Ⅰ-Ⅵ.

 ワイバーンの襲撃という想定外の事態は起きたものの、船はほぼ予定通り港へと入った。

 ファキール王国の北、太陽の王国の肥沃な大地をもたらす恵みの大河の、その河口にある港町だ。ここから王都ファキーリアまで陸路となると長く険しいが、大河を行き来する船を使えば問題はないはずであった。


 ルドルフとモノは港とは町を挟んでほぼ反対側にある宿に入った。食事はついていないが、長旅の旅人を迎え入れるため清潔な水がふんだんに使えることと、薪代を払えば風呂が使えることが決め手だった。気風の良さそうな女将が、何か言いたげな目でルドルフとモノを見比べていた事以外は良い宿だ。


 ルドルフが外の井戸で簡単に体を清めて部屋に戻ると、白いキャミソールに、同じく装飾のほとんどない白いドロワーズを着た少女が立っていた。白い服から伸びる手足は若枝のようなしなやかさがあるが、とにかく小柄で華奢な印象ばかりが先に立つ。

「誰かと思えば、お前か」

 ほとんどずっと草色のローブをまとった姿しか目にしていなかったので、一瞬誰だかわからなかったが、ふわふわとした茶色の髪には見覚えがあった。彼女は部屋の中でもずっと杖を手放さない。その点に関して言えばルドルフも剣を手放すことはほとんどないので、特に奇異には思わなかった。

「とりあえず服が乾くまではここにいないといけませんね」

 モノはそう言った。潮水をたっぷり吸ったローブや服を洗濯したらしい。

 それはそれとして、とルドルフは眉間に皺を寄せる。

「何て格好をしているんだ。下着だろ、それは」

「他は全部洗濯をしてしまったので」

 瞬間、怒鳴りつけようとしてルドルフは何とかそれをこらえた。軽く溜め息をついて自分を落ち着かせる。

 もちろん、自分は目の前のちっぽけな少女を女性として見ることなどできない。しかしこの宿に入る前の女将の目を思い出し、今更ながら確認はしておくべきだと思った。


「お前、歳はいくつだ」


 ルドルフの問いにモノはちょっと天井を見上げ、それから自分の杖を見て、自信なさげに「十六、です」と答えた。

 それを聞き、ルドルフは踵を返し戸口に直行する。

「ルドルフ、洗濯は」

「俺はいい。ちょっと出てくる」

 ルドルフは服の上からマントを羽織った。

「お前の服が乾く頃に戻る。その格好でうろうろするなよ」

 少し心配だが、宿から出なければ彼女に危険が及ぶこともないだろう。

 その間に必要な買い物や王都までの詳しい行程の情報を手に入れたかった。先の町の酒場で商人の言っていたことも少し気になる。いよいよ本格的にファキール王国に入ったところで情報収集をしておきたい。



 この町はファキール王国の北の玄関口と言われるだけのことはあって、活気があった。

 北の大陸にはない華やかさがある、とルドルフは思った。

 道行く住人の着物や、建築物の意匠などに使われている色が多い。売られている食べ物やそれを入れる器にしてもそうだ。南国風というだけなら群島国家もそうなのだが、島はいくら集まっても所詮は海で分断され、広い土地ならではの発展性というものがない。


 ルドルフは大河の河口に背を向け、町の外、ずっと遠景にうっすらと見えている連峰を見た。

 その大連峰の向こうにあるハグマタナ新帝国。二十年ほど前、ファキール王国にハグマタナ新帝国が侵攻を開始し、戦争へと発展した。戦争は群島国家をも巻き込み、特にハグマタナの領海に近い位置の島々には直接戦火が及んだ。その戦争で、まだ十歳に満たなかったルドルフは家族を失い、天涯孤独となった。

 ハグマタナ新帝国がファキール王国に侵攻した理由については、当時のファキールが継承問題により政情不安に陥っていたため、その隙をついたものだったと言われている。それと同時に、ファキールが所有している火の大精霊を狙ったのだとも噂されていた。



 傷薬などの補充を済ませ、それから港に行って船の予定を尋ねると、王都ファキーリアに向かう船はちょうど明日出るという。

「ファキーリアに行くって、お兄さんもお祭に参加するの?」

 船着き場の事務所の女性がカウンター越しにルドルフの全身を眺めまわして言った。彼女の視線はルドルフの体を一周し、最終的に彼の顔で止まる。

「いいや。何の祭だ?」

 ルドルフは素直に聞き返した。

 会話が成立したことを喜ぶように、女性はカウンターに身を乗り出す。

「あら、知らない? 王子が十六歳になったお祝いのお祭り」

「王子? 女王に子供がいるのか?」

 ルドルフが真面目に問い返すと、女性は大袈裟に吹き出した。

「やっだぁもう。王子サマって言ったら、そりゃあ女王サマの息子に決まってるでしょうが。お兄さんったら真面目な顔してけっこうボケてる?」

「…………」

 女性はひらひらと手を振って、カウンターに胸をのせたまま、微妙にしなを作った。

「あら、怖い顔。怒んないでよぉ、ごめんごめん。そうよ、シャルザート女王陛下の御子、アルラーシュ殿下は今年でめでたく御年十六におなりあそばすってワケ。そろそろ結婚とか? そういう話も出るんじゃないの。大変よねえ王族ってのも」

 明日出発するなら今夜は飲まないか、美味しい店を知っているという、その女性の誘いを断ってルドルフは船着き場を離れた。


 その後も適当に町を散策し、色々と話を聞いてみたが「戦争」という言葉に結びつく情報は得られなかった。商人の言葉との食い違いが少々気になるものの、現時点では判断のしようがない。


 ルドルフが宿の部屋に戻るとモノの姿が見えなかった。窓際にまだ少し湿ったローブだけが干してあり、服はなくなっていた。荷物はそのまま部屋に置いてある。

 一階に降りて女将に尋ねると、宿の裏手に出て行くのを見たと言う答えが帰ってきた。


 裏庭に出て周囲を見回してみたが、見える範囲にはモノの姿はなかった。

 宿屋のものらしき自家菜園の向こうにレンガを積み上げて作った焼却炉があり、さらにその向こうは町と外を隔てる柵と林が続いている。

 まさか林の中に入ったのではあるまいと思いつつ、ルドルフはそちらへと足を向けた。


 林の手前の木の前に、杖を持ち、茶色の髪に白いブラウスと黒いズボンを履いた少女が立っていた。声をかけようとしてルドルフは動きを止める。

 風下にいるルドルフのところに、かすかな声の会話が聞こえてきた。

「やっぱりそうなのかな……」

「私はいいんだけど」

 聞こえてくる声はモノのものだけで、相手の姿は見えない。

 木の陰に誰かいるのか。

 ルドルフがそう思い、木の向こう側を見るために回りこもうとした時だった。


「……何だかおかしい。王都は、危険かも」


 小さく、しかしはっきりと、そう聞こえた。


 ルドルフは回り込むことをやめ、足音を殺して少女の背後へと近付く。

 華奢な背中と距離が縮まり、彼女の話相手の声が聞こえてきた。

「だから言ったろ。あのデカブツが戻ってくる前にとっとと出ちまおうぜ」


「モノ」


 あと二歩の距離で呼びかける。

 少女が弾かれたように振り返り、同時にびゅっと風を切る音がした。


「ルドルフ……」

「驚いたな……」


 少女の持つ杖は正確にルドルフのみぞおちを狙ってきていた。

 その杖は今、ルドルフの左腕と脇腹の間に挟み込まれて、ぎりぎりと締め付けられ、抑え込まれている。


「喋るのか、その杖」


 抑え込むルドルフの腕の下で、まだ杖にかかった強い力は弱まらない。その杖の先はモノの手にしっかり握られており、モノの表情は真剣だった。

 普通ならばモノが杖を操っていると考えるところだが、今まで見てきた彼女の身のこなしは武術の心得など全くない人間のそれだ。魔法が使えるとはいえ、この不用心さでよく無事に旅をしてこられたと思うほどだ。

 だからルドルフは腕の力を緩めずに尋ねた。


「どっちだ?」

「え……?」

「今、俺を攻撃しているのはどっちだと訊いている」


 モノの藍色の瞳の中心がぎゅっと小さくなる。

「離して!」

 ルドルフの左側が爆ぜるように光り、続いて熱を感じた。

 少女の声を聞いてとっさに腕を離し、杖をはねのけたおかげで大したダメージはない。

 ぶんっと重たい音と共に側頭部に杖の先端が向かってくるのを、後ろにのけぞるようにして回避した。

「おいおい……」

「やめて!」

 モノが叫んだ。

「やめて! エムロード! ……あっ!!」

 モノは杖を持ったまま地面に這いつくばっていた。洗濯したての服のあちらこちらが灰色の砂にまみれた。黒い膝丈のブーツに包まれた逞しい足が、杖の真ん中あたりを踏みつけている。杖ごと地面に引き倒されたのだった。


「……モノ、お前に敵意がないなら、とりあえず杖から手を離せ」


 ルドルフがそう言うと、モノはやっと杖を抑える手の力を抜き、そろそろと手を離した。

 その間も、杖はルドルフの足の下でガタガタと振動するように暴れている。


「人間風情が! 足をどけろ!」

「……何なんだこいつは」

 モノは地面にしゃがみこんだまま、ルドルフと杖を交互に見た。


「彼はエムロードといって」

「お前ごときに教える義理はねえよ!」

「私の相棒なのですが……」

「モノ! てめえもてめえだよ! 手ェ離すんじゃねえ!」

「ある程度は自分の意志で動きますので、私が支えてさえいれば、さっきのように」

「魔法は一つも使えねえくせに、馬鹿みてえな力しやがって! この猿!」


「……だいたいわかった」

 ルドルフは軽く眉間を揉みながらモノの説明を止めた。正直なところを言うと魔法については門外漢もいいところなので、何が何やらわからないのだが、このエムロードとかいう魔石だか杖だかが意志を持つものなのだということだけは理解した。

 ルドルフの足の下で暴れていた動きは大人しくなったが、足を離してよいかどうかはわからない。

「エムロード」

 モノが呼びかけ、踏みつけられたままの柄を再び握った。ちらちらと緑色の宝石が瞬いたように、ルドルフには見えた。

「何だよ。これだから人間は」

 モノは額づくように杖に顔を近付けた。

「……私を心配してくれている貴方の心はわかっています」

「…………」

 魔力をほとんど持たないはずのルドルフにも、はりつめていた凶暴な気配が急激に薄まるのがわかった。魔力というより、人格があるが故の殺気のようなものだろうか。


「あ……」


 背後で場違いな声がした。

 ルドルフが振り返ると、宿の女将が大きな籠を抱えて立ち尽くしている。格好から見て手前の菜園か焼却炉に用事があって来たのだろう。

 女将の表情がみるみる胡散臭いものを見る時のそれになり、その目にはあきらかにルドルフに対する軽蔑が浮かんでいる。


 そこでやっとルドルフは自分の状態を客観的に把握した。

 砂にまみれて這いつくばる少女と、彼女の杖を踏みつけにしている大男。

 そもそも宿をとる時点で、この女将はルドルフを疑わしそうに見ていた。


「ああ女将、いや、違うんだ。これは……」

 笑顔を作ってみせたが、女将は「誰か!」と叫びながら踵を返して宿の方へと駆けていく。

 ルドルフの足の下で魔石が満足げに光った。

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