Ⅱ-Ⅲ.
――本格的に迷ってしまった。
モノは歩き続けた足を止め、並ぶ家々の屋根を見上げた。その屋根の向こうに、王都の象徴でもある白亜の城が高くそびえるように見えてはいるのに、歩いても歩いても一向に近付くことができない。
一時間のうちに、同じ形の道と建物を三回も見た。
そう言えば、自分はあまり大きな街を歩いた経験がない。一回だけ、あの暗く冷たい北の果ての街を無我夢中で駆け抜けた時以来だろうか。
ルドルフほどではないが、恵まれた体型の若い男性達が談笑しながら通り過ぎていった。自分にもあのくらいとは言わないまでも、平均的な大人の女性の背丈があれば、街を歩くのもいくらか楽だったかもしれない。
気配の源泉を探って街をうろついてみたが、一向に定まらない。
――この国の南にあるという大霊廟という可能性も……?
何度も自問自答を繰り返す。しかし、モノには「この街だ」という確信めいた予感があった。不安定だが、ここが一番気配が濃い。練った塗料を水に落とした時のように、一番濃い塊からゆらゆらと波紋のように広がる気配。しかし今のモノにわかるのは波紋の揺らぎだけだ。その先に、確かにいるのに。
精霊の属性は反発し合い、世界の均衡を保つ。
そのおかげで境界を超える時にはワイバーンを刺激してしまった。モノ自身は閉じていたし、エムロードもいた。それでも完璧ではない。少し証を見せればワイバーンは退散してくれたが。
――やっぱり、おかしい。
反発は摂理。
この大陸に足を踏み入れた時に、それは覚悟していた。
――反発が弱い。
気配はあるのに、それはモノがこの大陸に入るのと、ほぼ時を同じくしてあやふやになってしまった。
そして、その中に混ざる、ねっとりと粘つくような何か。
モノにはうまく表現できない。
ただ、腹の底を
それは一般的には不安、あるいは悪い予感と呼ばれるものなのかもしれなかった。
自分の爪先を見つめて、エムロードを握る手にぎゅっと力を入れた時だった。
「大丈夫?」
気が付かないうちに正面に立っていた人物に声をかけられた。
「え」
「オレ、そこに座って休憩しながら見てたんだけど、ここ通るの三回目なんだぞ。迷子かい?」
そう言って、相手はその黒い鼻先をモノの顔の前に寄せた。
背はモノよりも頭半分ほど高い。
顔はまさに人間が犬と呼ぶ動物そのものだが、一般的な成人男性の普段着に身を包み、大きなリュックサックを背負って二本足で立っている。
「ねえ、迷子?」
もう一度そう言うと、相手は茶色い尻尾をふさりと振った。
「オレはね、カイっていうんだぞ」
「…………」
モノが黙っていると、カイはずいっと彼女の目をのぞきこんできた。
「オレはカイね。名前は?」
「モノ……です」
「モノ、わかった。モノは迷子?」
モノはこくんとうなずいた。
「ちゃんと喋る」
「迷子です……」
「いい子だなー。オレ、この街には何回も仕事で来てるから大体の場所はわかるぞ。どこに行きたいんだ?」
「ええっと……」
モノは恐る恐る、街並みの向こうにそびえる王城を指差した。
「あそこに……」
「まかせろ。ついてこい」
ぴんと耳を立てて、モノを連れて意気揚々と歩き出したカイは、大きな通りに出ると立ち止まり、きょろきょろとあたりを見回した。
「いつもならいるんだけどなー」
「誰がですか?」
「あ、いたぞ」
カイは駆け出して、通りの向こう側にある出店の前に立った。
「揚げパン二つおくれ」
紙袋に包まれた揚げパンを買うと、カイは一つをモノに向かって差し出してきた。
「オレ、
「あ……ありがとうございます……」
モノは礼を言って袋を受け取った。紙袋越しに揚げパンの熱が手のひらに伝わってくる。
通りの端で、二人は立ったまま揚げパンを頬張った。
「モノは魔法使いなのか?」
「……一応」
「そっか。オレは魔法使いじゃないけど、魔法使いが使う魔石な、あれをファキーリアに
「魔石を、ですか?」
「うん」
カイは揚げパンを全部飲み込むと、ぺろりと口の周りを一舐めして、背負っていたリュックサックを下ろした。
「売り物はさっき渡しちゃったから、もうクズ石しかないけどなー」
そう言いながらリュックサックから袋を取り出し、中身をモノに見せる。
モノが袋を覗き込むと、黒っぽい土の塊のような小石がぎっしりと詰まっていた。目を凝らしてよくよく見ると、小石の中にチラチラと紅く光るものがある。
「火の精霊の欠片が混ざってるんだ。小さ過ぎて何にもならないけどな。こうやって暗いとこで見るとキレイなだけ」
カイはぱたぱたと尻尾を振りながら説明を続ける。
「この大地には火の精霊がいるからな。採れる魔石は火のヤツが一番多いんだ。河のそばや森の近くなら別のも少しは採れるぞ」
「カイさん達が採掘するんですか?」
「カイでいいぞ。掘るのはドワーフ達の仕事だな。オレ達も洞窟の近くに住んでるけど、ドワーフ達は洞窟の中に住んでるからな。アイツら穴掘るのは好きだけど、穴から出るのは好きじゃない。だからオレ達が仲介して人間の街まで運ぶんだ。オレは村で一番、石の目利きが得意なんだぞ」
えへん、とカイは鼻を上に向けた。そのまま彼の目はモノの頭上にあるエムロードで止まる。
「ん? モノの杖についてる石は何? オレ、見たことないかも」
「あ、これは……」
モノは杖を背後に回して言い淀んだ。
「良ければ見せて」
「これはダメです。……危ないから」
「危ない?」
「ごめんなさい。でも見せるのはダメなんです」
カイはぴすぴすと鼻を動かして、耳を少し下げた。
「オレこそごめんな。モノの大事な物なんだろ。いいよ。気にしないで」
カイは大きな口を横に伸ばして舌を出した。これがコボルトの笑顔なのだ。
「……やだ、
「……最近増えたよな、先代の
不意に背後から聞こえてきた小さな声に、思わずモノは振り返った。
しかし、道行く人々は至って普通で、声の主達がどこにいるのかはわからなかった。早々に雑踏にまぎれてしまったのだろうか。
モノがカイの方を見ると、カイは首を傾げて耳をピクピクと動かした。
「よし、そろそろ行くか」
「カイ……」
「モノがそんな傷付いた顔する必要なんてないぞ」
「でも」
「人間の中にああいうこと言うヤツがいるのと同じで、オレ達の仲間にも人間が嫌いなヤツがいるからなー。オレは両方知ってるし、そんなヤツばかりじゃないっていうのも知ってる。不毛だとは思うけど、でもお互い様なんだぞ」
城の正門で事情を話すと、門番は慌てた様子で中にいる仲間に騎士団長に確認を取るよう伝え、モノにはしばらくここで待つようにと言った。
「もう大丈夫だな」
カイがモノに向かって尋ねる。
「はい、ありがとうございます」
「オレは祝祭を見たら帰るからな。モノ、いつかコボルトの村に来い。モノのために良い石を見繕ってやるぞ」
「…………」
黙ったままのモノの手をカイが握手の要領で握った。カイの手は毛で覆われていて、南の陽光の匂いがした。
「心配するな。オレは一度嗅いだ匂いは忘れないんだ。商人だからな」
カイはリュックサックを背負って体を一揺すりすると、モノに背を向けて軽い足取りで街の方へと歩いて行った。
ルドルフが迎えにくるまで、モノはカイの去った方を眺めていた。手の中には陽だまりの匂いが残っていた。
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