Ⅰ-Ⅴ.

「ちょうどいいです。ルドルフ、そのまま私を持っていてください」

「構わんが、どうするつもりだ」

「それは、こっちが勝手に通って騒がせてしまっているのですから」

 少女はルドルフに抱えられたまま杖を短く持ち、鉤状に曲がった杖の先に埋め込まれている翠色の宝石を撫でた。


「説得あるのみです」


 少女は宝石に唇をよせ、何かを囁いた。

「まったく、仕方ねえな」

 嵐の音の中、そう聞こえた気がして、ルドルフは周囲を見た。

 唸り声が響き、頭上ではばたくワイバーンの目がメインマストの下に向く。

 ルドルフは反射的に剣の柄を握る手に力を込めた。

「何か知らんが、あまり時間はなさそうだぞ」

「大丈夫です」

 少女の杖の宝石が仄かに光を帯びる。

「……驚かせてごめんなさい。貴方達の巣を騒がせるつもりはなかったの」

 少女の声は抱えているルドルフにすら辛うじて聞こえるくらいの囁き声だったが、ワイバーンが呼応するように、咆哮する。ルドルフが背を預けている帆柱がびりびりと振動した。

「わかりました。証を見せましょう」

 少女は片手を上げて、草色のフードを取り去った。

 薄茶色の髪が広がり、瞬く間に濡れてしぼみ、その色を濃くした。

「これが証です」

 少女は顔を真上に向けて、額をさらす。

 そこに浮かび上がるのは、額の半分ほどを占める幾何学的な文様だった。それは嵐の夜の中ぼんやりと光っていて、そのために浮かび上がって見えているのだった。

 ワイバーンは低い唸り声をあげながら甲板を睨みつけていたが、首を持ち上げて一声咆哮した。強いはばたきで船がぐらぐらと揺れる。ワイバーンは真っ直ぐに上昇し、暗い空へと吸い込まれていった。


「……大丈夫だったでしょう?」

 その声にはっとしてルドルフが少女を見ると、その額にはもう何も浮かび上がってはいなかった。杖の石からも光は消えている。

 それどころか雨足も弱まり、風も明らかに緩くなってきていた。

 あれらはワイバーンが引き連れてきたものらしい。


 おーい大丈夫かあ、と船員達が濡れた甲板に注意しつつ、手に灯りを提げてこちらにやってくるのが見えた。

 嵐の中、少女と杖が発していた光は、船員達の元にまでは届かなかったようで、彼らはみなワイバーンのと神に感謝しているようだった。




 ルドルフと少女は初めにいた雑魚寝の船倉ではなく、個室に案内された。

 個室といっても設備としては船倉と変わらない。他の客の目がないというだけである。

 ワイバーンが去った後、二人はすぐに船長のところに連れて行かれた。叱られるかと思いきや礼がしたいと言う。

 確かにワイバーンの襲撃は偶然だが、もし船が壊されでもしていれば多くの死者が出ただろう。死の可能性は船長や船員も例外ではない。それは安全な航路の提供をうたっている群島国家の主要産業にとっては痛手だ。

 ワイバーンは討伐されたわけではなく去っただけなので、根本的には何も解決していないのであるが、船長の責任の範囲を考えれば、とりあえずはこの船と乗客乗員が無傷で済んだという事実はありがたいことに違いない。


「軽食まで用意してくれたようだな」


 ルドルフはそう言って、小さなテーブルに置かれたパンとチーズとワインの載った質素なプレートを少女に示した。

 少女もルドルフも全身濡れ鼠となっていたので、船長は清潔なタオルも用意してくれていた。しかし風呂などないので、いくら髪や服を拭いたところで潮臭さはとれない。それは仕方がないことである。陸に着いて体を洗う設備のあるまともな宿をとるまでの辛抱だ。


 少女は部屋に一つしかない椅子を遠慮して、隅にある木箱に腰をおろしていた。今はフードをとり、頭にタオルをかけている。

「食べないのか?」

「大丈夫です」

 少女は首を横に振った。

 ルドルフはパンを一切れとって、口に運びながら首をかしげた。

「もしかして、俺の連れだと言ったのが気に入らなかったか?」

 船長はルドルフが少女を助けたのだと思っていた。それはルドルフと一緒に甲板に上がった船員が証言したことでもあるのだが、あの暗い嵐の中では少女がしたことなど見えなかったのだろう。

 見ず知らずの少女を追って、ワイバーンから助けたのだという説明も妙なので、ルドルフは彼女を連れだと説明した。提供された個室が一つなのもそのためだ。

「気にしていません」

「そうか。では俺を怪しいと思っているのか」

「それは……」

 少女はやっとルドルフを見た。

「とても怪しいです。どうして私にかまうのですか?」

「俺にもわからん」

 ルドルフはチーズの口に入れた。

「俺は群島の出身なんだ」

「そうだろうとは思っていました」

「ほう」

「昼間、船からの景色を眺めながら “ 昔と変わらない ” と」

「確かに言ったな」

「それが私にかまう理由ですか?」

「直接ではないがな。まあ、里心というやつだ」

 それはきっと旧友に会いに行くという今の状況も関係しているのだと、ルドルフは思う。自分は、自分でも驚くほど単純なのだ。

「本当に食べないのか? 見た目よりうまいぞ」

 ルドルフはもう一度プレートを指差した。

 少女はルドルフの顔とプレートを見比べて、杖を持つと、木箱からトンと飛び降りた。

 ちょうどその時、船が波を乗り越えたらしく、ふわりと床が揺れた。

「わ……」

「おっと」

 テーブルに向かって倒れそうになった少女をルドルフが抱きとめる。

 軽い、と思った瞬間、少女の杖がルドルフの脇腹を打ちそうになり、ルドルフは片手で杖の先端を押さえた。

「ご、ごめんなさい」

「いや、平気だ。しかし身長の割に杖が長過ぎるんじゃないか。却って歩きにくいだろう」

 押さえたついでに、杖の先端に埋められた翠石を撫でた。

「っつ!」

 指先に噛みつかれたような鋭い痛みが走った。

 少女が目を丸くして焦った声を出す。

「大丈夫ですか? ごめんなさい」

「大したことはない。……やはりお前は魔法使いか」

 ルドルフは自分の指を検めた。少し熱かっただけで火傷まではしていない。きっとこの少女はまだ未熟で、魔力の制御が上手くないのだ。

 この世界には四大元素に基づく魔法と呼ばれる技術がある。魔法使いはそれぞれの元素を司る精霊の力の欠片である宝石を用いて力を使う。少女の杖にはめられている石もそういう魔石の一種だと思われた。

 それぞれの元素には相性の良い方角があり、すなわち北は土、東は風、南は火、西は水。それは元素を司る大精霊がその地に宿っているからだと言われている。ルドルフのいたクターデン帝国では西の大廟に水の大精霊を祀り、普段の管理は帝国の祭司に任されていたが、真に大精霊を祀るのは皇帝の仕事であるとされていた。軍の中には水の魔法を得意とする者が多かったことも事実である。

 これから向かうファキール王国の王家も火の大精霊を祀っていると聞く。東にあるとされる風の大精霊は所在がよくわかっていない。土の大精霊は北の大国、神聖ネルティア皇国が管理しているとされるが、かの国の実態は他国の者にはあまり伝わってこない。北の大地に以前より暮らす様々な種族や部族を中央の神聖ネルティアがし、徹底した身分制度が敷かれているという話を、将軍時代のルドルフは聞いたことがあった。


「俺は魔法を扱えないんだ」

 ルドルフは言った。

 それは事実だった。魔法は誰でも扱えるものではない。一般的に適性と呼ばれる一種の才能のようなものが必要で、さらには元素との相性もある。これは生まれつきの体質のようなものなので、変えることはできない。

「しかし剣には多少の覚えがある。そして俺とお前の目的地は当面同じだ。この船が向こうの港についても、首都まではまだかかるぞ。同行するのは互いにメリットがあるんじゃないか」

 少女はルドルフの言葉に何やら考え込んでいたが、やがてぽつりと言った。

「確かにそうかもしれません。私だけでは泊ることのできる宿も少なくて」

 何も怪しまずに子供だけを宿泊させる宿は確かに少ないだろう。

「では決まりだな。お前の名前は?」

 ルドルフが問うと、少女は杖を持ち直し、あらためて正面を向いた。


「モノ、と呼んでください。よろしくお願いします。ルドルフ」

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