Ⅱ-Ⅱ.
ルドルフは白い代理石の床に長く伸びる赤い毛氈に跪き、
二人の前にそびえる
その左手に金糸で縁取られた緑色の上着を着た赤毛の中年の男性が、右手側には女王と同じ髪と瞳の色をした、水色の衣を着た少年が立っていた。
「エデルから話は聞いています。ルドルフ・アインハード。ここまでの旅、大儀であった」
シャルザートは表情を変えることなく、それだけを言った。
女王に相応しい、聞く者が自然と襟を正したくなるような
ルドルフは無言でさらに頭を下げた。
階上で人が立ち上がる気配がし、さらさらと衣擦れの音が遠ざかる。
謁見はそれでだけで終了した。
(まあ、こんなものだな)
ルドルフは別に意外にも思わない。女王が、たとえ自分の王子につくとはいえ、武術師範一人に尽くす礼としては十分すぎるほどだ。
「エデル、そしてルドルフ、顔を上げなさい」
若い涼やかな少年の声がした。
ルドルフがおもむろに顔を上げると、エデルも同じように声の主を見ていた。
「何をしておる。アルラーシュよ。勝手なことをするな」
中年の男性が不快そうに少年を質した。
この男性が女王シャルザートの夫フレデリク・スタンリーかと、ルドルフは無礼にならない程度に観察をした。スタンリー家はファキール王国の北部に所領を持つ上級貴族だ。ルドルフとモノがこの大陸で最初に降り立った港町もその一つであり、その他にも北部の港をいくつも所有することからスタンリー家の当主は代々ポートランド公を名乗っているという。
戦後、荒廃したファキール王国を立て直し、内政に力を入れるため、王家はスタンリー家からフレデリクを婿に迎えたという話だが、これはハグマタナ新帝国との戦争で主に戦災を受けたのがファキール北部であり、そこから婿を取ることでその地の人心を繋ぎ止める意図もあったのだと思われる。スタンリー家は政治的な立場としてはかなり保守的なことで知られており、当時は外交関係の硬直を危ぶむ声もなかったわけではないが、結果を見れば大きな問題は起きていない。
「これから教えを乞うのです。師の顔を見たいと思ってはいけませんか。父上」
少年は答え、階の上からルドルフの顔を見た。シャルザートの特徴をよく受け継いでいて、父であるフレデリクとはあまり似ていない。やや線が細いが、これから成長する少年特有の生命力を秘めているように見えた。
「私はアルラーシュ。今まではそこにいるエデルをはじめとした騎士団の者達から武術の手ほどきを受けていたが、明日からは貴方が稽古をつけてくれるとのこと。楽しみにしているぞ、ルドルフ」
謁見の間を出てエデルと別れると、ルドルフは城内を散策することにした。
モノは朝からファキーリアの街へと出掛けて行った。王都は今まで通ってきた町よりも格段に治安が良いので、あまり心配はないと思っている。何より彼女はあの喋る杖――エムロードを携えているのだ。あの杖があれば多少の危険に対処できるはずだ。
城壁の内側に沿って歩きながら、この先の中庭が騎士や王子が武術の訓練に使用する広場だとエデルが言っていたことを思い出す。明日の下見も兼ねて見ておくことは悪くないだろう。
訓練場に屋根はなく、周囲を一階建ての建物にぐるりと囲まれた正方形の広場だった。地面はむき出しではなく石畳が敷かれている。
昼のこの時間は訓練をする者の姿もない。
何とはなしに広場の中央まで進み出たところで、背後から声をかけられた。
「ああ、いたいた。見つけましたよ」
エデル以外に親しい者のいない城内で、自分にかけられるはずのない言葉だとは思ったが、ルドルフは一応振り返った。そのくらい、その声には殺気が感じられなかったのである。
建物の出入り口のところに、二十歳前後に見える長身痩躯の青年がにこやかに笑いながら立っていた。格好は町の者の普段着とそう違わない。
癖の少ない長髪を高い位置で一つにまとめて結んでいるが、その髪は絹糸のような銀髪で、さらにその端正な顔の横には長い耳がある。
エルフだ。珍しいわけではないが、人間が多い場所で見かけることは少ない種族である。
「……俺か?」
「他に誰がいるってんですか」
軽薄な口調でそう言って、エルフの青年はすたすたとルドルフのいる広場の中央へと出てきた。その手には練習用のウッドソードが二本、握られている。
「はいこれ」
そう言って差し出された一本を、ルドルフは手に取った。
「おい」
「行きますよ。いざ尋常に」
乾いた音が広場の石畳にこだました。
「あは、お見事」
繰り出した突きを
彼はひるむことなく一歩踏み込み、ルドルフの右手側から剣を薙ぐ。しかし、撥ね上げられたせいで大きくなった振りは、ルドルフには読み切られていた。切っ先をそらされた青年は、しかしすぐに体勢を立て直した。
二人はウッドソードの切っ先をすり合わせるようにして間合いをとる。
「エルフが剣を使うのか」
「あ、それ言います? 偏見だなあ」
滑るような動きで繰り出された切っ先をいなせば、すぐに引いて位置を優位に戻し、再び突きを繰り出してくる。
動きは同じ体格の人間と比較すればエルフ特有の素早さがあった。連撃が彼の持ち味なのだろう。敵に隙ができるまで手数で攻めるのが相手の戦法ならば、ルドルフが狙うのは相手がこちらに打ち込んでくる最後の一撃。
「押し込んでくるのはいいが腕を振り上げ過ぎるなよ。肘で死角になるぞ」
「うっわ、余裕じゃないですか。腹立つなー」
青年は屈託なく笑う。
「俺、けっこー強いと思うんですけど……ね!」
青年が強く踏み込んで振り下ろした剣を、ルドルフは手首を返して弾く。そのまま青年の右肩をかすめて首筋に切っ先をつきつけた。
「あー……」
青年は見開いていた目をゆっくりと細め、口元を緩めた。額に汗が浮かんでいる。近くで見ると瞳は薄い水色だった。
「リュカ! 貴様何をしている! 今日は非番ではなかったのか!」
突然鋭い女性の声が訓練場に響いた。ルドルフに練習用の木剣を突きつけられたまま、エルフの青年は「あちゃー」と小さく呟く。
ルドルフが見ると、青年が出てきたのと同じ建物から騎士団の制服を身に着けた女性がこちらに駆け寄ってくるところだった。さらにその後ろからエデルが歩いてくる。
苔色の髪を一つに結った女性は、瓜実顔にやや目尻の吊り上がった鋭い目、鼻も口も小ぶりで、全体的に上品な顔立ちをしていた。しかし今はその柳の葉のような眉を吊り上げて、
「ヨシノ様、顔怖いですよ」
「私は何をしていると聞いているんだ。答えろ。私闘は許されんぞ」
「私闘だなんて、王子の新しい武術師範にちょっと教えを……ね?」
「知らん。何者なんだ?」
ルドルフはヨシノと呼ばれた女性に尋ねた。
「……その者はリュカ。王都騎士団に所属する近衛騎士の一人です」
ヨシノは答えながらキッとリュカを睨みつける。そうは言ってもリュカの方が背が高いので、あまり効果はなさそうだ。
「ルドルフ、部下が無礼をしたな」
後からやって来たエデルが言う。
「無礼というほどのこともない。手合わせを挑まれただけだ」
「そうか? ヨシノが血相を変えて俺を追い越していったからリュカのことだろうとは思ったが。……しかし、俺の用事は別件だ。お前の連れてきたお嬢さんのことだ、ルドルフ」
それを聞いてルドルフは金眼を見開いた。
「モノか?」
何かあったのだろうか。治安は良いと思っていたが、やはりついて行くべきだったか。
ルドルフの表情を見て、エデルはその胸の内に気が付いたらしかった。
「ああ、違う違う。何か事件に巻き込まれたとかではなく……」
エデルは言いにくそうにルドルフから一度目をそらし、軽く咳払いをして話を続けた。
「……城下で迷って同じ場所を行ったり来たりしていたところを、コボルトの行商人が見つけて、事情を聞いて城まで連れてきてくれたそうだ。まあ、ファキーリアは敵の進軍を防ぐために行き止まりやら曲がり角やらが多いし、その上広い。来たばかりでは道もよくわからんだろう」
「…………」
「だがなあ、このようなことが度々あるとさすがに困る。城というのは、その……普通の家や店とは違うのでな。実際、門番も驚いたようで、俺のところに至急の連絡が入ったんだ。お前も明日からは王子の稽古などもあるから忙しいだろうが……お嬢さんには一人で街に行かないように、お前から言ってもらえないか」
「……すまん。言っておく」
「頼んだぞ」
話し込むエデルとルドルフを少し離れた場所から眺めながら、リュカは石畳に腰をおろしていた。隣にはヨシノが立っている。
「リュカ。貴様、なぜあんなことをした。エデル団長の顔に泥を塗るつもりか。ただでさえ普段から貴様を庇ってくださっているのだ。あの方の立場を少しは考えたらどうだ」
「えー、だって新しい武術師範が来るって聞いたら気になるじゃないですか」
「なぜ貴様が気にする」
ヨシノは腰に両手を当ててリュカを見下ろした。リュカは上目遣いに彼女を見上げて、高くおどけた声を出す。
「やだー王子を取られちゃうー。今まで俺だって教えてたんですよぉ」
「阿呆」
「きっつ」
ふん、とヨシノは鼻を鳴らして腕を組み、エデルとルドルフを見た。リュカも再び二人に視線を戻す。
「俺、ずっと上を取ってたのに、ぜーんぶいなされちゃいました。思ってたより素早くって。あんな図体だしもっとのろまな、力で押してくるタイプかと思ったんですけどねー」
「あの男が何者なのかは団長から聞いた」
「へー、誰なんです?」
「ルドルフ・アインハード、元帝国軍の将軍だそうだ。剣士としての腕はかなりのものらしい」
ヨシノが教えると、リュカは薄水色の目を瞬かせ、へにゃりと笑った。
「……そういうの、先に教えといてもらえません?」
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