Ⅰ-Ⅱ.

 ルドルフは酔った男との会話を適当に切り上げ、一人酒場を出た。


 酒場の中は橙色の灯りの中、それなりに多くの客が入っていてにぎやかだったが、一歩外に出ると、町の様子は昼間とはだいぶ変わっていた。暗い石畳を歩く人影はないのに、あちらこちらから人間の気配がする。酔漢ならば問題はなし。客引きの娼婦であれば相手をするのが多少面倒だ。あるいは物盗りや強盗か、それともルドルフのような者ではなく、もっとか弱い獲物を狙う何かか。


 町の雑多な匂いに混じって、港町特有の潮の匂いがしている。空には月が出ており、他に明かりのない道は中途半端に照らされている。

 歩きながら腰の剣をかちゃりと鳴らすと、いくつかの気配が遠ざかるのがわかった。


(……まあ、こんなところにいるはずもない)


 帝国を離れてかなりの距離だ。落ち着いてきたとはいえ、くすぶり続けるのが戦の火というもの。帝国軍の中でもそれなりの地位にいたのだから、直接間接を問わず恨みは買っている。


(それとも、これからのことか)


 ファキール王国の友人が自分を呼んでいるのは非公式のことであるはずだ。ルドルフは昔友人と別れる際に、何かあれば必ず助けると約束している。このたびの理由は知らないが、友人は自分の助けを必要としている状況なのだろう。

 ならば、南に近付けば近付くほど危険は増すはずだ。

 チンピラなど、ルドルフにとっては脅威でも何でもない。たとえ寝込みを襲われてもたたきのめす自信がある。

 しかし、多少厄介なのが――

 その時、薄暗い路地の方から複数の声があがった。

「やれ!」「だめ!」という声の一つは幼く高い。

 ルドルフが剣の柄に手を当てて路地をにらむと同時に、そこから小さな影が転び出た。


「!」


 小さく息を飲み、つんのめるようにして止まった影。

 荷物を背負い、長い杖を持っている。旅の装いだ。フード付きのローブで顔はよく見えないが、背格好からして成人ではないだろう。ここは海のそばの港町で、ドワーフがいるような場所でもない。


 ルドルフが声をかけるより早く、ばたばたと野卑な足音が近付いてきた。

 想像どおりというべきか、およそ真人間とは思えぬ風体の青年が三人。年頃はルドルフとあまり変わらないだろう。

 彼らは路地から飛び出ると、ルドルフと彼の目の前にいる獲物を見て足を止めた。

 相手も馬鹿ではない。大剣を携え、焦げ茶色のマントをはおった男の生業を一瞬で察したらしい。三人は何かを相談するように視線を交わし合ったが、声は出さなかった。


「何事だ?」


 ルドルフは自分の目の前の小さな人物を見下ろして尋ねた。

 こちらを見上げるフードの下から、深い湖の色をした瞳が見えた。


「あの、私……」


 声はまだどこか幼い響きのある、少女のものだった。

 少女はルドルフと、自分を追ってきたならず者達を見比べた。彼女からすればルドルフが味方であるという証もないので困惑しているのだろう。窮地を救う振りをして、実は裏でグルになっていたというのはよくある話だ。

 しかし、のんびりと自分の身の証をたてている場合ではなかった。三人組は逃げるという選択肢を放棄したようで、それぞれの手に小刀しょうとうを握って、じりじりと二人を囲うように動き始めていた。

 ルドルフは再び剣の柄に手をかける。


「走れ!」


 将軍として大勢の軍人を叱咤してきた号令の声だ。少女は鞭を打たれた仔馬のように駆け出し、ならず者達は一瞬迷った。


 その一瞬で十分だった。

 最初の踏み込みで、少女から一番近い男。次に少女えものの方へと意識を切り替えた判断の早い男。そして、最後にまごついていたのろまな男。

 剣に手をかけたが殺してはいない。わざわざ剣を汚さずとも急所に当て身をくらわせて気絶させれば良かった。つまり、それが出来るほど簡単な相手だったのだ。大した心得もなく、身を守る装備もない。


(つまり、訓練された者達ではない。俺を狙うつもりならもっと備えるだろう)


 ただの通りすがりのならず者だったと結論付けて、ルドルフは少女の走り去った方向を見た。


(子供だけが旅装束で、こんな夜中に町をうろついているというのも奇妙だな)


 多くの人間が暮らす町とはいえ、このとおり治安が良いとは言い難い。

 町から一歩出れば、獣やならず者だけでなく、運が悪ければ魔物に出くわすこともあるのだ。子供だけなど危険過ぎる――そこまで考えて、ルドルフは少女を追おうとしていた足を止めた。今は自分も旅の途中だ。あの子供にどんな事情があろうと、それに責任を負える立場ではない。

 ルドルフは踵を返すと、そのまま宿の方へと歩き始めた。


 だからその時の彼は気が付かなかったのだ。

 少女とならず者達が走り出てきた路地の奥で、四人目の男が悶絶して倒れていたことに。

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