Ⅱ-Ⅰ.

「おお、ルドルフ、よく来てくれたな」

「久しいな、エデル」


 ルドルフは目の前に立つ日に焼けた偉丈夫と握手を交わした。少し癖のある赤茶色の髪を後ろで束ね、同じ色の顎髭は短く整えられている。ルドルフよりもわずかに背が低いが、十歳ほども年上であるはずの体は壮健そのもので、厚みはそう変わらない。

 彼は握手を終えると、そのまま大きく分厚い手でルドルフの肩を景気よく叩いた。


「長旅をさせて悪かった。本来なら迎えを遣わせて然るべきところだが……」

「俺はもうただの根無し草だからな。そんな者のところに寄越される遣いの者が気の毒というものだ。お前の顔にも泥を塗ることになるぞ。エデル騎士団長閣下」


 にやりと笑ってやると、相手も悪童のような笑みを返してきた。


 ファキール王国騎士団。王都ファキーリアの象徴とも言える白亜の宮殿の、その広大な敷地の一角には騎士団の本部があり、騎士団長の執務室もそこにある。

 友人を訪問したルドルフは執務室の横にある応接室に通されていた。


「お前がクターデンの将軍職を辞したと聞いて驚いたぞ。まあ、おかげで俺の頼みはやりやすかったわけだが……しかし、なんで辞めた? まさか放逐されたわけじゃないんだろう?」


「最初からそのつもりだった。俺が手助けをするのは皇帝の座を手に入れるまでだと、バルトロメイもわかっていたはずだ」


 エデルは椅子に深く座ったまま足を組み、肘掛けに肘をついて頬を支え、口の片方の端に皺を寄せた。

「請われたからとてホイホイと言う事を聞くような男か、お前が。……バルトロメイ皇太子、今はもう皇帝だな。なぜバルトロメイを助けたのだ。正当な帝国の後継者とはいえ、狂皇子と呼ばれ、軟禁されていたような人間を」

「覇王の器だ。時代が味方しさえすれば、帝国を繁栄させ名を残すだろう」


 エデルは姿勢を変えず、じっとルドルフを見据えた。


「……皇帝バルトロメイは、直属の暗殺部隊に元将軍ルドルフ・アインハードの追討を命じたと聞く」


「あいつの性格はよく知っているさ。道中、何人か斬った」


 ルドルフは答えたが、南下するに従い、バルトロメイが放ったと思われる追手に出くわす頻度は明らかに減っていったことは黙っていた。

 新たに皇位についた者は周囲に威厳を示さなければならない。非常時とはいえ、一度は軍の要職に就いた、それも元々異邦の者を理由もなく下野げやさせるなど、皇帝本人が許しても周囲は納得しない。下手をすれば、そこから体制が瓦解することにも繋がりかねないのだ。

 エデルは足をほどき、あらためて椅子に深く座り直すと、しみじみといった調子で言う。

「……ルドルフ、やはりお前は俺が最も信頼できる男だ」

「何だ、今頃気が付いたのか」

 ルドルフが軽口をたたくと、エデルはうんと咳払いをした。

 偉そうな振る舞いがサマになっているじゃないか――とルドルフは内心で親友をからかう。


「お前をわざわざ呼んだのは他でもない、アルラーシュ王子殿下のことだ」


 エデルの言葉で、ルドルフは先日港町で聞いた話を思い出した。確か王子は十六歳になり、それを祝う祭が開かれるというのではなかったか。

 エデルはさらに話を続ける。


「十六歳の祝祭が終われば、王子は王族としての務めを果たすため、兵士を持ち、王都の警護にあたることになる。もちろん、これは形式的なものだ。兵の数も少数で、しかもそのほとんどは貴族の子弟だ」


 エデルはここまで一気に説明すると、眉を上げてルドルフを見た。ルドルフは声に出さず、目の動きだけで話の先を促した。


「王子と貴族のボンボンどもだけでは話にならんので、騎士団からもともをつける。王子の護衛だな。その中にお前も入ってほしい」

「要するに、子守か?」

 ルドルフがそう言うと、エデルは口を歪めて、はあっと息を吐いた。

「子供っぽい皮肉はやめろ、ルドルフ」

「皮肉じゃない」

 ルドルフは憮然として言い返す。

「護衛だと言ったろ。正規の騎士が護衛につくのは城から出ている間だけだが、お前にはそれ以外の時間も、王子の近くにいてもらいたいんだ」


 エデルの口調は騎士団長としての口調から旧友のものに戻っていた。ずっと昔にも、こういうやり取りをしていた二人である。


「正規の騎士でもない余所者が王子の護衛か? 周りをどう説得するつもりだ」

「馬鹿正直に護衛と名乗る必要はない。お前の肩書きを王子の武術師範ということにする」

「武術師範?」

 ルドルフが問い返すと、エデルはにっと人の悪い笑みを浮かべた。


「元帝国将軍、黒き月のルドルフ・アインハード。王子の武術師範として招聘するのに、これほど相応しい人間はそうはいないな。そうだろう?」


***


 ルドルフは城を出て、祝祭を前にして浮き立つファキーリアの街を歩きながら考える。

 十六歳になり、この王都の警護に当たるという王子。そのこと自体に疑問はない。王族の義務といえばそのとおりだが、率先して民を守る姿勢を見せることは、貴族も含めた上の階級の者の務めである。

 ほとんど城から出たことのないであろう王子に騎士の護衛がつくことも不自然ではない。武術の師範についても同様で、それ自体には問題はないと思われる。


 ルドルフが引っ掛かったのは一点だけだ。


――城から出る時以外も王子を護れと。


 エデルの言ったのはそういうことだ。

 つまり、これから王子は城の中ですら護衛が必要な状況になる。少なくともエデルは祝祭後にそうなる可能性が高いと踏んでいるということなのだろう。

 その心配におおやけにできる理由があるのであれば、正規の騎士を専属の護衛にすれば良い。

 公にできぬ理由があるのか。騎士団を信用できぬ理由があるのか。あるいはその両方であるのかもしれない。


 考えながら歩き続け、ルドルフは城下の街の広場まで来ていた。白い石畳と同じく、白い石で造られた大きな噴水があり、出店もある。街の人々の憩いの場であるらしく、ほどほどににぎやかだった。制服を着た警邏けいらの兵士の姿もあり、治安も良さそうだ。


 ルドルフは周囲を見回して草色の頭を探す。


 大河を船で遡り、王都ファキーリアに到着した後、ルドルフとモノは街の様子を見て歩いた。この広場を通り過ぎる時に、ルドルフは自分は用が済んだら、この噴水の広場に来るとモノに伝えたのだった。

 モノは意外そうな顔をしたが、すぐにこっくりとうなずいた。


 草色のローブはすぐに見つかった。

 噴水の水がその高さを変えた時、向こう側に腰掛けている小さな背中と長い杖が見えたのだ。


「モノ」


 近付いて呼びかけると、少女は振り返った。


「ルドルフ」


 モノは表情に乏しい。口調はぶっきらぼうではなくむしろ丁寧なのだが、落ち着いていると言うよりは、どこか老成していて厭世的な感じがする。


「用事は終わったのですか?」

「一旦はな」


 ルドルフはそう答えながらモノの杖を見た。エムロードはあれ以来ずっと静かだ。一度、船の上で手持ち無沙汰だったので翠石をつついてみたが、モノに「やめてください」と遠ざけられてしまった。

 モノ曰く、基本的に雑談はしないらしい。用があれば喋る、ということだった。


「お前の方はどうなんだ。尋ね人は見つかりそうか」


「近付いていることは間違いありません。でも、うまく探せないのです。どうにも気配が揺らいでいて」

「俺は魔法使いではないから、お前の言う気配というものがどんなものなのかわからないんだが……」

 モノはルドルフの言葉には返事をせず、地面に視線を落とす。

「……望みを叶えたくてここまで来たのに、探すこともままならないなんて」

「望み?」

「私の望み。……それはともかく、うまく魔力で探せない原因としては極端に不安定になっているとか、何か気配を遮る物が近くにあるとか、色々と考えられますが、そうなると結局は地道に探すしかありません」

 モノの言葉を聞き、ルドルフはふむと顎に手を当てる。

「ならば、お前もまだこの街に滞在するのか?」

「ええ、そうですね。もう少し。……お前 “ も ” ?」

 モノはルドルフの顔を仰ぎ見た。



 王子の武術師範と護衛を引き受けるにあたり、ルドルフには城内にある騎士団の詰所の近くにある一棟の平屋が与えられることになっていた。

 これは元々騎士団の団長やその補佐官が家族とともに駐在するためのものであったそうだが、現騎士団長のエデルは独身で、その補佐を務める者もそうだという。エデルは自分が以前より使っていた部屋と執務室のどちらかで寝起きしているので、この建物は長らく使われていなかったらしい。


「王子の武術師範ともなれば客分として扱わねばな。ここにいる間は好きに使ってくれていい」


 そのエデルの言葉に甘えることにした。長期間滞在するとなれば住居はどうしても必要になる。探す手間が省けたことは素直にありがたかった。



「旅の連れがいると話したら、ぜひその建物を使えと言ってくれてな」

 モノはルドルフの話を聞きながら首を傾げた。

「ずいぶんと親切な方なのですね。それに、どうしてルドルフと騎士団長が古いご友人同士なのですか?」

「親切というか世話焼きな性分なんだ。友人には違いないが、俺にとっては恩人でもある」

 身寄りをなくしたルドルフを戦場で助け、その後も面倒を見てくれたのは、当時、辺境の前線部隊に配属されていた若い騎士、エデルだった。

 エデルが辺境部隊から王都を守護する騎士団に抜擢されファキーリアに向かうことが決まったのと時を同じくして、ルドルフは彼と別れ、北へと旅立ったのだ。その時、何かあれば必ず助けると約束をした。

「……ルドルフはその方を信頼しているのですね」

 モノは口元に寂しそうな微笑みを浮かべた。

「そういう相手がいるのは……少し羨ましいです」


***


 モノを伴って再び騎士団本部に戻ったルドルフは、これからしばらく滞在する部屋に入る前に、モノを連れて騎士団長の執務室へと向かった。エデルは書類仕事があると言っていたので、そこにいるだろう。昔馴染みのよしみとはいえ、最初に挨拶はしておいた方が良いと考えたのだ。

 扉をノックし、旅の連れを案内してきたと言うと、中から答えがあった。

 ルドルフが執務室に入ると、正面にある大きな執務机に座っていたエデルが立ち上がり、歓迎の意を表する。

 しかし、ルドルフが横にどいて、それまで彼の背後にすっかり隠れていたモノの姿を見た途端、エデルは机を回り、つかつかとルドルフの方へと歩み寄り、彼の腕をつかんだ。


「ルーディ、お前ちょっと来い。いいから」

「おい、何だ」


 エデルに強引に腕を引かれ、ルドルフは執務室の隅へと連れて行かれた。


「お前、あの子が何歳だって?」


 エデルはヒソヒソと声を落として囁いた。ルドルフがエデルの肩越しに視線を投げると、モノがこちらを見ていたが、目深にかぶったフードで表情まではわからなかった。

 ルドルフはあらかじめ旅の同行者についてエデルに話をしていたので、何を今更と思う。

「十六だ。本人がそう言っていた。話しただろう」

 エデルにつられて、なぜかルドルフも小声でになっていた。

「冗談だろ。お前は十六歳の人間を見たことがないのか? ありゃあせいぜい十二、三だぞ。下手すりゃもっと下かもしれん」

 エデルは半分振り返って、もう一度モノの姿を確認すると、ルドルフに向き直り、さらに声を落とした。

「エルフの幼体か犬獣人コボルトじゃないのか?」

「頭巾を取ればわかるが、人間だ」

 ルドルフは少し苛立って眉間に皺を寄せた。

「いい加減にしろ、エデル。何が言いたいんだあんたは」

「何って、お前……」

 エデルは額に片手を当てて頭痛をこらえるような仕草をした。

「お前が旅の連れがいるなんて言うから、俺はてっきりだな……ああいや、そうだな、俺の早とちりだ。すまん」

 仕切り直すように息を吐き、エデルはモノの方へ振り返った。

 そのまま右手を左胸に当て、恭しく礼をする。


「見苦しいところをお見せして申し訳ない。王都騎士団にようこそ、レディー。非礼はどうぞお許しください」

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