Ⅰ-Ⅳ.

 満点の星空の下の暗い海を、帆船は進んでいく。

 群島国家の中心部を抜け、ここから先はしばらく島はない。しかし海は穏やかで、このまま進んでいけば明日の昼前にはファキール王国の港に到着するはずだった。


 ルドルフは自分の場所と決めた船室の柱に背中を預け、床にあぐらをかいていた。

 個室などという贅沢なものはない。船の客たちはこの広い船倉の中で思い思いの場所に腰をおろして休んでいる。小さな草色の頭も、その中にあった。


「人を……探しに行きます。ファキールの王都まで行けば、きっとはっきりすると思って」

 昼間、やっと少女から聞き出せたことはそれだけだった。

 探し人をしているというだけのことを、ずいぶんと言いづらそうに答えるものだ。

(だが、これで少なくとも首都までは見守ってやれるか)

 余計なお節介だと自覚している。

 こんなお節介を焼く気持ちになったのはなぜかと考えて、ルドルフは心の中で苦笑した。

 きっと里心というやつだ。それとも昔の自分と重ねてしまったのかもしれなかった。


 ぎいぎいと小さく船が軋む音が続いている。

 ルドルフは考えることをやめて、その音に耳をすました。瞑想の真似事だが、考えても仕方がないことを考えないために身に着けた方法だった。


 ごおん……と遠くで何かが鳴る音がした。

(遠く? いや今のは)

 ルドルフは船倉のむき出しのままの木の床を見た。

 それは足元から響いてきた。しかしここは船の底。この下にあるものといえば夜の海だけである。

 嫌な予感がして、ルドルフが剣を引き寄せた時だった。

 忌まわしい音を立てて船体が軋み、大きく傾いた。

 船室に悲鳴が満ちる。

 荷物を抱え込む者、柱にしがみつく者。

 何人かが短い階段を駆け上がり、「今のは何だ!」と扉の外にいた船員に詰問しているのが聞こえた。

「わかりません」

 まだ少年と呼んでもよい若い船員が半泣きの声で答える。

「でも、急に空と海が荒れて……」

 言葉の最後は悲鳴になった。再び船が大きく傾いたのだ。一人の客がバランスを崩して階段から転げ落ちた。

 ルドルフは剣を持ち直しながら、すばやく船倉を見渡した。

 草色のローブは見えない。

 そのことに気が付いて、ルドルフは駆け出した。階段を一足飛びに上がって、開けられたままの扉から船内の廊下へと飛び出る。

――あ、危ないですよ、旦那ァ!

 壁にへばりつくようにして何とか立っている船員の少年が叫んだ。


 廊下を駆け抜ける途中で、同じ方へと走っていく年配の船員に追いついた。

「何事だ?」

 走りながら問いかけると、船員はこんなところに客がいるとは思わなかったようで、一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに「わからん」と答えた。

 体当たりするように甲板への扉を開ける。

 つぶてのような水滴が顔に当たり、みるみる全身が濡れた。

 世界は暗黒だった。

 空も海も、世界を全て吸い込んでしまう底なしの黒になっていた。

 強い風が横殴りの雨を運び、全身が潮くさい水を浴びる。木造の船はまるで木の葉のように波に揉まれていた。


「帆を下ろさないとまずい」

 ルドルフは横で入口にしがみついている船員に言った。

「こんなに揺れてちゃ無理だ!」

 船員が怒鳴るように返す。

「クソッタレ、こんな急に……」

 船員の言葉に答えるように、風の音とは違う咆哮がした。


「ワイバーンだ!!」


 船員が叫んだ。

翼竜ワイバーンだと?」

 ルドルフは空を見上げた。

 巨大な翼が、暗闇の中かろうじて見える白い帆の先にはばたいていた。

 長い首の先には、嵐の中でも燃える続ける二つの目。後肢は太く、先端には黒々とした鉤爪がある。

 ルドルフは小さく舌打ちし、剣の柄に手をかけた。

「あ、危ないぞ! アンタ! 戻れ!」

 隣にいた船員が前方に向かって叫んだ。

 慌てて視線をやると、暗い甲板の床にへばりつくようにしている草色のローブが見えた。


「おい!」

 ルドルフは叫んだ。

 船体が再び大きく傾き、強かに肩を戸口にぶつけた。

「何をしている! 戻れ!」

 濡れた甲板の上は滑りやすい。一度でもバランスを崩せば、あっという間に夜の海に放り出される。

「くっ……!」

 船が耳障りな音をたてて反対側に傾きかけた時、ルドルフは駆け出した。

 背後から船員の制止の声が聞こえた。

 ワイバーンが頭上で咆哮する。

 ごおっと強風が吹き、マストが悲鳴を上げて船が傾く。

 ルドルフは思い切り体を後ろに倒した。

 足から甲板を滑り落ちていく。

 左手で剣を握ったまま、右腕で草色のローブを抱え込み、体を半回転させる。

 背中に衝撃。少女の抱える杖がルドルフの頭を打つ。

 しかし、落下は免れた。

「え、ルドルフ? 何で……」

「じっとしていろ」

 二人はメインマストの下にいた。

 船はまだ揺れている。ここから濡れた甲板を移動し、船室の扉まで戻るのは無理だろう。

 それに、天候は変えられないとしても、少なくともワイバーンを何とかしなければ、船は長くはもたない。

 ルドルフは頭上ではばたくワイバーンをにらみつけた。

「あの竜は俺が何とかしよう。お前はマストここにつかまっていろ」

「その必要はありません」

 ルドルフの腕の中で少女が言った。

「何?」

「ワイバーンが荒れているのは、私達……私が通ったからです」

 少女は杖を持つ手に力を込めた。

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