリュカをたしなめたものの、オスカー・スタンリーが苦手だという彼の気持ちはよく理解していた。そもそもスタンリー家は政治的には他の部族や種族を排斥する立場をとっている。家の政治的な立場と個人の思想はまた少し違うものかもしれないが、少なくともオスカー・スタンリーに限っては一致しているとヨシノは思っていた。異なる種族の者としてリュカはそれを鋭敏に感じ取っているのだろうし、実を言えばヨシノ自身もそうだ。彼女は種族で括れば人間であるが、出身や自身の持つ文化という点において、このファキール王国内では少数派であった。

 王位後継者であるアルラーシュ王子の実質的な婚約者ともくされているコルネリア・シュトレーリッツは鉱山公とも呼ばれるメクレンバーグ公、フェルディナント・シュトレーリッツの一人娘だ。その領地もファキール王国の南部にある。有力貴族というわけではないが、フェルディナントは実直な人柄で有名であり、領内の鉱山に住むドワーフをはじめとした異種族に対してもそれが変わることはないという。

 ファキール王国は、ここ王都ファキーリアよりも南側に行くほど、異種族や他部族の住む土地や街が増える。それは大河をさかのぼるほど地形が複雑になり、険しくなるからだ。深い森やけわしい山は、それ自体が自然の要塞であると同時に発展も阻む。ヨシノは深山にある戦士の村の出身であったし、リュカは――本人はあまり深くは語らないが、やはり南にあるエルフの住む大森林の出身であるらしい。しかし本来エルフは人間よりもずっと長命であり、どちらかと言えば人間の文明をいとう傾向のある種族だ。リュカの性格がエルフの中ではであることは疑いようがないが、何を好んで人間社会で宮仕えをしているのか、ヨシノはその理由を尋ねたことはなかった。他人の心の真実などわからぬことであるし、本人が積極的に語らぬことを詮索する趣味はない。

 ファキール王国の中心をなすファキールとその周辺は、現在ではほぼ統合され、一つの国のていをなしているが、そこには多くの対立と同盟を繰り返してきた歴史がある。今のシャルザート女王の代になり、ヨシノやリュカのような出身の者も実力次第で王城に仕えることができるようになった。それは政策の面ももちろんあるが、何よりも現騎士団長であるエデルの人柄によるところが大きい。しかし、それを快く思わぬ者が未だ多いことも事実である。

 一見華やかな繁栄を見せる太陽の王国にも、小さな影はそこかしこにあるのだとヨシノは思う。もっとも、そんなものがない国などありえないのだが。


「いーなー、ルドルフ様は。こういう堅苦しい場にいなくてもよくて」

「ルドルフ・アインハードは騎士ではない。……リュカ、いい加減にしろ」

 リュカの言葉にはまったくもって同意であったが、ヨシノは彼をたしなめるべく再び小言を口にするのだった。




 王城の北東の一角、白い大理石のホールから続く、横に広い白い階段を上がっていく草色のローブの背中を見つけ、ルドルフは小さく首を傾げた。この先は確か王家の図書館とそれを管理している宮仕えの魔法使い達がいる場所だ。魔法使い達はその能力柄、古文書の解析や魔石の分析なども手がけることが多く、それ故、ある程度の制度が整った国では、学者や司書、祭司などの地位に魔法使いが任じられることは割と一般的だ。


 先日の件でモノは一人での外出を禁じられてしまったため、彼女の人探しは現在手詰まりと言ってよい状態だった。そのことに関してルドルフは若干の責任を感じている。そもそも彼女をこの王城に連れてきたのは彼なのだ。

 勝手に外出をしないようにと告げた時には、それなら出ていくと言われるかとも思ったが、意外にもモノは素直にそれを受け入れた。どうやら今のところ彼女にはファキーリアを離れる意思はないようだ。


 城の中を歩き回ることくらい放っておくかとも思ったが、客人扱いとはいえ、城の中の全ての者がモノを見知っているわけではない。無用の騒ぎを起こす前に自分が出たほうがよいだろう。


 案の定というべきか、階段の上から、何者かの制止の声とモノの声が聞こえてきた。


「ちょっと、何ですか貴方は。貴族の子弟には見えませんが……ここに入ってはいけませんよ」

「エデルさんにお世話になっている者です。あの、知りたいことがあって……」

「エデルさん? ……もしかして騎士団長閣下のことを言っているのかしら?」

「はい」

「そんなことを口頭だけで言われても、ハイそうですかと通すことはできません。どうして貴方のような子供が……ん? 子供? え、え、どういうこと? エデル騎士団長は独身だと伺っていたのだけれど……?」

「どくしん?」

「え?」

「え?」


 ルドルフが階段を上りきると、モノの顔をのぞきこむように上半身をかがめる女性の姿があった。夜空のような濃紺の、ゆったりとしたローブを纏い、毛量の多いオレンジ色の太い三つ編みが背中を半分ほど覆っている。細い銀縁の眼鏡をかけた顔は、ほとんど日に当たらない生活をしていることが察せられるほど生白く、薄茶色の瞳の下の頬にはそばかすが浮いていた。


「すまないが、ちょっといいか」


 何だか話の噛み合っていない感のある二人にルドルフは声をかけた。


「あ、ルドルフ」

「何です、貴方」


 二人は同時に反応する。


「エデルの世話になっているのは俺だ。そっちは俺の連れだ」

「貴方は? ああ、ひょっとして新しく来られた王子の武術師範の方?」

「ルドルフ・アインハードだ。よく知っているな」

「王子から聞きましたの。なんでもエデル騎士団長閣下直々じきじきのご推薦だとか」

 女性はモノの方に向けてかがめていた体を伸ばし、ルドルフに真っ直ぐに向かい合った。


「わたくしはソニア。王立魔石研究所の主席研究員、そしてアルラーシュ王子殿下の家庭教師を務めさせていただいております」


 ソニアは細長い指で銀色の眼鏡の縁を軽く押し上げた。

「それで、貴方のお嬢さんが知りたいことというのは何かしら」

「……俺の娘ではないが」

「え?」

「いや何でもない。それでいい」

 跳ね上がったソニアの眉で面倒ごとの気配を察知して、ルドルフは早々に黙ることを決めた。モノが自称する年よりずっと幼く見えること、そしてそんな彼女と自分が並んでいると大抵の者はその関係を訝しむのだということを、ルドルフは学習していた。


 モノはソニアを見上げる。


「……二十年ほど前に、この国で火の大精霊による暴走が起きたはずです。そのことについて知りたいのです」


「暴走ですって?」


 ソニアがぎょっとした顔をしてモノを見る。

 モノは表情を変えず、ソニアをじっと見上げていた。


「……ここが王家の図書館で、ソニアさんが主席研究員であるならちょうどいいです。詳しい人を探す手間が省けて助かりました。暴走のことでなくても……火の大精霊のことであれば何でもいい。教えてください」


「モノ、なぜお前がそんなことを知る必要がある」


 ルドルフは思わず口をはさんだ。

 二十年前の精霊暴走。それはルドルフの生まれ故郷を、海を島を、家族を奪ったあの戦禍のことだ。暴走による炎はあのを三日三晩焼き続け、ハグマタナとファキールの両軍に大損害を与えたが、結果としてファキールの勝利という形で戦争を終結へと導いた。


「……お前が探している相手というのは、ソニアがそうなのか?」

「いいえ」

 モノは首を横に振った。

「ソニアさんは違います。確かに火の精霊と相性の良い魔法の力を宿していますが、魔法使いです」


「ちょっと待って。急に何を聞くのかと思えば」

 ソニアは片手をあげてモノとルドルフを制する仕草をすると、ふーっと息を吐いた。


「貴方みたいな子供が精霊暴走のことを口にするから、少しびっくりしたけれど、二十年前の暴走については別に秘密ではないから……。国民の間でも知っている人は知っているし、一定の世代以上は覚えている人達も多いわ。私はまだ子供だったけれど、二十年っていうのは人々の記憶が薄れるには短過ぎるしね」

「…………」

 ソニアの言うとおりだ。

 他ならぬルドルフ自身、それで人生を変えられたと言っても過言ではない。そして、そうなった者はルドルフ一人ではないはずである。


「とりあえず、座ってお話をしましょうか」

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