Ⅰ-Ⅲ.

 明るい空色をした海をかき分けて、木造の帆船が走っていく。

 ファキール王国のある南の大陸と、ルドルフが将軍をしていたクターデン帝国がある大陸の間の海洋には、大小の島々で構成された群島国家がある。船はまさにその領海内を走っていた。群島国家は主に島々の交易と観光、そして安全な航海を保証する航路を提供することにより収入を得ている。

 強い日差しを照り返して銀色に背を輝かせる海と白砂の砂浜と、北よりも生々しい力を感じさせる植物達。時々、船に並走するように跳ねるイルカが見られることもある。

「いい眺めだな」

 甲板に立つルドルフは上機嫌で語りかけた。

「……どうして」

 彼のへその高さよりも、少し高い場所で小さな声がした。

「ん? 何か言ったか?」

 ルドルフは首を傾げて、体を屈め、声の発生源へと近付いた。

 地味な草色のローブをまとい、同じく草色のフードを目深にかぶった少女は反対に顔を下に向けた。

「……どうして、私にかまうのですか?」


◇◆◇◆◇


――しくじった。

 彼女はそう思った。

 遥か遠く北の地からここまで旅を続ける間に、こういう連中に絡まれたり狙われたりすることは何度もあった。

 自分が本当に見た目どおりの子供なら、とっくに売り飛ばされて、死んだ方がいいと思うような目にあわされているか、それとも死んでしまっていただろう。

 何を目論んでいたのかは知らないが、下卑た笑い声をたてながら彼女を追ってきたのは四人。

 一人はさっきみぞおちを強く悶絶している。残る三人は一瞬驚いた顔をして、それから激昂した。

 彼女は踵を返して走り出す。戦いたくはなかった。自分の足は遅いが、何とかまけるかもしれない。まけなくても人通りのある場所に出れば諦めるかもしれない。

 そう思って通りの方へと走り出したが、着いたばかりの町で土地勘がない。路地の向こうに見える道は思っていたよりも静かそうだった。後ろから追ってくる足音や息遣いから、狩りの成功を確信している獣の気配がした。

 戦うしかないのだろうか。

 そんな彼女の思いを察したかのように、が怒鳴る。

「やれ!」

「だめ!」

 彼女は声に出して叱った。


 路地から飛び出したところに、

 オオカミの両目があった。


「!」


 思わず立ち止まって見上げた。

 幽かな月の光を全て吸い込んでしまったかのように、短い髪は黒々としている。珍しい黒髪の持ち主は、それを誇るように伸ばしていることが多いのに。

 そして同じく精悍な黒い眉の下にある瞳は、満月のような金色だった。

 マントや旅装束の上からでもわかる均整のとれた筋肉に、一部の隙もない立ち姿。何より左の腰に提げられた大剣。旅の剣士だろうか。それにしても只者ではない。

 その大男は自分を追ってきた三人組を見て、状況を察したらしい。

「走れ!」

 彼女はその言葉に従った。

 何とか人気のない場所まで来たとき、のお小言が始まった。

「だからあの場でやっちまえって言ったんだよ」

「…………」

「面倒なことになっても、俺は知らないからな」

「……大丈夫だよ、きっと」

 この世界は大人も含めて、皆自分が生きていくだけで精一杯なのだ。

「もう会うこともないと思う。明日は船に乗るから、今日はもう休む」

「お前が人間の大人の姿なら、野宿なんかしなくてもいいのにな」

「大丈夫。慣れてる」


 それなのに、夜が明けて港に行き、乗船券を買っていると横から聞き覚えのある声をかけられた。

「また会ったな。一人で船に乗るのか?」


◇◆◇◆◇


「俺はルドルフだ。友人を訪ねてファキールの首都まで行く。この船に乗るんなら、お前もそうじゃないのか?」

 黒い剣士は尋ねてもないのに名乗り、話しかけてきた。声は耳に心地よい低さで、十分に抑えられた声量にも関わらず、どこか堂々とした響きがあるのは自分の腕への自信からのものだろう。きっと天性のものなのだろうが、厳めしさの中に少しだけにじみ出るような人懐っこさがある。

「はい」

 彼女はそれだけを答えた。

 それで終わりにするつもりだったが、彼女が船の中を見て回ったり、甲板に出て外の景色を眺めようとするたび、剣士は保護者のような顔をして話しかけて、ついてきた。

 とうとうたまりかねて、彼女はどうして自分にかまうのかと尋ねたが、彼は金色の目を瞬かせて、

「目的地が同じなら、俺と一緒に行くのは悪くないと思うぞ」

 とあっさりと答えた。

「どういう意味ですか?」

「少しは腕に覚えがある。それに共にいる間は昨日のような連中に絡まれることもないだろう」

 そう言いながら、ルドルフと名乗った黒い剣士は欄干に手をかけて海を眺めた。

「いい眺めだな。昔と変わらん」

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